『赤壁』見てきました
近江八幡マイカルで映画鑑賞。狙いは『レッド・クリフ』。去年だったかもっと前だったか、東京辺りの知り合いからジョン・ウーが新作映画を撮ってるらしいという情報を聞いた僕は、ただしその時はまだ詳しい内容はわからず、ただ『レッド・クリフ』というタイトルのみ教えられて、頭の中ではその瞬間に、ロングコートを着たチョウ・ユンファが口の端にスルメイカか何かをくちゃくちゃ噛みながら、片手で軽機関銃をズラダダダッとぶっ放している映像が浮かんだものだ。だってこのタイトルでジョン・ウーときたらまさかラブ・ストーリーを思い浮かべるわけないし、これがデ・パルマか何かなら暗号名レッド・クリフと呼ばれる陰謀でも巡って一大サスペンスが展開される可能性もあるけど、たとえばジョン・ウーに緻密なサスペンスとか絶対無理だし。
と思ってたら、今年になって何を撮っていたのかがわかってきた。何と『レッド・クリフ』は『赤壁』のことであると。ほとんど直訳。ま、教科書英語的に言えば「赤い崖」か。崖と言えば昔、「はなまるマーケット」の1コーナーで、みうらじゅんが白地に「崖」という文字が染め抜かれた着流し姿で登場し、日本中のグッとくるグッド・クリフを探してさすらう崖先生というキャラクターを嬉々として演じていた。僕は個人的には大ウケだったけど、あの番組のメイン視聴者である旦那を送り出した後の主婦層の方々的にはどうだったのだろう。たぶん当時のプロデューサーの趣味でできたコーナーだったんだろうな。
脱線復旧。『赤壁』と言えば、もちろん三国志の世界。世界史的にはともかく、物語三国志の中ではベスト3には入る有名な戦いであり、この戦いによって三国鼎立が実現したという意味では(あくまで物語的に、だけれど)、本編中盤のクライマックスともいえる。そうかあ、ジョン・ウー、三国志やりたかったんだあ。てゆーか、日本を含め、中国文化圏に生まれ育って娯楽志向の強い作家、漫画家、映画監督なら、誰だって一度はやりたいと思うのが三国志。いや、僕はチャン・イーモウでもチェン・カイコーでもなくジョン・ウーが撮るというなら、それはやっぱり期待してしまう。三国志のダイナミックな戦闘場面、綺羅星の如く現われる豪傑たちの超人的な戦いを見せるなら、いまの中国系監督の中ではジョン・ウーをおいて外にないはず。
強いて言えば、例によって日本人として耳に馴染んだ名称があるのにわざわざ英語に翻訳した名前をタイトルにするという植民地根性はやはり気に入らない。どーんと漢字二文字『赤壁』で何の問題があるのか。昔、仁鶴が宣伝していた「白壁整形外科」と間違いやすいという理由か? 関西圏在住五十代以上限定のネタだけど。だったら最近漫画タイトルで流行りの全部カタカナにしたっていいじゃん。『セキヘキ!』とか。何か字面が「ヘキエキ」みたいでよくないかな。いっそ「仮面の忍者 赤壁」ってのは……。
混線復旧。正直言ってこの映画、内容的にはあまり語るところはない。少なくとも物語としての「三国志」を知っている人ならほぼお馴染みの展開、お馴染みのシーンが映像化されているだけで、独自の解釈だとか原作と異なる意外な展開なんてものはないからだ。まあ、無理矢理劉備や関羽張飛を話に絡めるために、彼らも呉に連れて行って孫堅と一緒に戦わせるなんてのは、映画版のご愛敬。物語の三国志に忠実にやろうとすれば、赤壁の戦で呉に出張するのは孔明だけになってしまうもんね。
原作的にはこの赤壁戦前後の、孔明と呉の軍師周瑜の虚々実々の駆引きも魅力の一つなんだけど、映画ではそういう部分はもう完全にすっ飛ばし、蜀と呉が仲良く共同戦線を張って魏の曹操に立ち向かうという、恐らくこれは完全に戦闘場面をメインに描くためにややこしい要素は省いたなと思わせる展開になっている。だからこの映画の肝は一にも二にも、いままで文字や漫画でしか想像できなかったスペクタクルが、見せ物として満足できるレベルにあるかどうかという一点にある。
僕の評価は、一応及第点。あまり熱の入ってないような言い方で申し訳ないが、実はこれ、まだパート1だったんですな。僕の記憶が確かなら、夏の終わり頃から流し始めたスポットCMでは、明らかに「パート1」なんて文字、どこにも入ってなかった。もちろん、あの長大な三国志の中から赤壁の戦のみに絞ったとはいえ、それが果たして3時間程度の尺に収まるのかどうかという疑問はあったけど、これはまだ第1部です、という宣伝の仕方をしなかったのはなぜだかわからない。『続戦国』の担当は試写会を見に行って、あれ、これから戦いが始まるってとこで終わったからどうしたんだろうと思ってたら、なんとパート1だっつーんだよ! そんなの聞いてなかったぞおと言って憤慨していたが、そりゃあそうだろう。で、そういう反応がやっぱり気になったか、試写を追えた頃からのテレビスポットには、しっかり「パート1」の文字が出るようになっていた。
僕自身はもちろん、見応えのある作品なら下手にはしょったりせず、何部作でもいいからたっぷりと見せて欲しいという欲求がある。僕があの映画の広報なら、勝手に映画のタイトルを『三国志 エピソードⅣ』とかにしたかもしれない。案外、ジョン・ウーもその気になって、三国志を全9部作とかで作ってくれたらしめたものだが。少なくともここ数年の日本映画における、名作漫画を原作としておきながら、その原作の価値まで貶めかねないスカスカの映画を、続編だの3部作だのといって作るよりは、遙かに内容も見応えもあるはずだ。
戦闘シーンはさすがにアクション命監督である。冒頭、例の劉備が難民たちを引き連れ、曹操の軍に追われながら命からがらの逃避行を繰り広げる場面から始まり、ここで劉備の息子を救出する趙雲のエピソードが描かれる。これも三国志名場面の一つ。僕は趙雲と一緒に右に左に槍を避け、振り下ろす刀に合わせて体を前後に弾みをつける。多分、後ろに人がいたら迷惑極まりない客だったと思うが、なにしろ客席で戦闘の間中、ぶんぶん体を揺り動かしてる男がいるわけだから。おかげでこの映画、一戦闘終わるごとに僕の息はあがり、なんだかどっと疲れが出たりしていたものだが、この映画は僕は最初からそうやって楽しむつもりだったので、僕にはディズニーランドもUSJも必要ない。ちなみに他によくそうやって楽しんだ映画は、『インディ・ジョーンズ魔宮の伝説』と『ワンス・アポンナ・タイム・イン・チャイナ天地大乱』である。
さらに関羽、張飛、孔明など、劉備の宿将それぞれの紹介的見せ場が続いていくが、戦闘の描き方はともかく、演じる役者さんのイメージは、人によって評価が分かれるところだろう。僕は関羽を演じた役者は、少し線が細い気がした。槍捌きは見事だけれど、もう少し骨太な武将という肉体を持った人を選んでもよかったのではないか。張飛はまあ、あんなものかな。なにしろ彼の戦闘場面、ほとんど武器使わないし。得意技、体当たりと殴り殺し。そんな感じ。
孔明の金城武は日本人受けを意識したキャストだろう。飄々とした美青年、そんな孔明のイメージを、無難に演じている。意外と拾いものと思ったのが、これも明らかに日本人観客用に配された中村獅童。呉の武将の一人を演じているのだが、案外、さまになっていた。キレた軍人役者としての地位を築きつつある獅童はついに、歴史と国境も越えたな。
呉の孫堅はともかく、劉備と曹操の役者さんは『蒼天航路』を読んだ僕にはちょっと物足りない。てゆーか、二人ともただのおじさん。少なくとも曹操は、日本人がイメージするところの信長的な役者を配してほしかった。リー・リン・チェイの『HERO』だったっけな。あれで始皇帝を演じた役者さんみたいな、あんな配役だったらよかったのに。
だけど三国志でも水滸伝でも他の中国系歴史ドラマを本場中国のスタッフがドラマ化すると、実は皇帝役とかはたいてい小太りのおっさんになる。そこは中国文化のお約束だから仕方ない。たとえて言えば、日本で「太閤記」などをドラマにすると、いくら主役でも秀吉を決して二枚目俳優が演じることなどないのと同じである。それはそれぞれの国の完成したイメージというものがあるのだ。
古代中国の皇帝の肖像なんて、みんな妊婦のマタニティかと思うような衣装を着て、なんだかでっぷりした感じに描かれていることがほとんどだが、この頃の中国ではとりあえず「でぶ」であることが富と徳の象徴とされていた。つまり「でぶ」が暑苦しいだのメタボだの言われて忌避され始めたのは比較的近代の話で、アジア文化圏では本来、ずっと「でぶ」はもてるための最高の条件だったのだ。くそっ。まあ日本でも、女はずっと下膨れの顔が美女だった時代があるしな。
なんだかとりとめのない話だけれど、『三国志』にさほどの思い入れなどない妻も、二時間半観て退屈はしなかったというから、エンターテイメントとしてちゃんと成功はしてるのだろう。僕はもう、このテーマだと最初から冷静ではないのでパート1だけでは面白いかどうかなんて正直、判断できない。でも決して日本の漫画原付映画のように原作を台無しにしている作品ではない。その意味では『三国志』好きは観に行っても充分大丈夫。もちろん僕はパート2も公開日目標で観に行く。果たしてそこでかつて見たこともない空前のクライマックスを見られるかどうかが、評価の分かれ目。
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