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『ホテル・ルワンダ』をやっと見る

『ホテル・ルワンダ』を見る。春頃、WOWOWで放送したのを録画しておいたものだが、なかなかちゃんと見ようという気が起きぬままに、放っておいた。さすがに録画だけして見ていない作品が溜まってくるとハードディスクを圧迫するので、とりあえずここらへんから片づけようと、昨夜、仕事の合間に夜中の2時頃から4時頃まで。

この作品、例のルワンダ大虐殺事件を描いた社会派作品らしいという情報だけは知っていた。言わばルワンダのシンドラーみたいな話。もしかしたら感動して泣けるかなと思って録っておいたのだが、泣けるような話ではなかった。むしろ同じ人間の所業に覚える絶望感と戦慄の方が印象に残る。と言って、大虐殺を扱っているのだからそれは血生臭い場面が作られているのかと思うと肩すかしを食らう。映画の中で虐殺現場などほとんど描かれないし、出てきてもそれは単なる遠景に過ぎない。

つまり、物語は主人公である現地ホテル支配人の目線から外れていないから、彼自身がそんな現場を目撃していない以上、そういう場面を無理に作る必要もないのだ。そのかわりに主人公たちがホテルから身動き取れなくなって、周囲では大虐殺が広がっているらしいという状況が進行していく様子は、主人公と一緒にこちらも不安になってくる。なにしろ国連軍や平和維持軍も次々とルワンダを見捨てていく。こんなところにいたら、そらたまらんなあという気分になってくる。

主人公は決してハリウッド映画なんかにありがちのヒロイックな男ではなく、正義感やあるいは宗教的使命感に燃えた信念の人というわけでもない。もともとは国内のフツ族がツチ族を殺し始めた時、自分の家族や隣人たちを助けたいと思っただけなのだ。つまり単なる善意。やがて彼のホテルを頼って次々と逃げてきたツチ族の人々をかくまうようになるが、それも状況をコントロールして積極的に助けようとしたわけでもなく、何となく成り行きでそうなっただけのようにも見える。ここらへんの感じも結構リアル。

ただし彼は逃げてきた人間を追い出しもしないし、何度か訪れる危機には、持ち前の機転と徹底した商売人根性で切り抜けていく。この、武力で威嚇する相手に終始下手に出ながら、決して屈しない心がいい。本来なら日本の政治家あたりに、こういうお人好しのくせにしたたかな人が欲しいと切実に思う。もしもいるなら、僕はたとえそれが自民党の政治家であっても支持するのだが、まあ、そんな人はいないわな。

はっきり言って映画は、格別ドラマチックな盛り上がりも見せずに終わるが、実話を元にしている以上、あまり無茶もできなかったのだろう。それはそれで正しい。強いて言えばラストの、生死不明になっていた幼い姪っ子たちと一時避難所で再会する場面がそれにあたるとは思うが、ごめん。黒人の女の子の顔の区別がつきにくくて、いまいちよくわからなかった(^_^;)

いい志を持った映画だとは思うが、この事件の背景や、ルワンダという国が置かれている立場などにはほとんど触れられていないから、あの大虐殺事件をまったく知らない人間には、映画として少し敷居が高いかもしれない。僕は以前、ドキュメンタリーでこの問題を扱ったものを見たが、下手なホラー映画より背筋のぞっとする思いをした。大部分の日本人にとっては他人事だろう。この映画の中にも、虐殺現場の撮影に成功した白人のカメラマンに、主人公が喜びを露わにする場面がある。これでこの国で何が行なわれているか世界中が知る。そうしたらきっと世界が助けに来てくれる、と。だがカメラマンはこういうのだ。「このフィルムが夜のニュースで流れても、大部分の欧米人は怖いわね、と一言呟いてディナーを続けるさ」

だが本当に他人事だろうか。主にラジオやメディアに煽られて、人々は突然、次々と隣人を襲い始めた。ツチ族を根絶やしにするため、女性や子どもの犠牲者も大変多かった。これは民度の低い、アフリカの黒人だから起きた事件なのか。獣同志が勝手に殺し合っているのだから、欧米人がそんなものに関わる必要はないと思って、国連は手を引いたのか? だが同じことはコソボでも起きた。日本だって関東大震災の折、日本人は朝鮮人に何をしたか、歴史に盲目な人間でない限り、知っているはずの話だ。

そんなことはずいぶん前の話で、いまの日本人は違うと言い切れるか。僕はここ数年来、ときどき社会面をにぎわすいじめを苦にした少年少女の自殺にも同じ匂いを感じる。ある日突然、昨日まで級友だった人間に肉体的精神的な攻撃を加え始め、死ぬまで追い詰める。多数派について少数派をいじめることに、普通の人間なら感じるはずの良心の呵責というものも、どこかたがが外れてしまっている。これって、精神構造的には似たような心理状態とも言えるわけで、大人の社会でこんなことが堂々と行なわれたら、いつ虐殺大会になってもおかしくはない。

つまり僕はこの映画を通じて、その背景となった事件に、人種や文化水準など関係なく、ほんのちょっとしたきっかけで崩れ、転んでしまう人間の度し難さを見る。だが同時に、主人公の行動を通じて、人間の善意や良心というものの案外なしたたかさにも、微かな希望を見ていたいと願うのだ。

僕らは小学校の頃、ちゃんと道徳の授業というものがあった。だから学校での道徳授業復活、それ自体にはほとんど違和感はない。ただし、必要なのは愛国心ではなく、良心だ。

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コメント

こんにちは。姉の弟です。
民度って言葉、なんか上から目線で嫌な響きだなと思って広辞苑をひいたら収録されてました。意外と歴史あるんですね。英訳すると、cultural level of people だとか。

お久しぶり。元気ですか。コメレス遅れてごめん。ついでにこないだもらったメールの返事もまだ出してなくてごめん(-_-;)

今日、久々に更新した日記の内容を見てもらってもわかる通り、実はここ覗いたの、この記事を更新して以来です(^_^;)

ま、僕のブログで多分そんなこと起きないと思うけど、もし万一ここが爆発炎上するようなことがあっても、おそらく自然鎮火するまで家主は全然気づかなかったりするかもね。ではまた

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