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昨夜のドキュメンタリー

昨夜は合気の練習の日だというのに、夕方頃からやたら眠気とだるさに襲われて、直前まで行くつもりしてたのにやっぱり休むことに。これでまた1ヶ月近く練習をさぼってしまった。軽い罪悪感と共に、ちょうど昨夜は親方家でご近所の好き寄りで宴会をやっていたので、そっちの方にまぜてもらう。それはもう罪悪感じゃないよな。ほとんど確信犯だよな。

8時頃から出かけて0時前に戻ってきたら、ちょうどNNNドキュメントをやっていたので半分酔っ払った頭で見る。例の鹿児島の選挙違反に絡んだ冤罪事件のレポートだった。

昔は各局にそれぞれ、すぐれたドキュメンタリー番組があったが、いまはもうちゃんとしたドキュメンタリーをテレビで見られることなど滅多にない。NHKは完全に痔民党に頭を押さえられてるし、最近はフジも深夜によくドキュメンタリー番組を放送するようになったが、ここが得意なのは個人の人生の泣き笑いみたいなテーマで、政治によって生み出される社会の矛盾や、いわゆる巨悪に挑むような骨のある番組を作ったことは、少なくとも僕の記憶にはない。

ま、この局はある意味、すごくわかりやすい体質の放送局だから、それはそれでいいと僕は思っている。おもしろくなければテレビじゃないとか言い出した頃から、この局はなるべく国民の思考能力を奪うような、つまり愚民政策に則った番組作りを一貫して行なっている。おかげでいまは全局でバカエティ番組の花盛りとなったが、その一番の功労者はこの局だろう。仕方ないよね。面白ければ僕だって見るし。

ただし、そんな時代になるとドキュメンタリー番組は、その枠が存在するだけで、その局の良心なんて言われる。日テレ系のNNNドキュメントも、フジほどひどくはないものの、翼賛的体質の強いこの局の中にあって、確かそんな言われ方をしている。ちなみに日本テレビは正式名称が日本テレビ放送網になっているのだが、この会社名の由来は調べてみると、ちょっと面白い。ま、それはいずれまたの話。

ドキュメンタリー番組は、キー局が東京中華思想で作るわけではなく、それぞれの系列地方局が、その地域に根付いたテーマをじっくり時間をかけて取材したものが多いから、そういう番組の地域性自体も一つの魅力になっている。地方局にとっても、ドキュメンタリーを作ることによって、それぞれの社員の腕試し、技術向上に役立つという利点もある。

だから昔は、地方局にも有名なドキュメンタリーの神様的存在のディレクターがいたりして、その人が手がけた作品はやはり見応えがある、なんてことも多かった。だがいまは世代交代で技術継承がちゃんとなされなかったか、放送局に就職した若者たちに、あまり世間に波風立てるようなことはやめようという気分が多くなったか、昔に比べて、薄味な作品が増えてきた感じがする。

で、この晩のドキュメント、鹿児島の県議選に絡んで選挙違反の容疑で逮捕・起訴された12人の被告が、一審で全員無罪になったという事件がテーマだったものの、内容的には何とも薄~い出来だった。制作は鹿児島よみうり。なぜそう思ったかというと。

一つにはこの番組、ほとんどいままで日テレ系のニュースなどで見た映像のつなぎあわせで構成されていたという印象を受けてしまったことが大きい。無罪の速報を聞いて喜びに沸く老夫婦、踏み絵のようなことをさせたとかいう取り調べの再現、逮捕時の捜査官とのやりとりの録音、または地元警官との電話の録音、コメントを求めても無言でシラを切り通す当時の捜査責任者などなど。このニュースを比較的気にしていた僕は、どれも一度はどこかで見た場面ばかりだ。

最後は無罪の判決が出た後に、地元の警察署の匿名の警官から、容疑をかけられた元県議に届けられたとかいう額装された色紙の紹介で終わる。なんか言葉はもうよく覚えてないけど、真実は最後に勝つみたいな内容だったと記憶する。こんな警官もいたんだよということを紹介して、何かその警察署の言い訳にでもしたいのだろうか。だいたい、その元県議の家にその額を誰かが持ってくるところからカメラが映していたから、仮にそういう警官が実在したとしても、あの場面は仕込みに違いない。

結局、何が言いたいの? という感想しか思い浮かばない番組だった。そもそもこの事件、たまたま十数人もの逮捕者を出して、しかもそれが一斉に無罪判決を受けたことでニュースとして派手な扱いになったけれど、これがたとえば一人や二人だったとしたらどうだろう。選挙違反事件なんてそれこそ選挙が終わるたびにこの国では日常茶飯事。仮に警察が無茶な立件をして、裁判で結局有罪の決め手がないために無罪になったとしても、たとえばその人物が逮捕される時には、名前や住所、仕事の内容が新聞などで報道されることがある。しかし、その後のフォローなんてまずマスコミがやるわけはなく、その人物が無罪になったからと言って、いちいち報道されることは少ない「印象」がある。仮に報道されても、非常に目立たない扱いになる。

だが、無実の罪で逮捕・起訴された人間が、ちゃんとした裁判のおかげで無罪になったとしても、その人が以前とまったく変わらない生活に戻れるという保障はない。もちろん、そもそも強引に捜査を進めて逮捕した警察がその根本的な原因を作るにせよ、いわゆる「社会的懲罰」という状態を、マスコミが被疑者段階で作り出してしまうからだ。そのために会社をクビになったり、会社が潰れたり、一家が離散したりという状態になる人もいるだろう。そして、その人の無実が証明された後も、マスコミがそれに対する責任を負うことは一切ない。ついでに言うと、この国ではもしも警察に無実の罪を着せられ、裁判で無罪になったからと言って、警察の捜査自体に違法性でも証明されない限り、被疑者になった人は間違えられ損である。そのこと自体で、国かどこかに損害賠償を要求するようなことは、原則的に出来ない。もちろん腹が納まらないからと訴えるのは勝手だが、ほとんど棄却される。

で、件のドキュメンタリー番組に話を戻すと、一人の一般人として僕がこの事件に持っていた興味は二つ。一つは、なぜこんな事件が起きたのか。あるいは、この事件はどうやって作られたのか。もしくは、この事件で逮捕され、裁判にかけられた人たちは、無罪の判決を勝ち取れはしたものの、いったいそれによって何を失い、何を取り戻したのかということ。もしも僕がこの番組のディレクターだったとしたら、このどちらかに問題点を絞って、取材を進めていくだろう。でなければ、ただのトピックスだ。その意味でこの番組は、どうにも中途半端なトピックスでしかなかった。この項目は、どうも次書くネタにも続きそうな予感がする(^_^;)。とりあえず腹が減ったので、一時中断。

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