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2007年1月23日(火)

溜まっていた日記は、一応ここまで。というわけで、先月の日記だすが、もう売り尽くし蔵ざらえ。

■2007/ 1/23(火)23:59:18
 マイカルで見逃していた『フラガール』を、大津で上映しているところがあるのを発見。思い立って朝の11時過ぎに家を出て名神を飛ばし、大津の滋賀会館という場所まで行ってくる。

 ここは東京で言えば、いわゆる名画座みたいなもので、一日に4本か5本、違う映画を上映している。スクリーンはほとんど映画会社の試写室並みの大きさだが、贅沢も言っていられない。もちろん各回、入れ替え制のはずだ。目当ての『フラガール』は12時20分からの上映。八日市から大津までは20分くらいで着いたけど、インターを下りてから駐車場を見つけるまでが少しもたついてしまい、会場に入ったのはぴったり12時20分ジャストだった。

 出来は悪くない。いや、むしろ僕などは何度かじーんとしたり、大笑いしたり、けっこう楽しませてもらえて充実した2時間だった。何カ所か、ちょっと編集のつなぎ方が下手なんじゃない? と思わせる箇所と、シナリオ展開上、ああ、ここはまだ近年の日本製ドラマ的にぬるいなあと思わせる場面はあったが。とりあえず妻も僕もわざわざ見に来ただけの値打ちはあったと満足。

 だから以下は、あえて述べる雑感。

 ドラマには黄金のパターンというものがある。感動路線を狙うパターンでよくあるのが、ダメ人間(もしくは周囲からダメと目されている人間)の再生、または成功を描くパターンだ。いま流行りの僕が嫌いな言葉で言えば、再チャレンジって奴ですか。スポーツものなんか、このパターンを多用する。『ロッキー』なんてのもそうですな。これを法廷ものに援用すればポール・ニューマンの『評決』なんかもその部類。たまたまいま思い浮かんだものを書いてるだけだから、もちろん他にも名作傑作はいろいろある。

 これを個人ではなく、集団にするとコメディ的要素が強くなる。笑って泣けて、という企画的においしいパターンはむしろこちらだ。ダメ集団にはもちろん、たいていその集団を叩き直すコーチ的役割の人間が必要になる。コメディ的要素が強くなるのはこのためで、ダメ集団のコーチは、たいていダメ人間である。つまり両方ともダメなんだけど、ダメコーチはダメ集団を叩き直すことで、彼(または彼女)も同時に再生するというわけだ。

 この場合、ダメコーチはいまはダメだけど、でもかつては確かな実力を持っていたという設定が論理的に不可欠。なぜなら、本当にダメな奴がダメ集団を再生できるはずなどないからだ。また、ダメ集団の連中も、本当にダメな奴ばかりじゃ話にならないわけで、性格的には問題あるけど、でも実は実力派、みたいなのが最低一人は混ざっていることが重要。同時にダメ集団の中には、あからさまにこいつは箸にも棒にもかからないだろうって最悪のダメも必ず一人は存在する。ただし彼(または彼女)は、映画のクライマックスシーンで一番おいしい役を演じることになる。

 他にも細かいお約束は幾つかあるが、そんな視点で映画を見れば、プロットを見るだけでおよその起承転結は完全に読めてしまう。てゆーか、物語の作り手として考えれば、プロデューサーなり企画者なりから主人公のやってるスポーツ、もしくは職業という「お題」を与えられただけで、その手の話、いくらでも書けてしまうのだ。

 じゃあそういう映画はつまらないかというと、決してそうではなく、特に僕なんかそういう話は基本的に大好きである。だからこそ、黄金のパターンなのだ。ただし、パターンであるだけに、脚本のセンスの善し悪しは一目瞭然ともなる。そこが作り手としては恐い。

 ここ数年、日本映画の企画にこのパターンの流行がある。わかりやすいのは『ウォーターボーイズ』くらいからか。ただしこの映画、けっこう評判も取ったし、僕はこのパターンが好きだから凄く期待して見たのだが、最低だった。ああ、日本はまだこの手のパターンを上手にこなせる脚本家が育っていないのだなと思った。いまの若い客はあんな程度のもので結構喜んだらしく、そのままテレビドラマとなり、続編まで作られたようだが、僕はもうまったく興味を失っていたので完全にスルー。

 少し雰囲気が変わったと思えたのは『スウィング・ガールズ』を見たあたりか。傑作とまでは言えないけど、けっこう楽しめた。思えばこの映画で主演を務めた人が、テレビドラマ版『野だめ』のヒロインである。そしてテレビ版『野だめ』が、漫画版の細かい描写にほぼ忠実に作りながらも、微妙に力点を変えてクライマックスに持っていった巧みなテーマ変更こそ、この黄金のパターンだ。だからテレビ版はあれでドラマとしては成功したのだと思う。おかげでヒロインの存在が回を追うごとに薄くなっていったけど、ドラマで海外版を作るのはほぼ無理だと思うから、ああいう形で、あそこで終わって正解というしかない。

 そして『フラガール』。見事にお約束通りの常道に則って、意外な展開など一つもない。コーチ役の松雪泰子の登場シーンなど、『プリティ・リーグ』のトム・ハンクスの登場シーンを思わせる。圧倒的な存在感を誇るしずちゃんは『がんばれ! ベアーズ』のデブガキの肉体と、喘息もちのオギルビーだったっけ、あのひ弱な少年のキャラをくっつけたような役割だ。それに常磐ハワイアン・センターの成立秘話という実話的要素をくっつけて、実に破綻なく物語を展開させた。

 難を言えば、松雪が借金を背負っているという設定で現われた借金取りの寺島進の存在意味がよくわからない。借金取りから逃げてきたというなら、このファンタジーのような物語が、衰退する炭坑という社会的現実背景は別にして、主要キャラの行動動機が厳しい現実と交差する、ほぼ唯一の接点だったと思うが、寺島がまるっぽコメディパート担当のように扱われている。あれでは松雪の切実さがあまり浮き立ってこない。あんなひどいアル中女みたいだったのに、いつの間にかしっかり立ち直ってるし。あれならまだ男にフラれてヤケになって地方に流れてきたとする方が、ちゃんとキャラを作れたのではないか。借金を抱えているのは逃げられない現実だが、男にフラれたなら精神的なものだ。その失恋の痛手を、新たに自分を必要とする存在を見つけたことで立ち直る、という方が、筋としてすんなり受け入れやすいと思うのだが。

 それでもこの映画を見て感心したのは、あまり元気のない男性役者に比して、女優陣の頑張りである。特に久々にスクリーンで見た富司純子。見直した。炭坑で働く女性が、あの人にらしく見えるのだろうかと思っていたが、何の。顔つき、声の迫力、歩き方に至るまで、見応えあった。もう20年も若ければ、伊吹タエの役がはまったのではないだろうか。(吉永小百合のタエは、ちょっと違う意味で意外と好きなのだが(^^ゞ)

 こういう映画を見て楽しませてもらった後は、なんか僕もこういう話をやってみたいという欲求が沸く。だが同時に、半分くらいはいつも、パターンを崩した話をやりたいという悪魔の声も、耳元で囁いているのだ。ダメ集団を立て直すためにやってきた、ダメコーチ。だがこの男、一見ダメだが、実は本当にダメな野郎で、結局チーム再生も何も出来ずに、最後は全員ぐずぐずになって終わってしまうという、そんな話ってどうよ。やっぱり僕が鳴かず飛ばずの原作者でいるのは、故なきことではないのであろうな。

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