ふりまを終えて、妻、憤慨す
昨日の日曜、八日市では市役所の駐車場を開放して、フリマのイベントをやっていた。
数年前まで、僕はフリマがフリーマーケットの略だとはまったく知らなかった。時々妻が、彼女の友人とフリマがどうこうとか口にしているのを小耳に挟んで、何か新しいブリッコ系のファッションスタイルの名前かと思っていたくらいだから、もし『ハネるのトビラ』の短縮言葉列車みたいのに乗せられて、いきなり「ふりま」とは何の略かと聞かれたら、思わず「不倫マーケット」くらいのことは口走ったかも知れない。
いまは大丈夫。「ふりま」なんて問題が出たら、即座に「ふりーまーけっと」と答えられる。なぜなら妻は、お隣のHさんの奥さんとコンビを組んで、八日市のフリマの常連出店者になっているからだ。で、昨日も朝の9時前からカーゴに積んだ荷物を搬入し、午後3時頃まで半日売り子をなさっていた。
だが去年は天気も良く、半日もいればちりちりに日焼けしそうなほどの陽気だったが、今年は空が晴れたり曇ったり、いまいち態度がはっきりせず、おまけに風が強くて気温が実際の温度以上に冷たく感じる。そのせいか、今年は去年に比較すれば明らかに人出が少なく、広い駐車場を見渡しても、来場者より出店者の数の方が多く見える。ま、僕はちらっと数分間、覗きに行っただけなので、全体の傾向は知らないけれど。
ふりまは3時に終わったので、撤収やら何やらいれても30分もかかるはずはない。僕は2時前に妻の店を覗いた後、母のホームへ慰問に行っていたので、4時過ぎには家に戻ったのだが、妻の姿は家になく、どこに行ってるのかと思いながら仕事場で作業をしていたら、6時過ぎに「ただいまあ」という声が聞こえた。
遅かったなあ。親方妻のKちゃんとこでも行ってたのか? と聞くと、実はお隣のHさんとこでふりまのお疲れ会みたいな感じでお茶していたのだという。多少対人障害の傾向がある妻が、Kちゃんち以外の家で何時間も過ごすというのは珍しいので、もしかしたらこれも働き始めて多少の社会性も出てきた効果かなどと思っていると、妻はリビングでこたつ机に座るなり、「それがさあ、もう大変よ。子どもの教育って」などといきなり切り出す。
何だよ、それ。ふりまの反省会でもしてたのかと思っていたぞと聞き返すと、「違うのよ。Hさんてほら、学童保育とかもしてるじゃない。で、最近の子どもたちの話を聞いてたら、それで盛り上がったというか、もう、びっくりしちゃって」
H奥さんは、て、イニシャルで書くと何かとんでもないイメージになりそうなので、ここからはM子さんと表記することにするが、我々より十くらい年下のなかなか元気溌剌な女性で、我々と同じく子どもがいない。そのかわり、子どもの面倒見が異様に良くて、我が住宅群の子どもたちの相手も中庭でよくしているし、キッズ何とかだとか、公民館関係で主催する子ども向けのイベントなどにも、よくスタッフとして参加している。学童までやっているとは今回初めて知ったが、まあ、彼女ならさもありなん。
「学童で学校の宿題やらせたりするじゃない。それでM子さんも時々子どもの勉強見てあげたりするらしいんだけど、もうびっくりするんだって。バカで」
は? ……バカって、学力のことか?
「そう。学力の話。たとえばさ、5+3は8。こういう計算はできるんだって。ところが、スーパーでリンゴを5個、みかんを3個買ってきました。さて、買ってきた果物は全部で何個でしょう? こういう問題を見ると、全然わかんなくなるの」
え?
「それとか、30-23は7って答えられるのに、A組の教室には30人、B組の教室には23人の生徒が集まっています。ではAとBでは、どちらの教室が何人多いでしょう? ていう問題になると、答えられない」
それは……算数能力というより、読解力がないってことか?
「そう。全然国語力がないんだって。みんな文章が読めない、理解できないっていうか。あと、音読は出来ても、読んだ後、何が書いてあったかさっぱりわかってないとか」
へええ。それは、凄いな。
「それだけじゃないのよ。ちょっと見て」と言って妻は、いきなりこたつ机の上に紙を広げ、ボールペンで文字を書き出した。「日曜の曜とかって漢字あるじゃない」。言いながら紙に「曜」の字を書いた妻は、その隣に「曜」の偏である「日」の字と、その横にすぐ旁(つくり)の上半分にあたる「ヨヨ」の字を並べて書き、「隹」の字を全体の下に書いた。「これ、何て読む?」
読めるわけないだろ、そんなもん。
「でしょ? これ、曜の字なのよ」
いや、それを曜とは読まんだろ。
「そうだけど、子どもが書き取りで何回も漢字練習するノートとかあるじゃない。私らもよくやらされたけど。当然、私らがこんな字を書いたらはねられて、書き直しさせられるでしょ。でもいまの学校では、これでOKなのよ」
まさか。
「ほんと。M子さんも子どもが書き取りしてるのを見て直してあげようとしたんだって。ところが子どもは、学校ではこれで先生が丸してくれるって」続いて妻は「遊」という字のしんにょうと旁が異様に離れた字を書き「これでも丸なんだって」
だんだん僕にも、妻が何に興奮していたのか、ことの事情が飲み込めてきた。
なんだそれは!? どこの小学校の話だ?
「ここよ。すぐそこのK小の子どもたちよ」
えぇえぇぇ~~~っ??? それは朝日とか読売の新聞でやってる特集囲み『教育が危ない』なんてタイトルの記事に出てくる、日本のどこかの小学校の話ではなくて、地元の話なのかっ!? と、思った時、さすがに僕も多少、うろたえた。
算数の文章問題が出来ないだけなら、それはもしかしたらその子だけが出来ないとか苦手という話かも知れない。だが、子どもが奇怪極まりない漢字を書いて、それを「よくできました」なんて丸をつけてる教師がいるとするなら、それは教師の資質の問題ではないのか。
いや、たとえば実はその子はたまたま学習障害のある子か何かで、とりあえず漢字を覚えようと努力しているという点のみを評価して、先生が丸をつけてるというなら、ありえない話ではない。だが、そうでないなら教師の方が○○○じゃないのか! と、僕は思わず自主規制せざるを得ない言葉で妻に問い返した。
「すごいよねえ、そんなことになってるのよ、いま」
姪1号と2号は大丈夫だろうか。僕は思わず、とりあえず身内の心配だけをした。
「そうよねえ、Yちゃん(僕の妹)も、こないだ喋った時、あの子たちを塾に行かした方がええんやろかとか聞かれて、私、子どものうちから勉強ばっかりで追い込むのも気の毒だし、そんなの行かなくていいんじゃないって答えたけど……今日M子さんから話を聞いて、ちょっと考え変わったかも。こんなに小学校の授業が信用できないんじゃ、みんな塾に行かせるのもわかるような気がしてきた」
確かに学生の学力の低下は、数年前からずっと言われてることだけど、たまたま人から小耳に挟んだ事例だけでころころ判断を変えるのも、我が妻の特質とはいえ、やや短絡的かとも思う。第一、いまの塾ブームの根本は、基礎学力をつけるために行ってるわけじゃないし、小学校で基礎学力さえ身に付かないというのが一般的な了解事項になるようなら、現行の義務教育制度が存在する意味さえ疑われることになる。それこそ愛国心教育などやってる場合ではない。
ただ、もしも僕がM子さんの立場で、学童の宿題か何かを見ていてそんな現場にあたったら、僕はもう学校に電話するね、きっと。クレーム親か何かと勘違いされると困るから、最初にはっきり、僕は保護者ではないことを告げ、ただの一日本人として質したいことがある。てな感じで担当教諭を呼び出すと思うのだが・・・・・・これはこれで、右翼の脅迫か何かと勘違いされそうか?(^_^;)
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