最近、図に乗っているのではという話
昨夜、食事しながらテレビを見ていたら、画面に昔懐かしい009のキャラが現われた。普段なら真正面からテレビ画面を見ていても、その実、まったく何も見てないことの多い妻がさすがに気づいて「あれ? 009の新作?」と聞くので、僕は不機嫌そうに、全然関係ない。と、ぼそりと答える。
実際、僕もあのCM画面を最初に見たときはおおっ、新作か!? と思ったものだが、わずか数秒で幻滅した。新作は新作でも早い話、パチンコの新台のCMなのである。
断っておけば、僕はパチンコ自体には何の偏見もない。親しい漫画家さんでパチンコ漫画のカリスマになっちゃった人もいるし、僕自身、学生時代の暇を持て余していた頃とか無職時代の人生を持て余していた頃には、ずいぶんパチンコに入り浸っていた。とはいえ、僕に言わせればパチンコとは、あれはあくまでウラな存在である。
たとえばパチンコで勝った負けたという場合、それは決して交換したチョコレートの量で言ってるわけではないだろう。だとすれば換金行為を前提とした上での話だと思うのだが、公営ギャンブルでもない以上、あの出玉を換金するのは本来違法行為であるはずだ。
まあ、パチンコの換金自体が摘発されたという話も聞かないので、そこには特殊浴場の中で行なわれていることと同様、何か大人な抜け道が用意されているのかも知れないが、いずれにせよパチンコがウラとオモテの境界上に位置する業種だという僕の認識は変わらない。
とはいえ僕は、世間に存在するウラものやいかがわしいもの(略してイカモノ)を全部締め出すべきだとはまったく思っていない。どころか僕はけっこうその手の匂いのする事物に愛着を感じることもあるし、逆にウラもイカモノも一切存在しないなんて社会は、想像すれば空恐ろしいイメージしかわかない。ただし、ウラやイカモノを楽しむためには、こちらにもそれなりの覚悟と判断力、つまりは知識と余裕、ひっくるめて言えばおとなの免疫力のようなものが必要だと思っている。
だから僕は、充分な免疫力のない子どもまたは子どものような人間に、本来ウラなものを表と勘違いさせるような行為には眉をひそめるし、ウラものが堂々と表に出てこようとすると、違和感を感じる。ばかりか、ときには分をわきまえろと腹さえ立てることがある。僕が好きなウラものは、ちゃんと自分がウラな存在であるとわきまえていることが前提だからだ。
其の伝で言えば最近のパチンコ業界、ちょっと図に乗り過ぎの観がある。いや、近頃のテレビCMの多さの話。このこと自体はパ業界を責めるより、むしろテレビの責任が大きいとは思う。テレビが節操のないメディアであることはいまに始まったことではないが、近年の不景気でこいつら、というのはテレビ局のことだが、なりふり構わなくなったんだろうなと実感させられるのが、とにかくパチンコとサラ金のスポットCMの増加だ。大企業が経費節減でテレビCMを抑え始めた分、本来なら公共の電波を使って表の世界にアピールするべきではないものが、こんな形で急速に素人の目に付くようになってきた。
だいたい自分たちに何か後ろめたさを自覚している連中ほど、大げさな露出戦略で世間の認知を得ようとする。自信があるから電話はしませんとか言ってテレビに出まくるようなものだ。テレビはそんな認知度を高めたいニーズには最適のメディアなのだが、昔ならCMの倫理基準みたいなものを楯にこういう業界のCMはちょっと問題があると思われたら、なかなかテレビスポットなんて取れなかったし、取れても深夜枠とかそんなものだった。
もちろんいまでもテレビの倫理基準はちゃんとあるはずだが、機能するのは酔っ払って裸になったタレントを使ってるCMは放送中止にしようとか、そんな誰のためにやってんだか、あるいはそれが本当に倫理のためになってるのかどうかわからないようなことくらいにしか働かない。
たとえばどんなにきれいな姉ちゃんがにっこり微笑んで宣伝してようと、サラ金の本質はサラ金なのだが、あれだけ毎日テレビでスポットが流れていると、つい、サラ金はちょっとお金が足りないときに簡単に借りられて便利なのかなという意識が視聴者の中に育っても不思議ではない。ちょっとお金が足りないときは我慢しろよ! という倫理を誰か教えてやれとも思うのだが、結果的にサラ金のローン地獄にはまり込む人間を増やしている一因になっている可能性を、テレビ局は考えもしないのだろうか。
いやいや、それは本人の問題で、CMでもご利用は計画的にと謳っていると言われたところで、そもそも計画的に何か出来る人がサラ金から金なんか借りるわけがない。あんなもの煙草のケースに書いてある業界の言い訳と同じで、パチンコに至っては言い訳さえしない。パチンコのCMで出玉の換金は違法行為です、とか、パチンコは射幸性の高い遊技で依存症になる危険があり、ローン地獄に陥ったり、子どもを放置して死なせたり虐待死させる原因になったりすることがありますなんて、断りのあるCMは見た覚えがない。
さて、そこで今日の本題なのだけれど、なんでパチンコはあんなに懐アニや懐マンをやたら使うのだ? そりゃそういう作品やキャラを使用することで、それらの作品に愛着のあるファンもパチンコに引っ張り込んでパチンコ人口の拡大を目指そうという意図があるのは見え見えだけど、漫画ファンやアニメファンは別に全員パチンコ大好き、あるいはパチンコを健全な遊技として認めていいと思っているわけではない。なにより、かつての自分が感動したり勇気づけられたりして、記憶の中に名作傑作として留めているはずの作品が、よりにもよってパチンコの客寄せに使われていると思うと、いくらパチンコを否定しているわけではない僕も、それはちょっと待ってくれと言いたくなってくる。
去年か一昨年か忘れたけれど、パチンコのCMで世界名作劇場のキャラが出てきた時は本当に驚いた。確かフランダースのネロか何かで、あの時僕はそのCM画面を見ながら愕然としたものだ。なにそれ。
パトラッシュ、おまえまでもがパチンコに身を売るか!?()
そりゃわかるよ。誰だって貧乏は嫌だ。だけどおまえたちまで目先の金に走ったら、あの物語はいったいどうなる!? 苦しいかもしれないが、おまえたちは貧乏のどん底で死ね! それだけがおまえたちの存在価値ではないのかっ! などと思わず画面に向かって突っ込んでいたね。
まあ、かろうじてこの時まだ冷静を保っていられたのは、キャラがフランダースだったからかな。実を言えば僕はあの話、大嫌いで、ほとんど見てなかったのだ。だいたいアロエが可愛くない。万一彼女がフィオリーナくらいのレベルだったら、僕はいやいやあの物語を見ておいおい泣き続けたかも知れないが。だがもしも万一、パチンコの新台としてハイジとかクララとかアン・シャーリーが出てきたら、多分僕は黙っていなかったろう。即座に日本アニメに対し、冷静かつ粘着な抗議の電話を掛け、場合によっては朝日新聞に投書するくらいのことはやったかもしれない。
ま、さすがにここらは宮崎さんや高畑さんがからんでいたりするので、版権的な裁量はどうなってるかわからないけど、あの作品に関して彼らの意向は多分まったく無視とかはできないと思う。まあ、内部の事情はわからないからどういった経緯があったかはしらないが、ともかくハイジやアンのパチンコは、いまのところ見ないですんだということで、ほっとしている。見ないですんだっつったって、パチンコ屋には行ってないから本当に大丈夫かどうかは知らないけど。少なくともそんなテレビCMは見ないですんだということだ。
まあね、これもやっぱりパ業界だけが悪いわけではない。そんな作品を使わせる方も使わせる方だという話である。そりゃたとえばゴルゴ13だとかね、大人向けの作品で、読者も概ねすれた中年以降の読者がメインだという作品なら、パチンコにしようが何しようが文句言う人は少ないかも知れない。
世界名作劇場はあかんやろお~っ。特に俺的にはハイジとアンは別格中の別格。かつて僕は一年間も彼女たちの成長を見守り続けながら、かなりの頻度で感涙にむせび泣き、感動と幸福感に包まれたのだ。そんな彼女たちがもしもパチンコの台なんかに使われたりしたら、僕にとっては初恋の女性が、旦那がリストラに遭って一家を支えるためにソープで働き出したという噂を聞くのとほぼ同等な衝撃だったろう。で、もしもそんな噂を聞いたら思わず足を運んでしまうかも知れないという自分を想像する方が、もっと恐ろしかったりするが。あ……もちろんパチンコの話ですよ、はい()
世界名作劇場を産み出した日本アニメが、なぜパチンコなんかに二次使用を認めたのかわからないが、一つにはやはり最近のパ業界そのものの勢い、つまりアニメでも漫画でもばんばんパチンコにしてCMもがんがん流して、認知度も高うなったし、もうすっかりわてら明るい国民的遊技でっせ、てなイケイケ状態にもしかするとつい幻惑されてしまった部分もあるかも知れない。だから僕は、ウラものが堂堂と表に出てこようとする動きは概ね不快である。一般素人に認知度の高い漫画やアニメを利用して、フレンドリーで健全なイメージをふりまこうとしているその戦略自体が大いに姑息で不快である。
だが、もっとも不快なのは、よく考えもしないでパチンコに自分たちの作品の使用権を売った漫画やアニメの関係者たちだ。彼らは自分たちの手で世間に送り出した作品が、自分たちだけで勝手にどうとでも自由にできるものだと思っているのだろうか。違う。いったん世に出た作品とは、受け取った側の記憶も含めて作品の一部になっていく。だからいくら直接の作者だからと言って、その作品が自分の思い通りになるとは限らない場合は往々にしてある。もちろん、それはそれだけ受け手の記憶の量が無視できない、つまり相当のヒットになった場合に顕著になるから、僕のような人間が言っても別段何の説得力もないけれど()
で、ここからが本当に本題なのだが、とうとう009である。これ、石ノ森さんが生きていたら、果たしてOKしてたかなあ。ま、009はちょっと僕的には長く続け過ぎたのではないかと思うところもあるのだけれど、地下帝国ヨミ篇だったか、あのジョーとジェットが流星になるクライマックス。僕はもうあそこで読むのは止めてるので、本当に40年くらい前の記憶になるが、ラスト数ページの展開はいまだにおおよそのコマ割まで思い出せる。セリフなんかもっとはっきり記憶していて、生き残ったサイボーグたちの中で、ジェロニモがフランソワに語りかける最後のセリフは、実は『続戦国』の最終巻の中にも同じような言い回しを使わせてもらっている。つまり40年経っても僕という人間に影響を与えている作品の一つということだ。
まあ、これに関しては別段、怒りも憤りも感じないし、ただ、あぁあと思うだけである。もし石ノ森さんがご存命の上でパチンコに使われたのだとしたら、彼に対して少し失望したかも知れないが。
実は『続戦国』をやってた頃、確か2年くらい前だが担当から『続戦国』をパチンコで使わせてもらえないかというオファーが来ていると連絡を受けたことがある。ま、僕のその時の反応は、おふぁあ~? てなものであったが、本当にパ業界、新型インフルのように見境なく凄まじいものだなという感想は持った。だいたいまだあの時点で完結もしてない作品を、いったいどういう形でパチンコにするつもりなんだ? 正直言って、そのことにちらりと興味が湧いたのは事実だが。
ただ、そのときは電話ですぐどうこうという話ではなかったので、向こうがその気で詰めてくるなら今度、僕が上京した時に相談しようと言われて話は終えた。が、その後、御承知の通り僕の進行は狂人のように追いまくられ責めまくられのスケジュールになっていって、いつの間にか僕の方はそんな話があったことも忘れていた。
すったもんだの末にともかくも『続戦国』が完結した去年の秋の話である。担当とも何とか落ち着いて話せるようになって、互いにいろいろお疲れさんてな感じでお茶など飲んでいた時だ。ふとそう言えばと、僕がそのパチンコの話を思い出した。そんなオファーがあったというのに、その後、僕の方は何の話も聞いてない。だからちょっと気になって、あれってどうなったんだっけ? と担当に聞いてみた。
「ああ、あの話は流れた」担当はコーヒーをずずっとすすりながら一言、呟くように言った。
流れた!?
「断ったんだよ。それで向こうも諦めた」
断った? ……誰が!? 俺、もう電話の時に断ってたっけ?
担当はコーヒーカップをテーブルに置き、そこで初めて僕の顔を見た。
「違うよ。半村さんの著作権者、つまりご遺族の方に話をしたらその場で断られた」
見識とは、こういうものだ。
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