妻の克己心
昼前に妻がバイトから戻ってきたので、僕がこれからモーニングを食べに南蛮茶に出かけるというと「う~ん、ど~しよ~かな~」などと迷った風情を見せる。
ど~しよ~っておまえ、どういう意味だ? と聞くとでへへと照れ笑う。確かに多くの場合、僕は仕事がてら南蛮茶に出かけるときでも、そのとき妻が家にいれば、よく誘って一緒に行くが、それはあくまでもまだ僕の作業に余裕があるときの話。今日はもう週中で、本来なら週刊の原稿をあげないとまずい日程。そういうときははっきり言って、妻と喫茶店に行けばその分だけ時間のロスになる。
「そうよねそうよね、私が一緒に行ったら仕事の邪魔になるもんね。うんうん、私は一人で家で冷えたご飯と昨日の残り物でも食べてお留守番してるわ」などと言って背中を向け、畳の目でもほじくりだしかねない一見殊勝な態度を見せるには見せるが、いつものことながらこれは彼女の罠である。だいたいうちのリビングの床に畳はない。
妻との会話は毎回このパターンなので、いまさら呆れることでもないが、仕方なくじゃあ一緒に行くか? と一応聞くと「ういういっ!」()と満面の笑みで振り返り、首を縦に振る。なんかね、家の中に一匹、何としても散歩に付き合いたがる犬を飼ってるような気分だな。僕は溜息混じりに、しかしほんっとにおまえって克己心のない奴だな。これほど己に勝とうという気が一切ない女だとは思わなかった、と言うと「あら、私にだって克己心はあるわよ」と言い返す。
「いつもあなたの仕事の邪魔をしちゃいけないとか、あなたの時間を潰すような真似しちゃいけないとか、私の心の中ではもう一人の私が常に私にそう言ってるの。でも私は、そんな私の心に打ち勝って、あなたについていくんじゃない。私は克己心の塊よ」
克己心って……そういう意味だっけ???
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