昔は母似だと言われた
昭和30年前後に生まれた、ひらたく言ってテレビ放送の勃興期からテレビを見ている子どもにとって、アメリカドラマを一度も見たことがないという人間はほとんどいないと思う。
実際、あの頃は日本のテレビ放送のオリジナルコンテンツもまだ少なく、朝昼晩どの時間帯にもどこかのチャンネルで必ずアメリカ映画かアメリカドラマが放映されていた。もちろん輸入されるのは本国である程度人気の高い、つまり出来のいい作品である率が高いわけだから、プライムタイムに堂堂とアメリカドラマがずらりと並び、そのどれもがかなり面白いという時期を僕らは経験している。
同世代の友人と話をすれば、その頃見ていたアメリカドラマのタイトルで、だいたいの現在の傾向が納得できるのが面白い。たとえば現在、ミリタリーマニアやガンマニアになっている連中は、十中八九『コンバット』を見ている。傾向で言えば他に『拳銃無宿』とか『ララミー牧場』とかその手のガンアクション系ですな。
物書きとか編集仲間の場合、『ヒッチコック劇場』とか『トワイライト・ゾーン』を見ていた人間はかなり多い。確かに僕もときどき見ていたけど、ストーリー作りの妙味はあの中にだいたいすべて収まっている。昔、SF関係の同人をやっていた友人とは『宇宙家族ロビンソン』や『スター・トレック』、『海底大作戦』の話などで盛り上がったことがある。三つ子の魂というのかどうか、とにかく幼時に見ていたアメリカドラマを聞けば、その後の趣味嗜好がさもありなんと納得できることが多くて笑ってしまう。
ま、僕の場合、戦争物や西部劇、刑事物などでガンアクションのきつい系はほとんど見た覚えがない。子どもの頃から争いごとが嫌いだったんだね。というよりめちゃくちゃ小心な子どもだったものだから、人が撃たれたりとか斬られたりとかいう描写に耐えられなかったと言った方が正しい。だから『コンバット』なんて僕は一度も見た覚えがない。なにしろ昔、母の隣で見ていた大河ドラマの『源義経』で、伊勢三郎が目を射貫かれるシーンや弁慶の立往生の場面が、トラウマのようにいまだに脳裏に焼き付いてるくらいだ。ちなみに僕はこんな仕事と過去を持ちながら何だが、エロとグロと暴力に関しては思春期以前の青少年に対する規制容認派である。
僕が好きだったのはどうもその頃からコメディだったようだ。やっぱり性格が出ているだろうか。もちろん大っぴらに殺人が行なわれるようなドラマでさえなければ、僕はアクション物もSFもかなり見ていたテレビっ子の部類に属する。ただ、記憶によく残ってるのはヒーロー物などよりどちらかというとファミリードラマやコメディに偏っている。ファミリードラマったって、あれはコメディの1ジャンルのようなものだからね。その頃、見ていたもので強いて何かあげろと言われたら……『三ばか大将』とか『エド』とか『じゃじゃ馬億万長者』とかだろうか。『エド』ってのは馬が喋るって話で、またこの馬が皮肉屋で飼い主馬鹿にしまくりだった。
さて、小学校高学年から中学生くらいになると、日本のドラマもずいぶん充実してきて、以前ほどアメリカドラマが席巻する状態は解消されてきたが、この頃からアメリカドラマはジャンル物として、つまり刑事物とか弁護士物とかある一つのジャンルがヒットすると、数年くらいのスパンではあるが、同じジャンルのドラマが続けて放映されるようになってきた。ずっとアメリカ刑事ドラマを放映していた枠では、その番組が終わっても続いて別の刑事ドラマが流されたり、探偵ドラマの枠ではやはり探偵ドラマが始まるとか。
それでいえば小学高学年の頃に僕がハマったのは何と、スパイドラマだったのである。いま思い出してすごくざっくり分類すれば、僕は中学時代は『謎の円盤UFO』で向こうのSFドラマにハマり、高校時代は『刑事コロンボ』で刑事ドラマにハマった。わかりやすいなあ。日本でスパイドラマが流行ったのは、やはり映画の影響だろう。『007』シリーズが世界的にヒットし、ハリウッドはスパイ映画というジャンルに次々と新作を送り出した。時は冷戦真っ盛り。スパイはあの頃、もっとも旬な素材だったのだ。
ところでスパイと言えば、本来は地味で派手さなどとはまったく無縁の存在だ。敵対する組織か国家の中に潜入し、ひそかに情報を盗って自分の本来の帰属先に連絡する。スパイアクションなんて和製英語があるけど、アクションなんかしたらスパイじゃありませんから。その意味では007とかその手の映画の主人公になる連中は正確にはスパイというより、破壊工作員に近い。まあ敵国で活動を行なうという意味で広義のスパイと言えなくもないが。
もちろんリアリティを追求したスパイ映画の傑作も数多く作られてはいたが、世間の記憶に残るスパイ映画というと『007』だったりする。すなわち映画がヒットしたおかげで一般的なイメージとして定着したあの頃のスパイとは、そもそも一から十まで虚構の存在だということだ。MI6もCIAも実在するし、それぞれ海外で非合法な活動をしていたことも事実だろうが、映画で描かれるスパイは現実のスパイとは違う形で作り上げられた。これは僕の私見だが、『007』も含め、これを仮にトンデモ系のスパイ映画と呼ぶとすると、トンデモスパイ映画は明らかにこれもコメディの1ジャンルとして認識されるべき時期があった。ジェームズ・コバーンの『電撃フリント』とかディーン・マーチンだったかな、『サイレンサー部隊』シリーズとか。
争いごとの嫌いな少年時代の僕がスパイドラマにハマれた理由はここにある。本来のスパイドラマなら、暗く、しちめんどくさく、地味で複雑なものだから、子どもの僕が毎週見たいなんて思うはずはない。ところがあの頃の日本に入ってきたスパイドラマや映画なんてほとんど基本的にトンデモだから、安心できるコメディとして見られる部分があったのだ。主人公のスパイは男前でおしゃれでダンディで、歩いてるだけで女が勝手に寄ってくる。しかもどんな危機的状況にあっても、必ず一発ギャグを言ってからでないと行動しない。その頃小学生の男の子なら、10人に7~8人は大きくなったらスパイになろうと思ったはずだ。
僕が『ナポレオン・ソロ』が好きで『スパイ大作戦』を見なかったのは上記の理由の通り、『スパイ大作戦』の方にはコメディ要素が少なかったからだ。てことは、『スパイ大作戦』の方が本格に近いと言えたのかも知れないが、あの頃の僕にとって笑えないスパイものなんて、何の興味もなかった。で、そんな僕が子どもの頃、毎週熱中してみていたスパイドラマの大本命と言えば『それ行け! スマート』を置いて他にない。これは当時、30分番組の二本立てという構成でプログラムされていて、前半30分が女探偵を主人公にした『ハニーにおまかせ』、そして後半30分がこの『スマート』だったから、僕は前半を見ないようにして『スマート』の始まる時間にテレビをつけていた。
いまから思えば、『それ行け!』は当時のスパイドラマがコメディだという状況を完全に逆手にとったパロディの傑作だった。その精神を最も象徴的に表わしているのがあのオープニング、つまり幾重にも閉ざされた厳重な扉を次々と通り抜けた主人公のマックス・スマートが、最後の部屋にぽつんと置かれた電話ボックスの中に入るというあれ。
もっとも小学生の僕はそんなややこしいことを考えているわけもなく、ただ単純に面白いから見ていたわけだが、いま同じ物を見ると本当にくだらねえ~と絶叫したくなるようなシーンの連続であるに違いない。でも靴に仕込まれた無線機とか、ちょっとマジで欲しかった。やっぱり相当に不便だろうけどな。ずいぶん後年になって、あのドラマにメル・ブルックスが絡んでたと気づき、なるほどなあと納得したことがある。そう言や二十歳前後の頃はメル・ブルックスの大ファンで、やたら見に行っていた。『めまい』のパロディなんて最高だもんね。
当然、そんな『それ行け!』がリメイクされたと聞けば見ないわけにはいかない。結局劇場へは行けなかったが、妻と並んでテレビで鑑賞。ちなみに『ゲット、スマート』は原題。多分ニュアンスとしては「やったね、スマート」とか「頑張れ、スマート」というくらいの感じかも知れないが、往年ファンの僕としてはやはりこれは日本で放映していたままの「それ行け! スマート」でいってほしかった。だってほんとにあれ、それ行け、スマートって感じがぴったりくるんだもの。お調子者を演じることの多い藤村有広さんがポーカーフェイスの主人公、スマートの吹替えをやっていたのも懐かしい。
で、こういう昔の記憶が残ってる作品を見る場合、しかも昔の作品に愛着を感じていればいるほど、新作を見るのは期待と不安が半々になる。ただ、さすがにハリウッドの作品は日本のリメイク物と違って、悲惨な作品になることはほとんどないから、その分は安心していられるが。で、実際見てみると。
僕はこれを劇場で見なかったのが悔やまれる。昔のスマートに比べればちょっと強すぎるし、かっこもいいのだが、あの『それ行け! スマート』という作品自体が持っていた精神はちゃんと押さえた上で、バカバカしさとアクションをさらにスケールアップし、十分見応えのあるエンターテイメントに仕上げている。しかも往年のファンにはついにやっとさせてしまうような仕掛けも、ちゃんと随所に残している。正直大満足。ぜひ続編お願いします。
満足させてくれたのはスマートの相棒になる99号が、ぐっと若くて美人になっていることもある。アン・ハサウェイ、けっこう好みのタイプなんだよね。で、タイトルのセリフはこの99号がスマートに、自分が過去に一度任務に失敗したために、もう同じ顔が使えなくて整形しまくったという告白をしているところなんだが、そこでふとこんな言葉を漏らすのだ。もちろん全編ギャグに彩られた物語だから、このシーンだってつい笑っちゃう部分ではあるものの、さらっと流されたこのセリフ自体にはしかし、ある種の悲哀が籠もっている。
全体ここもバカバカしいシチュエーションなんだけど、なのにキャラの心理と置かれた状況をさりげない一言で表現している。向こうはコメディの脚本書いてたって手は抜いてないよなあ、と感心するのは、こういうところだ。
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