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梅雨のひぬま

今年は梅雨が短くて猛暑で全国的に水不足とか言ってたのはどこの誰だ。この一週間ばかり、ず~っと雨ばっかじゃないか。

ま、ずっと雨ざあざあというわけではないにせよ、一日からっとした晴天が最近あったかといえば、少なくともこの十日くらいは雨か曇り空しか見た覚えがない。なぜならこの十日くらい、ほとんど自転車に乗れていないからだ。もっとも、これには仕事がまったく進まなくて、もうたとえ1時間でも遠乗りしている余裕が本当になくなってきたという、心理的に追い詰められた事情も大きいが。そうだ。鬱だ。もう、仕事が遅れているのは鬱になったせいにしよう! とか、そんな言い訳ばっかり一生懸命考えてる余裕があるなら、一枚でも原稿書き進めろよという話なのだが。

夜中にずっとパソコン画面を睨み付けていても、何も言葉が思い浮かんでこないと、ついつい気分転換がてら、録り溜めておいた映画とかテレビを見てしまう。頭が疲れまくってるなら少しでも休んでおけばいいとも思うのだけれど、原稿を急がなければという強迫観念だけはこれでもいっぱしにあるから、横になると仕事が気になってかえって目がさえてしまう。本当にね、そういう時は鬱による不眠状態に近いものがある。ならとりあえずもっと疲れるまでテレビでも見てる方がましってわけ。そんなこんなで今夜は例によって映画寸評のお茶濁し編。

『ニーベルングの指輪』は映画ではなく、WOWOWで前後編に分けて放送していた海外テレビドラマだが、下手な映画を観るより、画面作りも脚本もしっかりしていて、もう実にオーソドックスな、ニーベルンゲンの伝説としてよく知られた話を映像化しているだけなのに、見応えは充分だった。クライマックスなど、陰謀によって恋人たちの間に生じた誤解から、取り返しのつかない悲劇を招く展開は、まるで原作はシェークスピアかと思うようなノリで、ラストシーンでは思わず、ちょっとじーんとしてしまった。向こうはテレビドラマでも、こんなレベルの作品作るんだあね。もう日本の政治とテレビドラマは、いっそ全部アメリカあたりに任せてしまった方がいいかも。

同じく、WOWOWで放映していたので『フラガール』再見。最初に劇場で観た時は、そこそこ感動もした記憶があるし、もう一度くらいそんな気分になれるかと思って見たけれど、最初の感動記憶の40%くらいしか感じなかった。やはり劇場で画面に入り込んで見るのとは、集中力や感情移入の度合いがまったく違ってくるという問題はあるけど、実はこの映画、映画としてそれほどのパワーは持っていなかったのではないか、という感じがしてきた。もちろん、それでも日本映画としてみれば、この数年見た日本映画の中でもかなり良質な作品であることは違いない。ただ、再見してみると、妙に展開に間延びした部分が目立つし、展開としてざーとらしい箇所も、気になるようになってきた。これを見るまで実は、この映画のDVDを買おうかどうしようかとまで思っていたのだが、これはどうも繰り返し見るのには耐えられんなと認識して諦める。

『ステイ』は、いわゆる内容を話すとオチに絡まざるを得なくなり、そのオチを言っちゃうと、多分製作者の狙いは8割、そこで終わってしまうという類の映画だ。その意味では『シックス・センス』や『ヴィレッジ』を撮ったマイケル・ナイト・シャマラン監督の作品辺りと比べられるかもしれないが、僕の感じではむしろ大バカオチだった『アイデンティ』と似た感覚を受ける。最近、何かアメリカではこの手のわけのわからない話が増えているような気もするが、僕は基本的には映画はわかりやすい話が好み。何か映画の中に仕掛けられた伏線を目を皿のようにして見つけ出していきながら、ラストのオチを予想したい、というような人には面白いかもしれないが、僕は単純にナオミ・ワッツの顔立ちが好きなので、とりあえず彼女が出ているならということで見ただけ。いっぺん見ただけではわかりにくいから、何度か見返せばさらにいろんなヒントがわかる、なんて釣り文句もこの映画の紹介としてどこかに書かれていたけど、僕はもう結構。

『すべてはその朝始まった』はクライブ・オーウェン主演。ジェニファー・アニストンが、めっぽう色っぽい人妻役を演じているが、僕はむしろオーウェンの嫁さん役のアディソン・ティムリンの顔が、個人的には好み。話の雰囲気が、中盤からがらっと変わって、どんどん先の読めない方向に向かっていく展開はうまい。これは予備知識が全然なかったので、まんまと騙された。いわゆる二重三重のどんでん返しが仕組まれたクライム・ムービーだが、面白い。最初は単なる中年男の浮気の話かと思っていて、オーウェンが通勤電車の中でいつも会うジェニファーを初めて誘おうと決心するまでの逡巡とか心理描写がやたらリアルで、ついこちらも、うん、あるある、こんな感じとか思わず同調していたら、そこから衝撃のクライマックスまで怒濤の展開。一つ思ったことは、つくづく浮気は恐い、という真実。『フォン・ブース』もそうだったけど、この映画、免許更新講習の時に見せる事故ビデオみたいな感じで、浮気性の男を集めた講習会で上映したら効果ありそうな気がする。あるのか、そんな講習会?

『パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト』って何だよ。そもそもタイトル長すぎるよ。そういうタイトル長い奴に限って、また3部作とかしたがるから困るのだ。少しは日本人の迷惑も考えろ。って、別にこのタイトルで公開されてしまったのは日本人のせいか。でもなんでカリブの海賊じゃダメなの? サブタイも死者の宝箱とか、そんなんでいいじゃん。思わず「だっちゅーの」がカリブ海で撮影したイメージビデオかと思ったぞ。ボケとしては古すぎるか(^_^;)。1作目はテンポもよくて、意外と楽しい快作だったという記憶があるが、続編のこれはもう退屈。イカ船長みたいな化け物海賊の方は、CGだとしてもなかなか面白い造型だなとは確かに思うけど、話がもう、広がってるのか単に支離滅裂なのか、ストーリーとしての一貫性があまりなく、早い話がカリブの海賊という演し物のテーマパークをぐるっと巡っているようなだけの作品。

『ローレライ』はもしかすると、原作ではもう少しちゃんとしたディテールを描いているんだろうか。映画で見る限り、主要人物たちの行動の意味がさっぱりわからなかった。もしもこれ、映画館へ見に行っていたら、金返せと叫びたくなるような作品だったことは、間違いない。『日本沈没』といい勝負かもしれんが。

ようやく眠くなってきたので、今日はここらで。

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