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今期もドラマは不作の気配

ただいま夜中の1時4分。仕事にも飽きたので、ちょっと箸休め。

月曜の滋賀、日中は久々に曇り。夜になって嵐。いま気づけば、さっきまで庭の木を揺らし、窓を叩き続けていた風は止んでいる。明日は天気も持ち直すだろうか。なんて天気の叙述から始めると、なぜか夢千代さんの日記風。こんな風に記憶に残せるドラマは、いまや年々少なくなっている。

もう2~3年以上前から、新番組をチェックしようという気も失せている。十中八九見るだけ時間の無駄という結果に終わるからだが、それでもとりあえず気になる企画、たとえばプロットが面白そうだとか、気になる脚本家が書いているとか、そういう時は最初の1話くらいチェックするようにしている。去年は倉本さんの『風のガーデン』をたった1話で諦めたけれど、僕の妹はあれの最終回を見て泣いたそうだ。そんなもんはプロット見た段階で、思いっきりベタな設定から簡単に想像がつく。昔の倉本さんなら、あの設定から始めて、その設定に乗っからずにすかんっと別の切り口を開けてみせるくらいの芸当はしたものだ。

この冬はもう一人の大御所、山田さんの『ありふれた奇跡』を見ていた。これは第1話を見た段階で、ちょっとどうなるのかなと気になり始め、結果的に最終回まで見てしまった冬期唯一のドラマだったけれど、第1話においていい意味でどうなるのかと気になった展開は、回を追うごとにいったいこの話、どうするつもりなんだという多分に脚本家を含めたドラマ制作者そのものに対する疑問へと変化して、結局どうにもならずに終わってしまうという、ある意味では画期的なドラマであった。

せっかくだからもう少し突っ込んでおくと。

主演は周防さんの映画で痴漢容疑者を演じた加瀬亮と、相変わらず一本調子な声と表情しかできない仲間由紀恵。この二人を主演に据えた時点で、もう役者自身の表情や動作だけで見せる感情芝居はどう逆立ちしても成立しないキャスティング。人形劇を見るようなものなんだから、恐らく二人の感情を表わすシーンは延々と会話劇になるのではないかと予想したが、ほぼその通りであった。

もちろん僕は往年の山田節が炸裂した二人の会話シーンはそれなりにウケていたのだが、昔は割とリアルに感動したこともある山田節も、年を経てこうやって久々に聞くと、なんか困ったように微妙に苦笑せざるを得ない個所が多々あったりして、隣で見ていた妻などは会話シーンが続くたびに「ああっ、いらいらするっ!」と半ばキレかけていた。気持ちはわかる。

思うに山田節には徹底的に主語を使わず、語られている対象を曖昧にして会話を続けながら、反復を多用するという特徴がある。つまりこの特徴をうまく使えば、誰でも明日から山田太一になれると……なってどうする。

「あれ、どうした?」
「どれ?」
「冷蔵庫の」
「ああ」
「ああじゃなくて」
「うん」
「うんじゃなくて」
「もう、なかった?」
「ないから聞いてるの」
「じゃあ……食べちゃったんじゃないかな」
「ないかなって? ……ひとごと?」
「食べた。食べましたよ。うん、間違いなく」
「食べちゃったの!?」
「だからさっきからそう言ってる」
「さっきからなんて嘘。いま初めて言った」
「……そうだけど」
「私、食べないでって言った」
「……聞いたけど」
「じゃあ、どうして!?」
「どうしてと言われても……お腹が減っていたから」

ある日の朝、仕事に出かける前の妻が朝食時に食べるつもりだった冷蔵庫のおからを、僕が夜中に一人で食べてしまったことを非難する僕と妻の会話も、こうして山田節に直してみると、どことなく文学の香りが漂ってくるではないか。もちろん現実にはとてもこんな淡々とした会話で済むわけなどなかったのだが。

ドラマの第1話はさすがにうまいと思った。少なくとも倉本さんのあざとさよりは好感を持ったからこそ、毎週録画に設定したのだが、なんか見ているうちに、こっちもだんだんつらいことになってきた。僕としては、これは大人が書いたちゃんとしたラブストーリーになることを期待して見ていたわけだが、実際には老人が書いた今風の若者のラブストーリーってこんなの? みたいな話で、いくら30前後でもいまどきこんな会話を交わすカップルはいねえだろうという、何とも奇妙な若者同士の恋愛(?)といっていいのかどうかさえわからない話になっていき、それに引きずられたかどうか、彼らの周囲の登場人物も次々と変人ばかりになってきて、最終的にはいったいこれは何の話だったのかよくわからないことにもなってきた。

本当はもっと切なくて泣ける話になることを期待していた。物語の冒頭、偶然出会った若い男と女。彼らを結びつけるきっかけとなった陣内孝則の深い絶望と孤独を鏡として、この二人も同じ孤独を共有している。このような人間は普通、他人との接点を持とうとしない。心のどこか奥底で激しく他人との関係を切望しながらも、他人との関係を恐れて前には踏み出せないからだ。が、死に踏み出そうとしていた陣内を助けたことで、彼らは望むと望まざるとに関わらず、他者との新たな関係構築に向けて、それぞれの一歩を踏み出してしまった。その中でまるでハリネズミのように生きてきた二人が、最もストレスのかかる恋愛関係を育てていくことになる、という過程そのものが「ありふれた奇跡」になるはずではなかったか。

男と女が出会い、恋に落ち、結ばれていく、このどこにでもよくある恋愛という体験こそ、実にありふれた出来事ではあるのに奇跡と呼ぶ以外にない、そんな素敵な物語をこのタイトルから勝手に連想していた僕は、見事に肩すかしを食らわされてしまった。いや、先の『風のガーデン』にしてもそうだけれど、他の悪い冗談やってんだか学芸会見せてるのかわからないようなドラマに比べれば、一応ちゃんと見られるのだ。それなりになら、面白い展開や芝居も部分的にはある。でも僕が好きだったシナリオライターの作品としては、何かが決定的に物足りない。

……あれ? いまふと気づいたが、今日は確か、今期も新番組のドラマは絶望的だという話を書こうと思っていたはずだ。なのに、これじゃいまさらながらの「ありふれた奇跡」のレビューじゃん。しかももう朝近くなってるし()。というわけで、大急ぎで仕事に戻ります。今期のドラマの話は、また次の機会に

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コメント

 阿部寛の新しいドラマをちょっと見ていたら、刑務所から出所した阿部が食堂でビールとカレーとラーメンとと、黄色いハンカチの健さんそっくりのシーンを展開。しかし、胃が受け付けなくてトイレで吐くシーンはちょっと面白かったです。

 それ以上のものではありませんでしたが。

 兼継は毎回妻夫木が泣いて、北村が慰めるというパターンで行くのかと思ったら、回によって泣いたり泣かなかったり。どうも中途半端でよくありません。毎週、8時35分に妻夫木が泣くという時報代わりの展開にすれば面白いのにと。あとの楽しみは信繁の越後時代がどのくらい描かれるかですね。

『風のガーデン』一度も見ず。
『ありふれた奇跡』第3話くらいで挫折。

『スマイル』第1話途中で挫折。
『BOSS』とりあえず2話鑑賞。
『白い春』設定からいって見なさそう。

今期も不作かな……

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