« 残りの時間 | トップページ | N先生への私信 »

模様替え

ちょっとブログの背景を模様替えしてみる。ブログって、こういうことが簡単にできるから素敵。……素敵なのかどうなのか。結局、オーダーメイドの服をAからBにちょっと変えてみたくらいで、どちらも駅前のスーパーの店頭でハンガーに掛けて売ってる服には変わりない。便利さと引換えにオリジナリティを捨てているだけの話で、僕などは所詮、大したオリジナリティなど持っていないからと簡単に割り切れるが、時々、どう見ても人から借りた服しか着ていないのに、自分はオリジナルな人間だと信じ込んでいる人がいる。自分の何がオリジナルであるかを知るのは、恐らく自分では難しい。それよりも、基本的にオリジナルなんてものはないんだと思っているくらいの方が、もう少し謙虚に生きていける。たちまち自分の体自身、オリジナルというよりこれは両親のコピーであり、その両親もまたその親のコピーなのだ。

ブログに変更してから困ったことに。ま、これを困ったことと言うべきかどうか。一人でWebを運営していた時代より頻繁に(あくまでいまのところは。だが)、ブログ更新に手を染めている。何も書くことがなければ今日のようにデザインを変えてみたりしてるし。いまのところはまだ多少の物珍しさも手伝っているのだろうが、それだけでもないような。

確かに、以前の僕のWebは、日記公開と言いながら、一と月、二た月、間が空くことも稀ではなかった。本業の〆切遅れの慢性化が進んでいたという事情もあるが、それはいまもそれほど改善されているわけではない(^_^;)。やはりWebにUPする時には、それなりの準備、かなりいいかげんなように見えて、あれでも実は書いた日記を何日も寝かせたり、読み返して誰かこれに傷つく人はいないか、文句を言う人はいないか、くらいのことはそこそこ予想してから、必要があれば書き直してUPしたりしていたのだ。

それに比べると、何だかブログはずいぶん気分が軽い。記事をUPする敷居が低い、というのだろうか。Webの日記UPは、はっきり僕は自分の原稿とかなり近いレベルで意識していたけど、ブログになってからの投稿は、友人へのメールを書く時くらいの意識レベルになっている。つまり、この形式って構造的に迂闊になりやすいメディアだと思う。やはり記事UPが、普通の掲示板に投稿する時くらいの感覚でできるというお手軽さに、その一因があるのかも知れない。

ちなみに文章書きだから、こういう媒体に文章を発表する時に慎重になりやすい、などと言うつもりはない。その逆で、文章書きほどうかつな人間の多い業種はないくらいに思っている。ただ、僕ら文章書きで飯を食う人の文章というのは、まず、そのままの形で世間に公表されることなどない。実際に文章をしたためてから、それが活字なりになるまでに、最低でも複数の人間が関わって内容をチェックし、著者自身、自分が書いた同じ文章、4回も5回も読み直す羽目になる。そこまでやるとね、少なくとも意図しない「迂闊」はほとんど消える。

メールか投稿と同じ調子で、勢いで書いてぽおんとUPできるブログは、確かにお手軽で更新しやすいけど、同時に迂闊さをいっぱい残したままの文章が、即世間に曝されることになる。だから僕などは、自分の迂闊さをなるべく世間に曝したくなくて逡巡するのだが、そういうことを気にするのは、もはやネットの中では旧世代、ということになっていくのだろうな。

« 残りの時間 | トップページ | N先生への私信 »

ノンセクションの50」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ