熱帯夜続く
さっき久々に更新しようかと管理者サイトの中に入ってブログの記事一覧を見ていたら、「暑いし」のタイトルの翌日に「寒いし」というタイトルで書きかけの記事があった。ああ、この頃はまだ暑かったり寒かったりしたんだ。何にせよ、もう旬の話題ではないので「削除」っ。他にも幾つか書きかけの記事があったけど、全部「削除」。
ブログって、以前に自分でWebやってた頃よりは、明らかに同時性が強くなっている。つまり何日かかけて吟味しながら書いた話題を、多少時期遅れではあってもせっかく書いたんだから、ということでUPすることに何となく心理的抵抗を感じるようになっている。もちろん、ブログの文章を練りに練って大事に書いている人もいるんだろうけど、僕個人で言えば、やはり前よりかは、文章が軽くなってる。とりあえずいまUPすることが大事なのであって、そこに何を書くかというのは二の次。
たとえばここで政治的、あるいは社会的な世間の出来事に何か触発されて、言わずにおれんわという感じで何かを書こうとしても、その触発されるきっかけとなる事件なり出来事を見聞きして、すぐにインターネットに接続してブログに文章を書き連ねるほど僕は暇ではないし、第一、そんなすぐに条件反射みたいな行動で何かを書こうとすれば、たいてい早とちり、早合点、あるいは情報不足などがたたって、どうせろくな文章にはならない。特にデリケートな論点を含む話は、たとえ仲間内しか見てないようなこのブログでも、一応多少はものを考えてから書くように、努力はしている。が、そうすると当然、2、3日くらいは平気で経つわけで、それからそのテーマで文章をUPしようとすると、いかにも時期遅れな感覚がしてしまうのだ。
そんなわけで、さっき削除したここの書きかけ記事も、ほとんどそんな旬の話題が含まれていたので、多分内容を吟味しながらUPしようとしてたんだろな。でももう数日前の話題なのでカットだ。「笑っていいとも」の最後のコーナーで、1分以内に出題者のものまねをどれだけ当てられるか、みたいな時に、もうよくわかんない奴は片っ端から「パス、パスッ!」と切り捨てていくようなもので。たとえば3日ほど前に書きかけていた話題は阪神巨人3連戦の初戦の話から入っていた。
読み返すと、首位攻防戦だとか言って、いきり立ってるな、俺。まだ2位に中日がいるんすけど(^_^;)。でも多分、あの時の阪神ファンはほとんど同じ気持ちだったと思う。中日すでにアウト・オブ・眼中。ただし、その日の阪神は巨人に惜敗している。逆にその翌日は、少しは他に散らせよ、と思いたいくらいのバカ勝ちをしてるのだが。この時のあるスポーツ新聞の見出しは「巨人、歴史的大敗!」だって。何と重ねてんだよ。
で、阪神が負けた初戦、僕は阪神の敗色濃厚となった辺りでチャンネルを変え、何か他の番組を見て気分を紛らせようと思ったのだが、8チャンネルに変えたらオーラだか何だかが見えると自称する、小太りのどう見ても詐欺師顔した人物が、子どもを亡くした親か何かを泣かせていた。さらに気分悪くなったのでテレビ自体消した、チャンチャンというオチの話であった。
ああ、よく考えたらひどいな俺。こんな冠番組が作られるほど人気のある自称霊能者を、よく知りもしないで詐欺師呼ばわりするなんて。せめてペテン師くらいに言っておくべきだった。だが、こんな見るからにうさんくさい顔つきでも、いっぱしの占い師だの霊能者だのといって大もうけできるわけだから、この人たちにとってテレビほど有り難い媒体はないのだろう。
性懲りもなくこんな手合いを登場させる番組を作ることで、テレビはますますその信用度を落としているとは思うのだが、ある程度のメディアリテラシー、つまりテレビや新聞に対する色眼鏡さえちゃんと身につけていれば、僕はテレビで何をやろうが勝手だとは思っている。だからみのもんたがニュースを紹介する番組をやろうが、いいかげんなダイエット法をでっちあげようが、テレビとは所詮その程度のものだから、驚く気にもならない。色眼鏡を持っていない人がけしからんとか、いいかげんなこと言いやがってと怒るのだ。
そういう人たちには、あんたら自分の頭で物を考える習慣はないのかと聞きたい。だってたいていそういう人は、納豆が体にいいとかテレビでやってると、ざあっとスーパーに走って納豆を買い、ワインがいいとか言われると、ワインを飲み漁って頭痛を起こす。結果、それがいい加減な話だったと知ると怒り出す。そんな手合いが、同じようにテレビで小泉さんの派手なパフォーマンスを見て、郵政民営化是か非かみたいな論点出されると、自民党以外の候補者はいなかったのかと思われるような投票行動をしてしまうのだ。その結果、安定多数となった与党の中でボスの座を譲り受けただけに過ぎない男が、何を勘違いしたのか私は国民との約束を果たすまで総理を辞めないとか叫んでいる。いったい、いつ、どこで、誰があんたと約束なんかしたのか教えてもらいたい。いまの衆院与党の数は、あんたの約束を国民が評価して与えた議席ではないはずなのだが。
こんな風に、ブログで日記風に書いていると、話がついやたらな方角に飛んでしまう。もともと今回のテーマは低脳者、じゃなくて霊能者について所感を書くつもりだったのだ。僕は何度も繰り返すように、死後の世界も霊魂の存在もまったく信じてはいない。死後の世界や霊魂の存在をイメージして恐怖することはあるが、それは生理現象というべきもので、だからそういうものが存在するという証明にはならない。
世の中には科学では証明できないこともある、なんて言われると、確かに世の中には科学が証明していないことも多々あろうが、仮に霊魂の存在が科学的に証明できたとなれば、それはその翌日から霊魂も科学の素材になるだけの話。科学的に証明されるとは、一般化されるということであり、科学的に証明されていないということはその主張を続ける個人の解釈しかないことになる。つまりは私の言うことを信じろ、ということに他ならず、それは早い話が宗教だ。僕は個人のほら話をまともに受けなければ会話が成立していかない類の宗教にはまったく興味がない。
焼き肉のタレみたいな名前の霊能者の番組があざといのは、霊視(というのかどうか)の対象になる一般人みたいな人が、たいてい子どもや親などの家族を失った人たちであることだ。もし番組に出てくる彼らが仕込みではなく、本当に肉親を失った人間なら、まさに人の悲しみにつけ込む霊感商法と同じ類のアプローチの仕方とはいえないだろうか。基本的な立ち位置がすでに弱り切って藁にもな人が相手なら、手玉に取るのはわけがない。テレビ局がその手の番組制作に手を貸しているのは、もう問題にはならないのだろうか。オウム事件の反省とやらは、いったいどうなってしまったのか。ま、その反省は、多分あべちんの反省と同じ程度のものだったということだな。
科学と霊魂ということでもう一話題。いま読んでいる『科学者は妄想する』という本は、実在の科学者たちの中で、なぜかトンデモな方向に行ってしまった人たちの研究テーマを紹介している。たとえばエジソンは晩年、霊界の存在を信じ、あの世と通信できるラジオを作ろうと一生懸命になっていたとか、本気でタイムマシンを作ろうとしている科学者とか。
この中で、アリゾナ大の教授だったかな、やはり霊魂の実在を証明しようと頑張っている博士がいるらしい。ただし、この人の実験方法って、どう考えてもただの降霊会で、いわゆる霊媒師を呼んで死者のメッセージを記録すると。それがどれだけ正確な内容を伝えているかを調べると。なんかそんなんで大丈夫なのかい、と思ってしまいそうな実験なのだが、徹底的に不正を行えないように工夫しての実験だというから、東北弁を喋るプレスリーの霊を呼んだイタコよりはましかもしれない。
実験結果は、はっきりとは書かれていないが、まああまり大したこともなかったのだろう。いまだに我々は死後の世界が証明されたなんて話は聞いてないから。ところが中に、7割から9割くらいで、かなり高い正解率を出す霊媒師がいたらしい。科学ライターだという著者は、この人物の名前をさらっと書いているから、あまりよくは知らなかったのか、あるいはこの本の出版が古くて、その頃はまだドラマにもなっていなかったのかもしれない。「ちなみにその霊媒師は、霊能者界のマイケル・ジョーダンと言われるほどの人で(何のこっちゃ)」と、こんな風に書かれているだけである。本当に知らなかったのだろうな。
その霊能者とは、アリソン・デュボワだったそうである。
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- 新番組雑感その1『DOCTORS』(2015.01.18)
- 最終回2本(2014.12.20)
- 健さん死すの報に触れて(2014.11.20)
- 今期のドラマは・・・(2014.10.27)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント