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トイレの中では死にたくない

午前中、紋次郎に乗って、友人の散髪屋のところで髭だけあたってもらってきた。

あ、ちなみに紋次郎は、急遽たったいま決定した僕の愛車、KHS MONTANA TOURの愛称である。先週の土曜の夜、妻の自転車購入も決めて軽い興奮状態にあった僕は、お隣のHさん夫妻が週末ドライブから戻ってきた帰りっぱなを襲い、晴れて我が家もサイクル夫婦になったから、その記念に飲もうと言って、疲れている彼らを飲み屋に引っ張り出した。Hさん夫妻ももともとサイクル夫婦で、2、3年前、妻に自転車購入を最初にそそのかしたのは、H女房であった。半分その気になって自転車を買いたいなどと言い出した妻に、僕はまったく取り合わなかったため、そのときはことなきを得たのだが。

ま、そんな経緯もあって一緒に飲んでいると、やがて酔いが回って一回り声のでかくなったH女房は「愛車には名前つけなきゃ。うじさんのはモンタナだから『もん太』で決定~~!」などと言い出し、僕はそんなの嫌だ! ださい! チビ! 声が汚いというイメージがつきまとう! だから絶対嫌だ~と叫んでいるのに、マイペースH女房はまったくこちらに意を介さず、このままでは本当にもん太という名前を、僕が否定する前に彼女が世間に広めてしまって既成事実にされかねないという危機感を覚え、とりあえず、主権僕の公式見解として、モンタナ・ツアーを今後、正式に『紋次郎』と呼ぶことに決定したと、こういうわけ。

で、散髪屋でもさっそく紋次郎の自慢をひとくさりしながら、もう少し陽気がよくなったら琵琶湖の方も行ってみたいんだよね~というような話をしていたときのこと。

琵琶湖の東岸には長命寺という、山の上にある境内から眺めれば、なかなか湖の景観が見事な寺があるのだが、この辺りから琵琶湖の湖周をめぐって、やはり湖岸に建てられた国民休暇村に抜ける、2~3キロくらいの山中道路がある。山肌に沿って曲がりくねった道で、道路幅も時折、対向車を避けるために退避しなければならない箇所もあるような細い道だが、四季折々の林間から見える湖上の景色が美しく、車もさほど頻繁に通る道ではないので、僕はけっこう好きなスポットだ。ただし、車を運転しながら走ると、景色よりも道路そのものに注意を払う必要が極めて切実な道だから、休暇村に着くまで景色を楽しむ余裕などはない。

あそこ、自転車ならいいサイクルコースになるよなあ。そろそろ桜も咲き始めるだろうし、いっぺん行こかなと思ってる、という話をすると、僕の襟足を揃えながら散髪屋が「ああ、あそこ、いま通れんで」と言った。

え? 何で?

「いやあ、昨日ちょうど休暇村で寄りがあってな。長命寺の方から行こう思たら、手前で警官か何かに停められて。この先、土砂崩れがあって通行禁止になってますうってな。反対側の安土の方から回ってください言われたわ」

え? まさか……この間の地震で?

「いや、それはわからん」

そやかて、ここら別に昨日も一昨日も雨なんか降っとらんやないか。土砂崩れなんか起きる理由がない。

「いやあ、あそこは別に雨なんか降らんでも、ときどき前からよお道が崩れたり、上から石が落ちてきたりはしとるんよ」

げ? ……そうなの? じゃ俺、けっこう危険な道に惚れてたんかなあ。

ま、それでも僕は、それはやっぱり地震の影響ではないかという思いを捨てきれずにいた。日曜の朝、北陸を襲った地震は滋賀県でもかなり揺れたらしい。らしい、というのは僕はちょうどそのとき、寝床から起きて便所に入り、座っている最中だったのだ。座った途端、何か頭が揺れている感じがしたのがそれだったのだろう。ただし、妻が地震だっ! とリビングで騒ぐまで、僕はてっきり、前夜のH夫妻と飲んだ酒が残っているのだと思っていた。便所から出て、北陸ではけっこう大きな地震だったとテレビで見て、ちょっとぞっとした。もしも便所に入っている時に大地震が襲ってきたら、僕は尻を半分出したまま、便所の中で押し潰されて死ぬのだろうか。それは死に方としては、ちょっと、どうだろう。死んじまえばこっちのもん、という考え方もあるけど、望めるものなら、もう少し違う場所を選びたい。

テレビのニュースは情報が増えるにつれ、ぺしゃんこになった家屋や、陥没して寸断された道路が映し出された。亡くなった方もいるが、それでも人身被害が少ないのがほとんど奇跡的に思える。あの道路の映像のイメージが、多分散髪屋の土砂崩れの話に重なったのだな。だが僕は日曜の朝、地震のニュースを見ながらもう一つ考えていたのは、北陸って原発銀座じゃん、ということだった。

原発での臨界事故が、実は過去にちょくちょくあって、それが最近まで隠されていたというニュースは、いつの間にか沈静化しているような気もするが、けっこうとんでもない話だと思う。もちろん臨界事故は、原則的に原発の稼働を停止している状態で起きるものだから、もしかすると当時の専門家は、そんなの大したことないという認識だったのかもしれない。

僕は食材などはけっこう賞味期限を気にする方で、一日でも賞味期限を過ぎていると、積極的に食べる気を起こさない。ところが妻などはこれを無視しまくっていて、要するに匂いを嗅いで大丈夫そうだったら食べられる、という理屈の女である。けだものか、おまえはっ。だが妻は、そういうことに敏感な僕が面倒になったのか、たとえ賞味期限を一週間過ぎたものでも、料理に使う時は僕に黙っているようになった。僕が気がつかなければいいというわけだ。原発の専門家は、こんな妻のような連中だったのだろうか。知らなきゃ結果オーライ、って。

だけど、たとえ稼働停止中の原発でも、臨界という言葉は臨界現象を表わしているはずだ。幾つかの偶然や不幸が重なれば、大規模事故にまでつながらないと断言できるものでもないだろう。たとえば大地震とか。過去にあれだけあちこちで臨界事故が起きていて、いままで大事につながらなかったのは、やはり日本は神の国だからとでも説明するしかない。正直言って、僕はいずれどこかで原発の大規模な事故は起きると、ほぼ確信している。それが僕が生きている間に起きるかどうかはわからないが、人によって生み出される恐怖イメージのリアリティとして、日本海にずらりと並べられた原発の南に暮らす人間としては、実は北朝鮮のミサイルなどより遙かに切実だったりする。

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