日野というところで?
昨日は徹夜のつもりが3時前後に寝てしまい、目覚めたら5時過ぎだった。なぜか妻も6時過ぎには起きてきて、今日は朝も昼もご飯をちゃんと作ると宣言し、その言葉通り、実に久しぶりに、7時頃、そろって朝食を摂る。
それから午前中は家でうだうだし、昼も妻の手料理をしっかり食べた後、南蛮茶へ。それから5時間、コーヒー一杯で粘って、何とか原稿を10枚ほど進める。6時頃、家に戻ったがそのあたりで体力的に限界。2階の寝室で仮眠。仮眠といいながらしっかり4時間ほど眠り、また目覚めて妻の作った牡蠣フライで夕食。なんと3食、妻の料理を食べて過ごすのは恐らく数年ぶりのことかも。
妻が寝入った後、0時過ぎに家を出て、いま深夜漫画喫茶。さっきまで寝ていたので、頭はすこぶる明快。これから朝まで3時間コースの料金を払い、仕事にかかるところ。さて。
だから本当は、この記事は昨日の朝、書きかけたものである。目を覚ました直後にテレビの早朝ワイドショーみたいな番組を見ていたら、ヤマケンさんという、関西では怒りんぼ芸を見せる社会派コメンテーターとして、よく見かける人が、朝の6時頃から血管ぶちきれそうなほど怒っていた。僕はこのおっさんはわりかた好きで、このおっさんが出てくる早朝のこの番組もよく見ている。番組名は覚えてないが(^_^;)。
でも、たとえば隣のチャンネルに出ている、朝っぱらからぎらついた黒い顔で怒り顔を見せている親父の芸とヤマケンさんの芸は、同じように権力を批判しているように見せながら、その実、権力に対する立ち位置という部分で、まったく似て非なるものだ。そう言えば現都知事だって、昔からある意味において、常に権力の批判者ではあった。個人的にではなく、社会的に権力を批判する人間にはおおむね二種類あると僕は思う。社会における他者、主に弱者の立場に同情し、その救済の任を負うべき権力がきちんと機能していないことに対して憤激する者と、自分自身が強烈な権力志向を持っているために、満たされない己の願望に対する怒りから物を言う者である。現都知事は間違いなく後者だろうと、30年くらい前だったか、彼が初めて都知事に立候補した時から僕は考えている。
で、本題はここから。その昨日の朝のヤマケンさんのコーナーで、司会者が文科大臣が滋賀県の日野というところで行なった講演で発言した内容が問題になっています、と最初に説明した。その発言内容とは「日本は大和民族が統治してきた、極めて同質的な国」という発言と「人権は栄養がある大切な食べ物だが、食べ過ぎると人権メタボリック症候群になる」という発言らしい。
僕はその発言内容そのものは、いかにも自民党の議員が言いそうなことだと別段意外でも何でもなかったが、それが滋賀県の日野での発言だという司会者の言葉に、ちょっと意外な思いがして、すぐネットで調べてみた。そうしたらそれは長崎かどっか、あっちの方での自民党の集会での話で、司会者は何か勘違いしていたらしい。だろうなあ。日野って、日野の人が聞いたら怒るだろうけど、滋賀の中でもどちらかというと辺境的な場所になる。何か重要な選挙でもあるならともかく、そんなところに現職の大臣が来るというイメージが、ちょっとぴんとこなかったからだ。
高校時代、日野の友人がいた。ある冬の日、学校に来て少し興奮した口調で話していた。朝、学校に出かけようと自転車を出してきたら、門柱の陰で犬が死んでいる。すぐにそいつは母親に、そのことを告げた。家から出てきた母親はその「犬」の死骸を見て一言。「あんた、これは犬じゃなくて、タヌキよ」。僕も農村地帯の出身だからたいがい田舎だが、家の前でタヌキに死なれていたなんて話はそれまで聞いたことがない。しばらくそいつはタヌキとセットで語られることが多かったから、あの当時でも案外珍しい話だったのだろう。ただ、この日野町、実はいま僕が住んでいる八日市の隣町である。
日野という町は、一般には蒲生氏郷(がもううじさと)の出身地ということで知られる。知られる、たって、歴史マニアでもなければあまり一般的な話ではないな(^_^;)。氏郷は戦国期の武将で、信長、秀吉に仕え、わずか40才の若さで突然、死んだ。武将としては天才的な人だったらしいから、その死には毒殺説もある。氏郷は秀吉政権下で、奥州会津に移封される。いまに残る会津若松という地名は、この時、氏郷が故郷の日野を懐かしんで、日野から持って行った松の木を会津に植え、それにちなんで地名も若松に変えたものだ。この町にある綿向神社という古い社に行くと、その鳥居の前に「会津若松の松」という看板の立った松の木が植わっている。
僕は確か司馬さんの本で、この日野町と室町期に有名な日野家が関係あるような記述を読んだ気がするのだが、こんなもの書くためにいちいち確かめてらんないので、一応、うろ覚えということにしておく。日野家とは、花の乱日野富子を出した家のことだ。もともとは藤原家を祖とする、と言ったって、貴族の先祖はたいてい藤原家だけど、ともかく富子の頃は、代々将軍家に正室を出すほどの家柄であったらしい。
15年くらい前の大河『太平記』の前半で、榎木孝明演じる修験行者スタイルの男が出てくる。あれが日野俊基といって、後醍醐天皇を奉じるクーデターを起こすため、全国の協力者に連絡を取る密使役を果たしていた人物だ。このクーデターは事前に計画が鎌倉幕府に洩れて一味は一網打尽、俊基は処刑され、さすがに天皇は殺せないから隠岐に流罪となる。俊基が行者スタイルだったのは、こういう人は世間の埒外の人間として、比較的各地を自由に動き回れたということもあるが、もう一つは行者は寄進だけではなかなか旅費が厳しくなったりするわけで、たとえばよく効く薬の行商なんてのも、副業としてやっていた。で、実はかつて日野は、漆の塗り物や薬の行商を主な営業品目として全国に展開していた、日野商人の拠点でもあったのだ。薬の行商は富山なんかが有名だが、実は商人の数としては日野も相当に多い。そして、全国を回る行商人と、いまで言えば他国の内情を探るスパイの関係は、かなり近いものがある。だから日野家が、日野町に何か由来を持っていたとするなら、本来貴族である俊基が行者姿で全国を回っていたとする、あの大河ドラマの設定は、実はなかなかよく出来ていたとも思えるのである。
ま、日野町と日野家を直接結びつける証拠は、いまネットを探した限りでは見つからなかったので、ただのヨタ話ということにしておく。その意味では、例の文科大臣の発言とどっこいどっこいであろう。ま、この人の発言にも思うことはあったが、それはまた今度の機会にでも。
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