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今年は龍女だと・・・!?

珍しく早起き。といってもリビングのこたつで2時3時に寝ると、たいてい5時6時に目を覚ましちゃうんだよね。

だいたい今日は土曜だというのに、妻が仕事先の同僚たちと伊勢までツアーで出かけるというので、6時頃に上から降りてきたのだ。連休を利用して、職場の誰かが親睦を深めるつもりで言い出したことのようだが、彼女が僕や自分の身内以外の人間と、たとえ日帰りであっても一人で混じってどこかへ旅行に行くなんてことは、結婚以来約20年目にして初めて見る出来事であり、人になつかぬ老犬がルパンに近づいたくらい珍しいことなんだけれど、彼女もいまの仕事を始めて丸3年。やはり数ミリずつでも対人関係の神経が太くなってきたのだろう。それは同居人たる僕にとっても慶賀すべきこととは思う。……みやげはやっぱり赤福かな

そんなわけで妻を送り出した僕は、そのままこたつにもぐったまま、ぼおっと土曜のめざましテレビみたいな番組を見ていたら、その中の特集コーナーで龍馬を採りあげていた。大河ドラマの影響で、今年は龍馬ブームが来るとはもう十中八九わかっていたことだけれど、昨年の秋以来、すでに龍馬関連の書籍の出版点数は100冊を超えるらしい。うぅ……世が世ならその先陣グループの中にわしの本も入っていたはずなんやが

ま、悔やんでも仕方ない。だいたい僕が龍馬絡みの話を思いついたのはもう5年も前のことだ。具体的に話をまとめ始めた一昨年の時点でも、今年大河ドラマが龍馬になるなんて予想もしていなかった。ところでそんな前から考えていたのになんでまだ原稿が完成していないんだという突っ込みはとりあえずなしな()

で、その特集の切り口なんだけど。

いま、龍馬ブームを支えているのは女性だという。こういう浅はかな物言いはテレビの得意とするところなので別に突っ込みもしないけれど、次の展開には結構吹いた。つまり、昨年までは戦国武将に憧れ、興味を持つ歴女がキーワードだったが、今年は龍馬に憧れ、興味を持つ女性が増えていて、彼女たちのことを歴女ではなく龍女(りょうじょ)というのだと。何ですか、それは!?

ちなみに僕は、歴女という言葉の響きの汚さもあって、あまりこの言葉が好きではないのだけれど、とりあえず歴史に興味を持つ女性が増えているというならそれは別に悪いことでもあるまいと一時期は思っていた。でも、その後いろいろこの関係の話題がテレビや雑誌で紹介されるようになって、その類の情報を見ているうちに何か印象が少しずつ変わってきた。

だって歴女と呼ばれる人たちは結局、一言で言えば戦国武将萌えの人たちなのだということに最近気づいてしまったからだ。で、一説にはこれはもともと戦国時代を舞台に設定したゲームの影響が大きかったとも言われるが、そのためか彼女たちのイメージする伊達政宗とか直江兼続とか、とにかくあの人たちの脳内イメージでは相当に美形キャラに置き換えられているらしい。幸村なんて出っ歯の小男だぞ。もしリアルにドラマ化するなら、幸村の役は温水洋一さんとかああいう人が本来似合ってるはずなのだ。ま、そんなことはともかく。

テレビなどによれば、今年は龍馬萌えの女性が増えていて、各地の龍馬絡み観光スポットでも女性客が増えているとか。ま、今期の大河ドラマのネタも龍馬で、しかもその主人公龍馬をちょうどそういう年回りの女性たちに絶大な人気を誇るイケメン福山雅治が演じるという、早い話、原因これだろ、これで決定! みたいな状況の中で、こういう話がでてきとるわけだな。

で、そんなこんなで龍馬萌えになった女性たちのことを歴女とは区別して、龍女というと。ほんとどっかの適当な奴が考えた適当な言葉感ありありの言葉を今年もありがとおっ。サライの空。ただしこの言葉、今年の流行語大賞に残るような言葉には、まずならんだろうな。そもそも龍馬ファンの女を龍女と呼びましょうっていうんじゃ、いままでの歴女って言葉は何だったんだ。歴女というくくりの中に、龍女がいるというならまだわかるが。

ああ、でももしかしたら僕は今年、この龍女たちに向かって本を売ることになるかもしれないのだ。そう思えばみんなお客様!? ごめん。前言撤回。もっと溢れるように出てこい、龍女たち! とはいえ、これが流行語大賞に残る言葉になると思えんと書いたのは本音でもあるんだな。

なぜならこれ、述べたように今年の大河ドラマがかなりのきっかけになっている。だとすれば、今年の後半ドラマの盛り上がりに沿って、世間もなおいっそう龍馬ブームが燃え上がるはず。でまあ、一応僕も仕事の関係で今年の大河はチェックしている。先日、録画しておいた第1話を見た。結論から言えば、僕は今年の仕事に絡んでいなければ、もう最初の1話で見るのをやめてるな。

まあ、そろそろ仕事に戻らねばならないので詳しく検証したくなったらまたいずれ別項で書くけど、一言で言えば役者の芝居だとか役柄が合ってるかどうかという話をする以前に、脚本が安い。

画面自体は、NHKは『坂の上の雲』を撮って以来、多分時代物のお家芸にするつもりであろう特殊なカメラによる独特の質感を持った映像を、この作品でも前面に押し出してきている。だから画面にフィルムに近い深みと効果はあるのだけれど、いかんせん、このドラマの中味のおざなり感はどうだろう。龍馬と言えば好きな人間にとってはいままで何度も映像化されてきた作品である。言い換えれば、テーマとしては十分に手垢の付いたネタだということもできる。

21世紀になって、このところ復調の気配も見えるNHK大河が久々に龍馬をテーマにするということは、どうしたって満を持して、という言葉で表現するしかない意気込みを見せるしかないではないか。いままで見たことのない龍馬が、考えたこともないけれどなるほどこういう理屈であったかという解釈で動く様を見せるドラマになるのではないかと、期待することは間違いか?

たとえば土佐藩内でよく言われる上士と下士の対立。このドラマでも初っぱなから描かれるそれは、上士はとにかく下士と見たら因縁付ける存在でしかなく、つまりそれは普通に僕らがよく知る物語の(もちろんこのドラマで初めて知る客もいるだろうけど)絵に描いたようにパターン通りの役割を果たす存在でしかない。ということは、あの当時の土佐藩の上士は頭の足りないヤクザのようなバカばかり、という描き方にしかならないのだ。

しかも大人の上士が年端もいかぬ子どもの龍馬に泥をつけられたとか言って、屋敷に連れてって斬り捨てようとしたり、それをかばうために病床に臥せっていた龍馬の母が駆けつけて命乞いをしたおかげで龍馬は許されるが、かわりにお母さんは病をこじらせて死んでしまうなんて展開は、見た瞬間にこれなら武田鉄矢の『おーい龍馬』を正式に原作だといって大河をやればいいじゃないかと思わずテレビの前で叫んでいた。

いや、武田鉄矢、というより小山ゆう作画による『おーい龍馬』は、多分この大河ドラマより遙かによくできている。少年時代篇のエピソードだけでも僕は何度も涙したし、成人になって維新回転の活躍をし始める龍馬やその周囲の登場人物たちにも、圧倒的な存在感と不思議な説得力があった。妙なオリジナルをやるくらいなら、ちゃんとした漫画を原作にした大河をやってくれとは、何年も前から思っていることなのだが。

まあ、まだ1話を見ただけなので、これからどんな風にこの物語が化けるかはわからないものの、正直、オープニングCGのおおぎょうさに比べて中味の薄さが際だつ印象であったことよ。しかもタイトルは『龍馬伝』ときたものだ。中味は龍馬伝説だとでもいうつもりなのだろうか。

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