幻の社員旅行
土曜の午後に「なみだ」を一本上げたので、妻に映画でも観に行かない? と誘ったのだが、彼女はこの数日、風邪か何かで体調を崩しており、断念。仕事しよ。
それでも夜になると週末だし、明日は多分どこからも催促は来ないし、ってんで、9時過ぎからちょっとハイロンサム「くらま」へ。二八そば(焼酎2割お湯8割で飲むそば焼酎を、僕は自分でこう呼んでいる)を飲んでいると、吉田兄が、同じブルーグラス仲間のYさんと一緒に入ってきた。
吉田兄は先週、NHKFMの今日は一日ブルーグラス特集! みたいな内容の番組に出演したばかりである。本当はその録音でNHKのスタジオ入りする日と、僕の上京が近かったので、じゃ東京で会って飲もうという話になっていたのだが、残念ながら彼の予定の都合で流れたというのは、知られざる歴史秘話。なわけないか。
最初に誰が言い出したかさだかではないが、吉田兄や親方とはいずれ一緒にどこか温泉旅行でも行きたいねという話が数年前から盛り上がっていて、もちろんそれはまだ実現されてないわけだが、彼は最近「くらま」で会うと、「温泉行きまひょ。どっか行きたいですよね~」と話を振ってくる。ただ、吉田兄の考えている旅行とは、そう簡単なものではない。これは間違いなく、一番最初に旅行の話が出た時に彼が言い出したことだが、普通の友人家族同士の旅行ではつまらない、てゆーか、どうせやるなら、もっと面白くせねばならないという、彼の人生態度と同じ強迫的な観念が、彼の中にあるようなのである。
「社員旅行にしまひょ」
・・・は?
「みんな最近、社員旅行とか行ってませんやろ。そやからどうせみんなで旅行するなら社員旅行ということに」
ちょ、ちょっと待ってください。それは何の社員ですか?
「何でもよろし。適当に作ったらよろしいんや。ほんで、たとえばうじさんが社長とか、僕らが課長とか出入りの業者いうことにして。そんで仲居さんの前で、社長っ、今日はどうも連れてきてもろてすみませんとか、おべっか使いおうたり。そういうこと最近してませんやん」
いや、してへんけど……別にせんなんこともないと思うが。
「みんなで行くならそういうことにしまひょ。八日市パルプ御一行様とか何とか、旅館の表に張り出されるような感じにして」
親方が言う。「それって、詐欺とかにならへんのか?」
「なるわけないやん。だって詐欺は身分を騙って、金を盗らな詐欺にならへんのやで。身分は騙るけど、金は盗らへんやん。どこに被害が出るねん」
まあ、それは確かにそうかもしらんが・・・。という感じの話をしていたのが、もう2~3年前。しかし果たしてそれは誰が面白いのだ? 旅行に行く僕らか? それとも僕らを何かの会社の一行だと思って受け入れる旅館側か? もしかすると吉田兄、自分一人だけ面白がろうとしてないか!? (まあ、それが一番ありえる話ではあるが)てなことをいろいろ考えたりしていたものだが、昨夜彼と会って、久々に話題がそのテーマになった。
「オーディションしまひょ」吉田兄は、飲んでいたビールグラスをタンとカウンターの上に置くと、そう言った。
は・・・?
「この旅行連れてくのは、そんじょそこらのただの人間ではあきまへん。ちゃんと、こちらが振った役割を演じられる人間でないと」
・・・それはもう、すでにただの旅行ではないな。
「会社を何の会社にするかやけどねえ」
考え始めた吉田兄に、親方が水を向ける。「リアルドールはどや?」
あ。それいい! なぜか突然、僕が反応してしまった。やはりエロネタになると、黙っていられなくなるようだ。僕、あれいっぺん見てみたいんですよ。一体何十万もする奴。もし僕が独身で、金が有り余ってたら、一つ買うてもええと思うくらい!
リアルドールは早い話が、昔で言うダッチワイフだ。ただし、昔のダッチワイフってビニール人形を息で膨らませただけ、顔もタコの八ちゃんみたいな感じに、安いカツラが糊でへばつけてあるだけ、みたいなイメージしか思い浮かばないのに比べ、リアルドールたちはまず肌が特殊な樹脂で、人体の感触にかなり似せてあると聞くし、頭部も陰毛も、ちゃんと一本ずつ植毛し、顔はそれこそ、どんなアイドルの顔でもお望み次第にリアルな表情で作られている。いや、僕も直接見たことはないが、以前、上野か錦糸町かあの辺りにある、そのリアルドールの工房を取材に行った友人がいて、僕は彼女からの又聞きでえらく感心してしまったのだ。ただし、そんなものだから一体の値段がべらぼうに高い。
「リアルドールの会社……」さすがに吉田兄も絶句した。
「いや、名古屋にあるねん、そういう会社」親方も得たりや応と、話を繋ぐ。いままで黙って僕らの話を聞いていたYさんも、突然割り込んできた。「秋葉原にもありますね。金払って個室に入ると、そこでリアルドールがお相手してくれるという」そんな商売があったのか! てゆーか、リアルドールがお相手って何やねん! いくらリアルでもそれはただの人形だろっ。いや、それより山本健治をずっと愛想のいいままにしておいたみたいな顔をしていたYさんまで、やはりスケベン大王だったのか! ということの方が、ある意味ショックだったかも。
「ほな、リアルドールでいきまひょか? そやけどそれ、どういう会社かいうの、もっと説明せなあきまへんな」
どういうこと?
「そやから、取引先の人間の証言とか、重役が入社して何十年、この会社でどういう思い出があったか回想してもらうとか」
社史を作りましょう。何か話があらぬ方向に逸れてきたが、こうなればもう勢いである。それもう、いっそのこと写真入りでちゃんと平綴じにして作りましょう。立派なの。社歌も僕、何か作りますよ。それで旅行の宴会の最後に、全員でそれ、歌いましょう。起立して。
「創業何年くらいがええやろなあ。やっぱり戦前からやろな」
戦前です。もともとそこ、ひな人形か何か作ってる、れっきとした人形の会社やったんですよ。ところがバブルが弾けて、だんだんひな人形とか売れんようになってきた。で、三代目社長が考えたのが、製品ラインのリアルドール製作工程への変更! これでこの会社は息を吹き返したんですね。だから会社名も、久松とか何とか、それっぽい名前にするんです!
「あっ。じゃあこうしまひょ。創業者は元×菱重工にいた×越×郎!」
親方が飲みかけていた酒を思わず噴き出す。「おまえ、それ、零戦の開発者やんけっ!」
それいただき! だからこそ、リアルドールの駆動系に凄まじい強靱さと強烈さが加わって……しかしそうすると、ひな人形を作っていた頃は、その技術はどこに活かされていたんだ?
・・・・・とまあ、これ以上書くと右翼に襲われそうなのでこれくらいにしておくが、「くらま」で飲んでいる時、吉田兄が入ってくると、最後はいつもこんなノリになってしまう。
考えてみたらいまは、親方、吉田兄、僕の3人ともにそれぞれの事情で忙しく、とても同じ時間を取ってのんびり旅行に行けるような余裕があるはずもない。その意味では、みんなで旅行に、と言ってもそれは常に幻の計画にしかなり得ないのだ。で、どうせ幻なら、せめてその計画を酒飲みのあてとして、存分に楽しんでやろう。吉田兄の話は、そういう態度に貫かれているのかもしれない。・・・・・・それとも、やはり本気か?
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