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まれにみるバカたちの祭

最近どうにも体がだるい。まあ、ちゃんと布団でまともに寝ていないせいもあるのだろうけれど、朝の5時前後に寝て9時頃に起きたり、3時頃に寝て昼の12時近くまで寝ているとか、とにかくもう生活リズムはむちゃくちゃ。いつもリビングではいつくばるように寝ているところを妻に起こされ、さっさと仕事にかかりなさいと言われても、わかったと言って両腕で上体をあげ、身を起こそうと二、三歩腕で移動を始めた途端にふうと気が遠くなりかけてまた突っ伏し、そのまま数時間眠ってしまうこともままある。

起きたら起きたで、頭の中にもやでもかかってるような感触が、目覚めて数時間は取れず、さらに目覚めて十時間経っても眼球はずっと何か沁みたような感じで表面がひりひりしているため、目薬は欠かせない。おかげで仕事も一向思うように進まず、焦りと苛立ちばかり大きくなってくるのだが、どうもこの傾向はこの数カ月以来の感触だなあと思うと、あながち夏バテと仕事のプレッシャーばかりとも限らないような気がしてくる。

僕は年初来、降圧剤を飲む生活に入っているが、もしかしたらこの薬のせいではないか? なんてことを考えたりしているのも、結果的にはやはり仕事に向かう気持ちがなかなか立ち上がらないことに対する言い訳をどこかで求めているのか。だけどいままで高血圧体質でばりばり仕事をやってた人が、薬で血圧を下げ始めると途端にテンションも下がって、おまけに性欲も減退してくるというのは、降圧剤の副作用としてありうる話。ま、俺、EDだから性欲は関係ないけどさ。

ちなみにいま僕がかかっている近所の開業内科医の先生は、ま、人柄自体はそんなに悪い人だとも思えないので、ついつい近くて便利だという理由だけで通っているが、この人のおかげで僕の血圧は昨年来、劇的に下がった。一年くらい前まで概ね僕の血圧は上が140前後、下が100前後で推移しており、僕自身だいたい僕の血圧はこんなもんだろうと思っていたのだが、去年の秋口頃、例の『続戦国』の最後のすったもんだがあった頃から、ときどき上が160前後、下が110くらいで推移するようになり、どうかすると朝一で測っているのに、たまに血圧が200を越えることも散発してきた。

さすがにこのまま放置しておくのはまずいかと、医者に通うようになったわけだが、近所のT先生は降圧剤の強さを数段階に分けて様子見をしながら、僕にとってベストの血圧が出せる薬量を決めようとしてくれた。実際、いままで僕はほとんど薬の類を口にしないで生きてきたので、飲み始めると僕の血圧はみるみる120から80前後というあたりで安定してきた。で、何回目かの診察の時に僕は、おかげさまでいい感じになってきましたと言ったのだが、先生もそうですねえ、これはとてもいい傾向ですが、ただ家庭内血圧の場合、最近降圧目標の数値が変わりまして、110から下は70前後くらいにしようということになったんです、というわけでもうちょっとだけお薬を強くしておきましょうか、といった感じの説明を受けた。

マジかよ!? とはさすがに僕は突っ込まなかったが、それはちょっと下げ過ぎではないのかなと、素人感覚では思う。どうもね、なんか日本の医者は血圧を目の仇にしている印象があるのだけれど、血圧を下げれば下げるほど致命的な疾患のリスクが減るというなら、確かにそれはありがたいことだ。しかし、僕が以前に読売の「医療ルネサンス」か何かで読んだ記事のうろ覚えを開陳すれば、日本の高血圧治療における降圧目標数値には確かなエビデンス(証拠)がないという話があったぞ。そればかりか、血圧を下げすぎると心筋梗塞のリスクが高まるとか、死亡率が高くなるというデータが、どこか海外の方で出されているらしい。

もっともあの記事の眼目は、確か様々な慢性疾患の判断基準になる数値を決める際に、製薬会社の意向が入り込んでいる可能性を示唆したもので、WHOでさえ製薬会社との癒着が存在するというような内容だった。数値を厳しくすれば、その分、薬が売れて大儲けできるからね。ま、この手の話になってくると立場や見方で様々な利害関係が輻輳してくるから、その記事全体を例によって鵜呑みにしているわけではないものの、いまの僕の平均血圧は上が110前後で下が70前後。どうかすると100を切りそうな勢いの時だってある。そんな数値を見ると、なんだか自分がオカマにでもなってしまったような気分になって、何となく血圧が140くらいあった頃のことが懐かしい。

ま、そんな話はおいといて。

今日はそんな状態でバイトが夏休みに入った妻に9時頃起こされ、ひとしきりリビングの床の上でぐだぐだしたあと便所に入っていたら、外で妻が騒いでいる。なんでも日蝕で少し気温が低くなってきたんじゃないかとか言ってるのだが、僕は便所に籠もっているからずっと暑い。どうせ外に出たって今日の空は雨曇りの分厚い雲が空を覆っていて、その向こうで太陽がどんな形をしているかなんてわかりようがない。

どうも僕は昔から、自然科学にはあまり感動も興味も覚えないたちなのか、この数日前からテレビのワイドショーなんかでは政治の話題とカップリングで皆既日食まであと何日とか、南の悪霊島だか獄門島だか知らないが、そんなところへ日蝕見るために観光客が一杯押しかけようとしているだのといった話題を盛り上げようとしているが、基本的に僕はそういう話題には一切興味が湧かない。

だいたいテレビが無理目に作る話題なんて『ルーキーズ』や『ごくせん』の番宣と同様、ろくなもんじゃないだろ。テレビがやいやい騒ぐ度合いの高さに比例して、中身はカスカスであるという公式に当てはめてテレビに流れる話題を見ていれば、政治でもスポーツでも芸能でも取るに足りない話題に振り回されることは少なくなる。日蝕もまた然り。テレビが騒いでるなら、どうせ大したことではない。

政治ネタ、という言葉で思い出したが。

僕はwebをブログに変えてから、極力政治の話題に触れるのは避けている。基本的にはこの国の政治に憤慨したり溜息ついたりしたところで、こういうところで書く文章というものは所詮一人でマスターベーションをしているようなものだから、どうせ誰か見る人がいるならその人にとって少しは気持ちのいいマスターベーションを見せてみたいと思っているからだ。そんな僕にとってオチのつかない政治ネタなぞ、ブログの話題としては下級のネタにしかならないわけで、そんなものを人に見せたいとあまり思わなくなっただけの話。

ちなみにブログは僕のマスターベーションだとしても、金をもらってやっている仕事は漫原であれ小説であれ、自分のマスを人に見せているつもりはない。あれは、読んでくれる人間を気持ちよくさせる、言い換えれば自分がイクことは二の次にしてでも、読者の股ぐらをさするために書いていると自分で規定しているからだ。ゆえに商業作品で、それはどう考えてもおまえ一人のせんずりだろっ! としか思えないものを目にすると、けっこう頭に来る。

ただ、日記風ブログの記録的側面を考慮するなら、とりあえず本当に衆院解散が行なわれたという話題は、備忘的に書き留めておいてもいいだろう。それも近年、これほど陳腐な猿芝居を見せつけられた選挙など、ついぞ僕の記憶にはない。その意味でも、今回は少し特異な選挙になるかも知れない。

何が猿芝居かと言えば、そもそも全部そうなんだけれど、民主はまだ舞台に慣れてない大根役者が多いから、友愛とか言われたらへえへえそうでげすかといまのところは言っておくしかないものの、舞台ずれした三文役者の集団としか言いようのない自民の面白さなんて、あほを通り越していっそ爽やかでさえある。解散直前にはどっかの売れない芸人が、稀にみる勘違い能力を発揮して楽しませてくれたけれど、僕の知る限り、彼が芸人として僕を笑わせてくれたのは後にも先にもあの騒動の時だけだ。

恐らく、これからまだまだ変なことは起きる。マスコミはすっかり次回の選挙で政権交代だと、もう半ば既定事実のように盛り上げているけれど、マスコミが騒げば騒ぐほど、中身はスカスカという可能性は、どこかに留意しておいた方がいいと僕は思っている。

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コメント

私は時々投票率が気にかかるのですが、それよりもう、日本を救える(まだ、もつかぁ)人が思い浮かばない。そんな発言をする人すらいないし。

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