僕が時代劇を好きになった理由(わけ)
最近、喫茶店で仕事する時間が増えている。それはそのままちゃんと仕事をしているってことでもあるのだが、昨日なんかアピアの『南蛮茶』に午前11時過ぎから入り、ふと気がつくと午後7時を回っていた。なんとあそこのバイトのお姉ちゃんより長く作業していたことになる。全然気がつかなかったけれど、立ち上がろうとすると座りすぎで尻が痛い()。家の仕事場では、7時間もおとなしく仕事することなんかまずない。だってテレビはあるし、オーディオはあるし、おまけに布団まで敷いてある。つくづく低きに流れる性格の俺。
戻ってきて夕食を摂った後、いきなりどっと眠くなったので仮眠。午前3時頃、つまり先ほど目覚めて、また深夜のマクドに出かけて仕事。
目覚めた時、夢を見ていた。ついさっき見たということもあるが、かなり生々しく、はっきりとした夢。なんと僕は吉永小百合と一緒にホテルに泊まる夢を見た。な、なぜにいま吉永小百合!?
吉永小百合って僕らより、もう少し上の年代の人のアイドルである。なにせ相手は還暦だ。少なくとも僕は、オンタイムで小百合さんの青春映画は一本も見ていない。それでも僕はサユリストの端くれくらいにはなると思う。ま、サユリストと言ってしまうと、どうも多分に清純な概念を含んでいそうな感触があるので、ちょっと違うかも知れない。僕が小百合ファンなのは、小百合さんならオッケー! という意味でのファンですから()
確かに最近は、年を取ってもきれいだなと思える人が多くなった印象はあるけど、小百合さんの場合、顔はもちろん、還暦過ぎてあの肉体のおいしそう感の保ち方というのは、ある意味、異常である。少なくとも僕が一緒にホテルに泊まるような夢を見て、起きた後に自己嫌悪に陥らない60過ぎの女性なんて、他には思い当たらない。
もっともいまから2~30年くらい前、つまり僕が青春期の頃に憧れた美人女優さんというのはほとんど年上で、僕はその頃、よく人からはロリコンなどと呼ばれたりしたが、考えてみれば僕の美人への興味の持ち方は、完成された「きれい」という感覚から入っていたから、実は自分より若い、まだ未完成のアイドルなんかに興味を持ったことはほとんどなかった。まあ、あの頃、僕は一部の人間にアニオタだと思われていて、当時アニオタ=ロリコンという根拠不明の決めつけが一般的に行なわれていたからだったのだな。
たとえば僕が高校か大学くらいの頃まで、当時清純女房役者の代表といえば八千草薫さんで、これは後に流行り始める「お嫁さんにしたい女優」イメージとは少しニュアンスが異なるけれど、ともかくこの八千草さんが初の不倫妻に挑むという情報に驚いて、毎週目を皿のようにして見始めたドラマが『岸辺のアルバム』。
このドラマで八千草さんは、夫や子供たちを会社や学校に送り出し、あの頃は「夢の」という形容詞がついたマイホームの中で一人、部屋の掃除などをしている。そんなところに一本の間違い電話がかかってくる。その相手というのが竹脇無我で、確かに説得力のある渋い声で一目惚れならぬ一声惚れというべきか、簡単に言ってしまえばこの二人は最初、互いの声だけでつながっていく。その展開も実にうまい。
で、僕は八千草さんのラブシーンがいつ出てくるのかという、そんな不純な目的で毎週見ていたのにいつの間にかすっかりドラマの世界に感動してしまって、最終回ではぼろぼろ泣いていた。おまけに僕がシナリオ書きみたいな仕事に興味を持ち始めるきっかけの一つにまでなってしまうという、いろんな意味で有用なドラマであったなあ。
藤村志保さんの場合は、大映だったからけっこう若い頃はオカズにさせてもらったことがある。大映だったから、というのは、彼女はよく大映の時代劇に出ていて、この頃大映時代劇は『眠狂四郎』シリーズとか『座頭市』シリーズなど、ちょっとエロな要素を含ませた作品をよく作っていたためだ。はっきり言おう。僕が時代劇大好き人間になってしまったのは、現代ドラマに比べてたいていいつも、「ちょっとエロ」だったからである。
志保さんは『狂四郎』でもかなりきわどいシーンを見せてた記憶があるが、ただあの頃の時代劇は看板女優が完全ヌードみたいなシチュエーションになると、思いっきり吹き替え使うからな。たぶん僕が、なんだこれ、別人じゃんって気づくようになった頃と、サンタはいないと気づいた頃がほぼ同時だったかも知れないが。
それよりも僕が志保さんのオカズポイント、略称オカPとして覚えているのは『大魔神、怒る』である。この映画のクライマックスで、彼女は白い襦袢みたいな衣装で磔にされ、湖のほとりでいままさに処刑されようとする。その磔台に縛り付けられた彼女の素足がちらっと映るシーンと、魔神様に祈りながら諦めたように目を閉じるシーンのアップ。もおここがねっ。当時は小学生だからよくわかんなかったけど、子供心に背筋がぞくぞくきたもんですわっ。どないな小学生やったちゅうねん。その後、僕は知る人だけは知っている時代劇のオーソリティになっていくわけではあるが、何か経過に問題あるだろうか。
それで何の話だっけ。あ、そうそう。小百合さんの話だったんだ、もとは。
僕がこの時期、なぜいきなり小百合さんの夢を見たかと言えば、それは恐らく年末か正月にやっていた『夢千代日記』の再放送を録画しておいて、ほぼ一気見したからだと思う。これは『夢千代』シリーズの一番最初の作品で、昔見た記憶はあるものの、ずいぶん内容は忘れていた。
見返してみると、あらためて脚本というのは、こういう風に書くものなんだなと感じ入る。さらに役者が一切自分のキャラに頼ることなく、物語の登場人物を真摯に演じ、名もない人々の人生の哀歓を、オーケストラのように調和の取れた旋律で描き出している。中でも吉永小百合。
実は僕が、それまでほとんど興味のなかった彼女をオッケーリストに入れた決定的なきっかけは、この『夢千代日記』だった。それまでの小百合さんは、なんか健康的でまるまるしていて、大根だけどオヤジたちのアイドルなんだってねくらいの印象しかなかったのに、ここでの彼女は悲しい宿命を背負う置屋の若女将を決して過剰にならず、淡々と演じている。それがまた物語全体を、地に足の着いた情感で覆うという効果を生み出し、なんだか見るたびにしみじみしてしまうのである。
こっちが年を食ってしまったせいもあるが、いまのテレビドラマで、見ていてそれなりに楽しいものや面白いものはあってもこちらが刺激を受けるというか、勉強させていただいてありがとうございました、と言いたくなるような脚本はほとんどない。この頃は『夢千代』の早坂さん始め、倉本さんだとか太一さんだとか、なるほど、人の人生とはこのように描くのかという、教科書のような本を書く人がけっこういた。なんか最近疲れてきちゃってね、なかなか次はどんな話を書こうかなんて思いつかなくなってきている今日この頃だけど、逆に昔のドラマを見て元気とやる気をもらうことが、多くなっている。
そんなことを言いながら『夢千代日記』。病に倒れた小百合さんが、額に汗を浮かべながら目を閉じて喘ぐ姿のアップにオッカッPーッ! と叫んでる俺。すべて台無し。
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コメント
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・・・すべて台無し。オッカッP-ッ!って・・・
この人から「なみだ~」の原作が産まれているのって・・・。
私のオッカッPーッは、水沢アキだ!多分今でもいける!
投稿: Takaishi | 2008年2月 9日 (土) 09時35分
Takaishiさん、こんばんは。
僕も初めて中島みゆきのDJ聞いた時は、軽いショックを覚えました
現実って案外、こんなもんです
投稿: ujikun | 2008年2月12日 (火) 03時18分