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久々に雪を見た

すみません。相変わらず忙しいです。特に月頭は週刊連載の他に月イチ連載の原稿も書かねばならず、・・・・・・と書いたところでふと思ったけど、もういまは月頭と呼べる時期は過ぎつつあるな(^_^;)

ま、僕の脳内時間ではまだ充分月頭なので、いまその月頭にあげるべき原稿にとりかかっておるところであります。ええ、その担当さんからも土曜日曜と催促の電話をいただいておるのですが、・・・・・・すみません、そんな状態だというのに、昨日は夜から合気の練習に行ってました。

もうほとんど1月の中頃から練習に行けてないので、およそ丸2ヶ月ぶり。昨年の秋以降もそんなペースだったし、こうなるともう、練習に通っていると胸を張って言えるような状態ではない。それでなくてもわずか週に一回の練習。何とか最低これくらいの時間は取れるようにしなければと、決意を新たにする。しかし何度決意しても、仕事は早くならない。すべての根本原因はここにあるのだが。

合気の練習に使っている体育館へは、僕の家から車で30分くらいかかるのだが、その行き帰りに、ちらほらと舞う雪を見た。

そういえば土曜から少し、夕方以降は冷え込み、日曜も昼間はよく晴れていたものの、風が強く、しかも冷たかった。だから夜になって、微かな雪を見ても意外には思わなかったものの、どうせ積もりもしないし、道路を濡らすほどの雪ですらない。だが、もしかするとこれが、今年最後に見る雪になるのだろうか。

今年は1月頃に一度、雪が積もったはずだが、全面的に積もったのはそれくらいで、他にはそもそも雪が降ったことさえ、ほとんど記憶にない。僕らが子どもの頃、3月半ばならまだ充分雪が積もっていて不思議はなかった。本格的な雪国とはレベルが違うものの、滋賀の湖東地方というのは、案外、雪の多い地方だったのである。

小学生の頃は、ひと冬に何度もどか雪が降り、降るとたいてい半月くらいは雪が消えなかった。小学校4年の時に担任してもらった新米熱血教師のK先生は、八幡という町から毎日、赤いバイクに乗って通ってきていたが、最初の冬は湖東地方の雪を甘く見ていたのだろう。朝、晴れてるからといってバイクで学校まで来て、授業が終わる頃には数十センチも雪が積もっているという事態に何度も遭遇し、帰れなくて途方に暮れていた。ま、そういうときはたいてい、その日の宿直の先生に当番を代わってもらって学校に泊まったり、時々僕の家にも泊まりに来た。僕の家と言っても、要するにそれは小学校の真正面にある、父が園長をしていた保育園のことだが。

雪が4~50センチも積もると、晴れた日に父が保育園の屋根に上って雪下ろしをする。僕は子どもだから屋根に上ることは禁じられていたものの、屋根にかけられた梯子を、父の目を盗んではちょろちょろと上り、屋根の上から世界を見渡せば広々とした田んぼも森も、点在する農家も一面の銀世界。きれいで、のどかな景色だった。

寒い冬の朝など、母が大きなたらいに湧かしておいたお湯を入れてくれ、それで手や顔を洗う。あのお湯のぬくもりが好きだった。学校に出かけようと、戸を開けてもすぐに軒先から外へ飛び出してはならない。屋根から滴り落ちた、つららに顔面を打ちつけることになるからだ。あの頃のつららは、何か夜のうちに氷で牢屋の格子が作られたのではないかと思えるほど、長くて何本も並んで出来ていた。太い奴なら根元の直径2~3センチは優にあり、一番長くて太そうな奴をぽきっと折ると、そのまま剣のように振り回しながら、学校へ出かけていく。他にも、家からそんなつららを持ってきてる奴がいると、その場でチャンバラになるのだが、そうするとどれほど見事なつららの命も、そこまでである。そんなものでチャンバラすれば、両方同時に粉々になるだけだからだ。

そんな日は学校に行けば、たいてい教室の外に置いてある防火用水を入れたバケツの水も凍っていた。蓋をするように表面の水だけが凍っているから、それを外せば、ちょっとした氷の磨りガラスである。なんだか冬場って、身の回りにあるそういうことどもだけでも、けっこう浮き浮きした気分になったものだ。

そういう話を、たとえばいま僕の姪っ子たちにしてもわからないだろうと思う。雪そのものを見る機会が減った上に、つららが軒先に垂れ下がった家なんか、この近所で僕は、こっちに戻ってきて以来、見た覚えがない。

地球温暖化というのは、まぎれもない現実なんだろうと、こういう時に思う。そしてそれは、初めてこの言葉を聞いた2~30年前に比べれば、明確な切迫感を持って意識せざるを得なくなっている、というのが僕ら前後の世代の感覚ではないのか。

たとえばニュースなどでこの問題が扱われる時に紹介されるデータは、100年後に世界の気温が何度上がる、とかってものが使われるが、100年後なんて言われると、正直あまりピンとこない。むしろ、あと100年は大丈夫なのか、じゃあとりあえず俺が死ぬまではもつな、くらいの感覚になってしまうのではないか。100年後にどうとかではなく、明らかに僕らが生きていた時間軸の中で、雪が減り、台風が増え、いわゆる異常気象と呼ばれる事態がどんどん拡大していってる。間違いなく10年、20年のスパンで気象は異常な方向に進みつつあり、それは僕らの子どもや孫の世代はもちろん、どうかすると僕ら自身も、その影響の直撃を受ける可能性だってないとは言えない。考えてみたらこれは結構怖い。大災害に巻き込まれるか、地球的食糧危機を経験するか、あるいは資源戦争のような形で始まる戦争を見ることになるのか、どういう形で現われるかはわからないが、これから10年、20年の間に、地球温暖化を背景とする、何かろくでもないことが起きる可能性は、僕は否定できない。

日曜朝のニュース番組を見ていたら、ドイツの女性首相が、CO2の排出削減目標を、1990年時点よりさらにマイナス20%に設定するとかって演説をしていた。まあそれが可能な数字なのかどうかはわかんないとけど、国家首脳が、国家の目標を、地球的な危機を回避するためにできることを行なうと宣言したわけだ。こういう演説が出来る首相を持ったことを、ドイツ国民は誇りと思うだろう。ドイツはこれで今世紀、恐らく最大の世界的問題となってくる環境問題において、EU内でリーダーシップを握ろうとしているし、実際にそうなるだろう。もし、この戦略が成功すれば、ドイツは地球の危機を救う立役者として他国の尊敬も集め、文字通りの「美しい国」への道を進むに違いない。

ところで日本の首相って、最近何か言ってたっけ。え? 慰安婦?(;゜〇゜)

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