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確かに当たり外れはある

三池崇史という監督は、その特異な作風もあって、ちょっと前までは異才とか奇才というイメージで語られることが多かった気もするが、僕の印象ではむしろ昔ながらの、つまりプログラムピクチャーなんかをこなしていた頃の職人監督タイプなのではないかと最近思うようになってきた。その手の職人監督って、当たり外れは恐ろしく激しい。

なぜなら職人は脚本そのものが陳腐かどうかなんてあまり気にせず、どんな作品だろうと必ず一応の映画にはするからで、こういう人は仕事さえあれば極道ものだろうがホラーだろうがガキ向けだろうが、まったく頓着なく撮りまくれる神経を持っている。要は、その作品を要求する客のレベルに合わせた作り方をするという割り切り方がはっきりしているのだ。

三池監督を例に取れば『妖怪大戦争』などという、いったいどの層を狙ったのか理解不能なおめでたい映画を撮ったかと思えば、『ジャンゴ』なんてその方面が好きな人間にはたまらなく遊び心満載の映画をさらっと撮ったりするのは、やはり筋目正しい職人技を持っているからこそできることだと思う。つまり『ジャンゴ』の客層は僕も狭いと思うが、でもその層に入る人間を喜ばせることができるということは、『妖怪大戦争』や『ゼブラーマン』だって、あれを楽しめる客層というのは確実に存在していたのかもしれない。

少なくとも近年、往年の名作漫画を実写化と称し、その名作の名前をも汚しかねない映像作品を製作して恥じない若手(?)映画監督の類とは違う印象をこの監督に対して僕は持っている。僕が一番嫌いなのは客を舐めてるとしか思えない作品だが、ちゃんとした職人の作るものはどれだけ陳腐な内容でも客を舐めているわけではない。多分くだらない場面を撮ってる時は、これ、くだらねえよなあと笑いながら撮ってるかもしれないが、そのくだらなさを客と共有しようという態度があれば僕はOK。

ま、微妙な線ではあるけれど、たとえば『ゼブラーマン』の続編を作るのは許せるが、『どろろ』の続編を作るなんて絶対「ありえねー!」と語尾を思い切り上げて叫びたくなる話だということ。

で、今回見たのは『ヤッターマン』。仕事を選んでないのかと思いたくなるほど、つくづく何でも手を出す人である。ただ、漫画の実写化企画というと、この人は以前に確か『殺し屋1』をやった記憶がある。映画は見ていないが漫画は全巻読んだ。なんであんな話を読む気になったのか、いま思い出してもきっかけが分からないが、まあ壮絶な内容の話なので、ある意味あの作品が三池テーストに近いだろうということはわかる。

それに対して『ヤッターマン』は違和感ありまくり。ただし企画としては案外面白いのではないかとも思う。そこきたのかって感じで。あとはそれをどう表現するかだが、アニメの実写化なんてある意味、漫画の実写化よりハードル高いしなあ。オリジナル自体、我々はすでに動き付きで見ているわけだから。

で、コミック原作を実写映像化する場合、アプローチは二つある。徹底的に原作に近いテーストで作るか、原作の骨格だけ残して内容は映画としてアレンジしまくるか。概ね、原作通りに作ろうとするとやはりいろんな意味で難易度高いので、勢いそれなりのアレンジを加えた作品が多くなるわけだが、近年見た中から腹の立った映画を思い出すだけでも『あずみ』『SHINOBI』『デビルマン』『キャシャーン』『海猿』『どろろ』と漫画原作物が枚挙に遑(いとま)が無い。

翻ってハリウッドを見れば、意外にもコミック原作の秀作が多い。『X-メン』も『スパイダーマン』もそれなりに楽しめるが、何と言っても『バットマン』シリーズのティム・バートン版と新生バットマンシリーズの2作の出来は群を抜いている。何が違うかと言えば、それはもう映画力というしかない。向こうは漫画はつまらなくても、面白い映画を撮る能力はやはり圧倒的だ。

ま、話を戻すと『ヤッターマン』。始まってから5分くらいで妻は「私、これダメ」と言って寝に行った。『ジャンゴ』を僕と一緒に大喜びしながら見ていた妻がこれは厳しいだろうなというのは予測がついた。原理主義者の彼女は中身のないドタバタと、CG使いまくりでこけおどしのような画面を作りたがる映画が大嫌いなのだ。僕はと言えば。

正直、けっこうウケた。大笑いしたと言ってもいい。何を笑ったかというとこの映画、下手なアレンジや解釈など加えず、ただ素直にアニメの『ヤッターマン』の世界を忠実に映像再現しようとしている、その過剰なまでの無駄なエネルギーである。その情熱たるや大したもので、アニメで見ているときはそこまで気にしないヤッターマン1号の出動シーンだって、あんなもんが実際に町中を走り出したら確かにこうなるよなと思わせる、そのバカバカしい実写再現へのこだわりがけっこう笑わせる。もちろん実写と言ってもCGによる新たなアニメじゃないかと言ってしまえば身も蓋もないが、そのこだわりはキャラの、つまり役者の芝居や造形にも見事に繁栄されている。

ボヤッキーを演じる生瀬勝久だって、最初は、え~、ボヤッキーはあんな感じだっけかな~、まだ高田純次とかああいう方がいいんじゃないかななどと思っていたが、とんでもなかった。もう見ている最中にあれが生瀬だ何だなんてイメージは一切吹っ飛んで、本当にボヤッキー以外の何者にも見えなかった。賛否両論あったと聞く深キョン(ちなみにATOK、「ふかきょん」でちゃんと「深キョン」に変換する。おまえも何か過剰なエネルギーだぞ、それは)のドロンジョ様も、ちゃんと様になっていて、相変わらず芝居は下手だけど、存在感だけはきっちり輝いていた。

漫画作品をなるべく忠実に再現した演出で成功した作品には、これはドラマだけれど『のだめカンタービレ』がある。でまあ、『のだめ』の場合は原作自体が完成度の高いストーリーで、若者たちの成長物語にもラブストーリーにもなっているから、それを映像化しただけで十分笑えたり感動できたりするようになっているけれど、映画の『ヤッターマン』にはそんなものはない。ただ、くだらないギャグ、もうゲスとしか言いたくないような下品なギャグも恐らく確信犯で入れてきてるし、よくやるよなあとこちらは大笑いするだけ。チープな世界旅行の感覚にも苦笑いするしかなかったけど、この映画を見終わった後、心に残るものなど何一つとしてない。

ただし、この作品の場合はそれでいいのだ。だって原作のアニメがそういう作品なんだから。つまりこの作品は正しくオリジナルの精神をしっかり受け継いだ正統な作品だとこれは間違いなく言える。『ど●ろ』なんて作品とは大違い。

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