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新聞の集金かと思ったら

夕方、自転車の外回りから戻ってきて家に入り、まだ仕事から戻っていない妻の代わりに洗濯物の取り込みなどをしていたら、ピンポーンとドアホンの音。室内でドアホンの受話器を取り、はいっ? と答えたら「A日新聞ですう」という声。

ちなみにうちはA日新聞を取っているので、すわ、新聞代の集金かと、札束を用意してドアを開けると、おとなしそうな顔をした青年が立っていた。ああ、おいくらでしたっけ? と、こちらが札束をめくり始めると、「いえ、今日は集金じゃなくて」と言う。

はあ? と聞き返すと彼は、「いえ、こちらの皆さんには、ほとんどうちの新聞を取っていただいてまして」と続けた。こちらの皆さんというのは、僕が住んでいる『太陽の庭』住宅群のことであろう。「ですから、こちらもつい、それに甘えて読者の皆さんへのサービスなどをあまりちゃんとしていなかったかもしれなくて」

……はあ? 札束を握ったままきょとんとしている僕を見て、彼はパンフレットのようなものを手に、さらに説明を試みようとした。

「いえ、たとえば他の新規に申し込まれたお客さんにはいろいろサービスをしているのに、前々からうちの新聞を取ってくださる方には何もしていないと。そうすると前のお客さんの中からも、不公平感を持たれる方もいらっしゃるようで。それで、いま他のお宅も回ってるんですが、どのようなサービスを希望されるか、ご要望があれば……」

話の途中だったが、僕は彼の言葉を遮った。いらない。

「は? しかし、あの、サービスは」

新聞はちゃんとした記事さえ書いてあればそれで充分。余計なサービスなど一切無用。

「それは、サービスは何もなくていいということですか?」

そういうことです。忙しいのでこれで失礼。

と言って僕はドアを閉めた。別に腹を立てたわけではなく、基本的に知らない人間には誰に対しても僕はよくぶっきらぼうな対応をするので、ちょっと誤解を招いたかも知れない。ただ、彼の話の内容を聞いて、どことなくしこるものを感じたのは事実だが、それは別に彼の責任ではない。

しこったのは要するに、サービスがないことに不公平感を持つ客というところだ。誰か集金人にでも「お隣は新規にお宅の新聞と契約して、洗剤とかタオルとかもらったみたいだけど、うちは何年もお宅の新聞とってるのに、何もくれないわね」くらいのことを言ったのだろう。それをまた、すぐ気にして、顧客つなぎとめのために、適度に洗剤を配れ、とかいう指令が出たのかも知れない。

新聞屋さんの焦りはわからんでもないが、グリコのおまけじゃあるまいし、そもそも新聞の購読選択に、何か別の物質的な付加価値を求めるという神経が、僕にはよくわからない。確かにいまの新聞はどれも、書くべきことを書いていないという隔靴掻痒感にいつもとらわれているが、それでも僕は文字媒体、特に程度の高低に関わらず、何らかの主張を行なうオピニオン的な要素を持つ商品に関しては、景品で釣るような売り方はすべきでないと思っている。実際、そのサービス景品の経費はいずれ新聞代にふりかかってくるはずだし、だったらそんなもん一切いらんから、新聞代を安くしてくれ。A日新聞、朝刊のみで一ヶ月分3007円という無茶苦茶中途半端な値段になってるがせめてその7円、削ってくれ。声を大にして言いたい。

もちろん、景品商売を仮にやめたとしても「不公平感を持つ読者」の存在が消えることはない。僕も30年くらい前に新聞配達をしていた頃、集金に行って玄関口に出てきたネグリジェ姿の奥さんに「お宅の新聞取ってあげてるのに、何もくれないのね」というようなことを言われたことはある。僕は当時新聞奨学生で、いわゆる拡販はしなかったから、彼女に拡販員がどういう勧誘の仕方をしたのかは知らないが、こういう人はもう、何重にも勘違いしている。だいたい新聞なんてものは、取っていただくようなものではない。その人が読みたいと思う新聞を取っているという前提でこっちは配達しているわけだし、その新聞がつまんないとか、いらないと思うようになったらやめればいいだけの話である。新聞から得るものというのは、結局その人自身にとって価値のある情報でしかないではないか。

こういう人は、自分では意識していないかもしれないが、たかりの構造と基本的には同じである。あるいは選挙期間にどこかの候補者の事務所に行って、あんたに入れてやるから、何かくれ、と言ってるようなものだ。目先のしょーもない現物利益に惑わされて、結果的にとんでもない将来を招こうとしている、いまこの国はそんな方向に向かってる気がしてならない。それもこれも新聞配達屋にサービスが少ないと「不公平感」を訴えるような新聞購読者がいるせいか。ああっ、俺がいま新聞配達やってたら、そんな読者がいたら怒鳴りつけてやりたいという欲求に襲われる。もうジジイだからね。たまには誰かを怒鳴らんとね。

ところで、先述の色っぽい奥さんにそんなこと言われて、まだ弱冠19才、ぴかぴかの童貞でもあった頃のうじくんはどうしたか。ああ、おやめになりたいなら別に結構ですよお、と無愛想に答えると、彼女はちょっとムッとしたように鼻の穴を広げ「あらそう。ならあんたの配達してるA日はもう今日限りやめるわ。明日からY売の方にするからねっ」と、いささかご気分を害された様子であった。新聞販売所に帰って、僕の指導専売員にその旨を告げると、彼は、ああわかった、じゃ、明日から組み替えとくから、と答えたものだ。

ちなみに当時、僕がバイトしていた新聞販売所は三島という地方都市にあり、ここにはA日もY売も専売所というものはなく、すべてこの販売所が一手に扱って配達していたのであった。というわけで翌日から僕は、彼女の家にY売新聞を配達するようになっただけの話である。

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コメント

私は今新聞を取ってませんが、景品に質の悪い洗剤を置いてかれるのには困りもんでした。
「頼むから洗剤だけはやめてくれ」と哀願したものです。(笑
その洗剤、10年近くたった今も残ってます・・。
ニュースはネットニュース見てます。
宇治さんが朝刊太郎だったとはねー。

大学1年の時に1年だけやってやめました。当時もいまも、僕はただの根性ハンパ野郎です。

拡材はね、まあわかりやすくするために洗剤と書きましたが、当時からいろいろありました。販売所に行くと拡材の倉庫みたいのがあって、拡販する人はそこから好きなもの持ってくんです。確かに洗剤は多かったですが、他にも土鍋とかね、食器セットみたいのとか、そんなのもありました。

当時の先輩の一人は、拡材で日常の身の回りのもの、けっこうそろえたりしてましたね(^_^;)

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