みやすどころって……なに!?
今日はこれから上京。今夜から週末まで東京生活ですが、今回は木金土と全部、夜の予定は埋まっております。というわけで今回、プライベートで飲むのは全然無理。以上、業務連絡(^_^;)
昨夜、夜中のテレビ番組欄に『Genji』というタイトルを見つけた。なんだそれ? もしかして源氏物語のことかと思って番組情報を出してみたら、確かに源氏物語だった。しかもアニメ。いったいどんなものかと思って録画。最近は時間に少し余裕があるせいか、久々にアニメなんかも気になるものはちょくちょくチェックしているのだ。といっても昔のように、一発でハマるような作品にはなかなかお目にかかれない。
この源氏物語も、まあ丁寧には作ってある方の作品だと思うけど、視聴者をがつんと熱狂させるタイプの話ではまったくない。どちらかと言えば、極めてオーソドックスに源氏物語をアニメ化している感じで、僕などいささか拍子抜けしてしまったほど。ただしこれ、脚本が金春智子で演出が出崎統。両方ともアニメ界では重量級の実力派。特に出崎さんは言わずと知れた熱血技巧派で、仮に宮崎駿をアニメ界の黒澤とすれば、市川崑くらいの位置にはいる大ベテラン。とはいえ。
相変わらず透過光使いまくりの演出は、何となくこの物語には合っているような……ないような。強いて言えば出崎歌舞伎の定番演出と言うべき、決めの止め絵がなかったので少しは丸くなったのかななどと思っていたが、演出のテンポというかリズムは、まぎれもなくこの監督独特の間合い。でも正直言って来週もまた続けてみようという気になるほどの作品ではなかった。暇なら見るかもというくらい。ついでに録っておいた、この番組の直後にやってた、だから確か夜中の3時くらいの放送になる『ミツコとハッチン』の方が、まだテンポ的に飽きさせない。
ただ最近は、こういう絵柄もストーリーも乾いたタッチでポップに見せる無国籍アクション風の物語は、誰にも感情移入できず、来週もまた見ようという気にはやはりなかなかならない。『カウボーイ・ビバップ』くらいまではまだ多少、ハードボイルドにSF風味付けを加味している分、それなりに楽しめたところもあったのだが。だんだんこちらも感性が年老いてきたのだろうか。
妻と南蛮茶でランチしながら、そんな感想などを述べつつ、でもそのアニメの中で「六条御息所」のことを「ろくじょうみやすどころ」って言ってんだよ。あれがちょっと引っかかってなあ、と言うと妻は「どうして? だってあれはみやすどころでしょ?」ときょとんとした顔をする。知らないのか? あれは「みやすんどころ」と呼ぶのが正しい。妻は苦笑して「えーっ、だってあれはみやすどころだもん。わざわざみやすんなんて言い方、私は知らない」と自信たっぷりに答える。
この国の漢字教育は実にいいかげんかつ無責任極まりないから、いまの学校であれをどう教えているのかは知らないが、妻と僕は同年である。僕はあれを「みやすんどころ」と教わった、いや、たとえ教師からは教わらずとも、教科書にはちゃんとそう書いてあった。妻が忘れているのか、教えた教師がいいかげんでない限り、僕らの世代は「六条御息所」を「ろくじょうみやすんどころ」という読み方で覚えてきたはずである。
よし、じゃあ調べるから待ってろと言って僕はパソコンを開き、搭載している広辞苑を呼び出す。そうしたらやはり「御息所」は「みやすんどころ」という読みで掲載されていた。ちなみに「みやすどころ」で引くと、「みやすんどころに同じ」と返される。ということは「みやすどころ」という読み方も、一応は認められているのか?
御息所とは簡単に言えば、天皇や皇太子とエッチした宮女すべてを指す言葉だ。宮女の職制には源氏物語で有名な女御やら更衣やらなどがあるけど、御息所自体は職名がなくても宮女なら誰でもなり得る。基本的にはお手つきになっちゃえばいいだけの話だから。天皇がその女性のところへちょっと寄ってくわといえば、そこは天皇の休息所ということになる。いわばラブホテルの「御休憩」と意味的には変わらないが、みやすのんきのみやすと関係あるかどうかは、僕は知らない。
すなわち御息所とは「みやすみどころ」が訛ったもので、「おやすみなさい」という言葉がいかに訛っても「おやすなさい」とはならないのと同様、「ん」の一音が入るかどうかは言葉の成り立ちから考えれば、決して省略できない文字のはずなのだ。たかがアニメのセリフ一言と言ってしまえばそれまでだが、逆に僕はこのアニメ、放映に至るまでにはシナリオからアテレコ、社内試写とか、いろいろ段階を踏んで衆目にさらされてきているはずなのに、誰もこの読みを気にする人はいなかったのかと思う。このアニメの制作に関わった人々の間で、これが放映されるまでに本当に誰も気にしていなかったというなら、日本の文化が壊れてきている一つの予兆といえるからだ。
同じことは日本映画の中にも見てとれる。たとえば少し前に見た『魍魎の箱』。あれは一応、日本の戦後数年経った後という時代設定がある。映画としては中盤以降、シナリオがどんどん破綻していくので、もう後半はそんな熱心にも見ていなかったが、前半のつかみは意外とよかった記憶がある。少なくともシリーズ前作の『姑獲鳥の夏』よりはかなり期待が持てそうな予感がちらっとよぎったものだが……ま、内容の話はもういいだろう。それよりも僕が笑ったのは、物語の中盤辺りから出てくる東京(?)郊外の風景だ。
街の中を水路が走っていて、その両側に土壁の長屋みたいな建物が連なっている。水路の両横はその長屋の軒下とほとんど共通している。これさ、どう見ても昔の日本というよりは中国なんですけど。てゆーか、このロケ場所、以前に『M:i3』で中国に潜入したトム・クルーズが追っかけっこしていた場所と、ほぼ同一に思えるんですけど。
間違ってたらすぐ訂正するけど、この映画、明らかに上海とかあの辺りの撮影所を使っていると思う。安いだろうし、古い日本の建物なんかだと、そのまま流用できそうなセットはいっぱいあるだろうし。いや、僕は中国で撮影したこと自体をどうこういうつもりなどまったくない。だがいま言った水路のある町並、いくら昔は水路がまだ都会の人々の生活の中にも身近だったからといって、あんな中国みたいな風景、日本のどこを探したって現在はもちろん、過去にだって絶対にない。あれならむしろ田舎育ちの僕など『初恋の来た道』でチャン・ツイィーが住んでた村の風景の方に郷愁を感じてしまう。
僕が不思議なのは、多分何億から何十億程度はかけている映画の製作だというのに、あのロケ地やら風景を見て、これは違うと言う人間が製作会社の偉いさんから出入りの職人まで含めて一人もいなかったのかということだ。先日、東京の映画関係の仕事もしている友人と話していたとき、このような話をしたら「いやあ、いまの映画の現場ってどんどん若い人の職場になってるんですよ。だから意外と、日本の昔の風景とかの設定にしても、本気でわからない人たちが増えてるってことは確かにありますね」だと。げっ、そうなのか?
まあそれでも、その映画自体が面白ければ、僕も細かいところはそんなに気にしなかった可能性はある。話自体に勢いがあれば、そんなところでつっかかってられないし。実は『魍魎の箱』もWOWOW録画で見たからそんなに腹も立たなかったが、あれ、映画館で見てたら激怒してたかも。
考えてみれば僕も去年まで時代劇のような小説を書いていたが、あれだって時代考証のプロから見れば、小道具の使い方などに怪しい個所はいっぱいあっただろう。だって全然知らないんだもん。生まれた頃から水道も使ってたし、そういや近所にちょんまげ結って暮らしてる人なんかもいなかったし。
因果は巡るって奴かな。僕がいま、こんな昭和の絵はありえねえだろって映画やドラマの製作者に腹を立てるように、時代劇で作られる画面を見て腹を立てている昔の作法風景に詳しいベテラン時代劇マニアはいるかもしれない。ま、どんだけ頑張ったって、江戸時代にあんた生きてないだろって突っ込みはできるけど。
そういう突っ込みをなるべく少なくするためには、とにかく面白い物を作るっきゃない。『篤姫』だって僕は面白かったから、細かいことを言う気にはほとんどなれなかった。その意味で『天地人』はちょっと微妙だな。意外と視聴率はいいらしいが。ま、一時期中止まで検討されていた大河ドラマが人気を取り戻したなら、時代劇ファンとしては嬉しい。頑張れ、『天地人』。僕は一話以外見てないけど(^^ゞ
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コメント
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呼びました( ̄▽ ̄)?
投稿: みやす | 2009年2月 8日 (日) 22時37分
3月頭に上京予定。新年会…になるかどうかわからないけど、その時もし人が集まりそうなら…
呼びます( ̄▽ ̄)
投稿: ujikun | 2009年2月20日 (金) 04時12分