観賞用映画とは
WOWOWで昨日放映されていた『僕の彼女はサイボーグ』を観る。
映画に観賞用というジャンルが本当にあるかどうか知らないが、僕の個人的な区分の中では勝手にそう呼んでいるジャンルが存在する。人によってはプロモーションという言い方をする人もいるが。どちらも定義すれば、画面の中でお気に入りの女優がいっぱい動いてさえいればもうそれだけで満足で、ストーリーの内容とか演技だとかそういうことは一切問わないという前提でのみ存在を許されている作品のことだ。たとえば上戸彩ファンにとっての『あずみ』とか、綾瀬はるかファンにとってのこの作品がそうだろう。
まあ、僕にとってはそう言うしかないほど、綾瀬はるかがヒロインやってること以外には見事に何もない作品。もちろん設定はタイトルが示している通りのそのままで、だからある程度漫画的な内容だろうということも覚悟はして見始めているのだが、それにしてもこの映画、ストーリーがどうのこうの言う以前の問題として、最初から違和感ありまくりの居心地の悪さを感じる。
5分もしないうちに、ああ、これは何だか韓国映画のようだということに気づき、そう思えばキャラの造形、セリフのやりとり、ギャグと思しきベタなアクションすべてに納得がいく。さらに言うと、その映画のセットやら画面の色調までが見事に韓国映画していた。しかもこの感触は以前、凄く似たものを僕は見た覚えがある。そうだ、これは『猟奇的な彼女』だ、ということを10分経過した辺りで確信した僕は、後の1時間50分をただエンドロールの監督名を確かめるためだけに見切った。結構つらかった。
僕はこの映画に関する予備知識はほとんどなかったので、最後に韓国人らしい監督名が出てきたときはやっぱりそうかとは思ったものの、ちょっと調べて『猟奇的』の監督だったことを知ると、この監督の頑固さというか芸の無さというか、ある意味で確立した作風に多少呆れ気味ではあるが、感心したりもしたのである。制作とかを見れば恐らくは日本国内で、日本人スタッフと日本人キャストのみによって作られた映画だろうとは思うのだが、監督が韓国人だと見事に韓国映画になる。リドリー・スコットの『ブラック・レイン』を見たときに感じたように、やはり映画監督というのはどの国の絵の具を使おうと、最後はちゃんと自分の画風で絵を描ききってしまう画家なのだなと再認識した。
僕にとってこの映画を見た意味は、その再認識がすべて。この映画は何に失敗したのか考えようとしても、脚本だキャストだとか言う前に、そもそもプロジェクトを立ち上げた最初の時点から全部失敗していたとしか思えない。この映画に関しては役者の芝居に文句を付けるのも酷だろう。多分彼らも普段やらない韓国映画風のリアクションを要求されて、かなりやりづらかったに違いない。
もちろん韓国映画にも傑作は多々ある。『猟奇的な彼女』もあのヒロインのキャラ造形はそれなりに楽しめたし、脚本自体、この作品に比べれば遙かによく出来ていた。まさか日本人相手だと思ってナメて作ったとは思わないが、もうオチなんて『続戦国』の最終巻以上にぐだぐだだったしな。強いて言えば、クライマックスの大地震シーンは結構迫力があった。残念なことに中身がすかすかなものだから、リメイク版『日本沈没』並みに無駄な迫力ではあったが。
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