昨日の気になること
前からちょっと気になっているのが、サカイ引越のCM。サカイだと思う。違ってたらごめん。
軽快なCMソングに乗って、男女数名の制服を着たスタッフが、いらっしゃいませだかこんにちはだか、なんかそんなこと言って一斉に会釈するシーンがちらっと出てくるバージョンがある。あの時さ、みんな帽子を脱ぎながら腰を曲げて一礼するのはいいんだけど、全員顔の角度がずっと相手を見たままの位置を保っている。あれがねえ、何度見ても違和感がぬぐえない。
だって僕などの感覚では、人に会釈する時に相手の顔を見続けるなんて、礼としては失礼極まりない形に見えるのだけれど、あれだけ堂々とCMで流されると、もしかするとそれは僕の勘違いで、礼をする時も相手から視線を外さないのが正しい会釈の仕方だったのではないか、などと思われてきて不安が高まってくる。
ただし、確かに相手から視線を外さない会釈というのもあるのかなと思い出すのは、ブルース・リーの『燃えよドラゴン』だったかな。あの中でリーが自分に会釈する弟子の若者の頭を、いきなりぽかりと殴るシーンがあったような気がする。武術家たるもの、決して相手から目を離すな、というわけだ。その伝でいけば、CMで描かれているサカイの引越スタッフは、全員武芸者か暗殺者、でなきゃ心に何か一物持っているというキャラ付けが意図的にされているのかもしれない。で、そう考えるなら、一応筋は通っている。意図はわからないが。
昨日ニュースを見ていた時にも、ちょっと違和感の残る言葉の使い方があった。例の奥さんと子どもを犯行当時少年年齢だった男に殺された旦那さんが、記者会見している光景を報じた場面の話。
この旦那さんは、犯行当時法律上の少年であった被告人に対して、一審以来一貫して極刑を求めている。僕は積極的な死刑賛成論者ではないけれど、この人の心理は理解できる。構図的に言えばこれは、彼にとって司法を利用した仇討ちであり、憎むべき敵を殺して仇を討ったよと、殺された奥さんと子どもさんの墓前に報告することだけが、この事件に関して彼の心の平安を取り戻す唯一の道なのかもしれないと、そんな風にも思うからだ。
だから昨日の記者会見での彼の発言、確か大意は「理不尽に人の命を奪った者に対する報いは、その命をもって償う以外にない。それが私の正義感であり、私の考える社会正義です」というような言葉にも、僕は素直にそうだろうと賛同する。ただし、このニュースをラジオで聞いたなら何の違和感も持たなかっただろうが、テレビを見ていて「?」と思ったのは、その旦那さんが使った「正義感」という言葉の部分。いや、これは旦那さんのせいではなく、どの局のニュースを見ても彼の記者会見に字幕を付けて「正義感」という風にしてたから、要するにテレビ局の付けた字幕にダウトを出しているわけなんだが。
「正義感」とは確かに正義を重んずる気持ちのことだけど、普通、これが僕の正義感です、というような使い方はしない。少なくとも僕の耳にはなじまない。そもそも「正義感」という言葉は、滅多に自分に対して使うものではないし、もひとつ言えば「正義感」とか「責任感」といった類の言葉は、元来基本的にすべての人間に備わっている、あるいは備えているべきと目されているものであって、その言葉単体で何らかの状態を表わすようなことはない。
だからたとえば「僕には正義感がない」という使い方ならある。あるいは「あの人は正義感が強い人だ」という言い方もする。でも「これが僕の正義感だ」という用法は正直言って、それはどういう正義感なの? って思わず突っ込みたくなるオヤジ年齢には達したんだろうな、僕も。
僕がニュースで字幕を見るまで何の違和感も持たずに聞いていたのは以下の理由。つまりこの旦那さんは、人の命を奪った者はその命で償うべきではないか。正義が行なわれるとは私はこういうことだと思う。ということを言いたかったのではないかと。すなわち、この人の言った「せいぎかん」とは「正義感」ではなく、彼自身の正義に対する見方、考え方を述べたに過ぎず、僕は普通にこれを「正義観」として理解していたのだ。これなら「倫理観」や「歴史観」と同じ、人それぞれの考え方というニュアンスが強くなる。
ニュース現場の記者は、この言葉を字幕にする時、ちゃんとこの旦那さんに確かめたのだろうか。この旦那さんの会見は、不謹慎を承知で言えば、なかなか面白く、まだ年若い人のはずなのに、現在では滅多に使われることもない、古流な表現の仕方を会話の随所に挟まれるので、いったいこの人は普段、どんな本を読まれているのだろうかと、ついそんな方向にまで興味がいってしまう。ただ、そんな人ならなおのこと、「正義感」という言葉を不自然に聞こえるような使い方はしないだろうとも思うのだが。
言葉の使い方も知らない自分の頭の悪さにどうやら気づきもせず、自分の信じる価値観をあろうことか国民全体に押しつけようとする傲慢精神に満ちあふれていながら、ちょっと足場が崩れると途端に何もかも放り投げて病院に逃げ込むひよわな精神がその正体だったという、どこかの国の首相みたいな人物よりは、自分の頭で考えた言葉で喋り、断固とした目的意識を持って行動しているこの旦那さんの方に、いまの僕なら一票を入れる。
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