無茶も休み休み…
■ 2010/07/12(月) 13:50:52 :雨
なんてタイトルは時節柄、選挙の話でもすると思われそうだが、悪いけど昨日の選挙、僕は何の興味も持てなかった。なにしろ日曜日は投票に行く直前まで、妻に理不尽な喧嘩を売られてキレまくっていて、今回の選挙は棄権しようと思っていたくらいだ。結局、かろうじて冷静さを取り戻した妻になだめられて投票には行ったけど。
とはいえ日曜の夜と言えば、僕はNHK大河の『龍馬伝』を一応第一話から見ている。相変わらず主役に違和感はあるが、脇役には光る芝居を見せる人もおり、ある部分においては見応えのある箇所もたまにあるなあというのが半年ばかり見てきた評価。ま、コーンスターチ効果なのかはたまた香川弥太郎効果なのか、セットと人物の汚しっぷりは坂雲以来すっかり手慣れた感じになってきた。あ、ちなみに今回はもろ『龍馬伝』の話なので、興味ない人はすっ飛ばしてつかさい。
そもそもなんであれを見続けてるかと言えば、それはまったく僕の仕事上の事情に由来しているので、それさえなきゃ第1話を見た段階で『天地人』とか『白發中』のようなものの如く、はい消えたと呟いて以後は二度と近づかなかったはず。だが『龍馬』の話はそこそこ背筋につらいものを感じながらも我慢して見始めたら、意外に脇役が光り始めたおかげでかろうじてここまでつないでこれた。
まあ主役を引き立たせるために、妙なエピソードが時々挿入されることもあるけれど、それは見ないふりさえすれば、あれほど貫禄のある吉田東洋を見たのは初めてだったし、革命の熱気に浮かされて暴走を始める武市半平太の狂気も汲み取れる。あの宮迫でさえ、それなりに当時の下級武士の顔つきに見えたほどだから、つまり主役以外の登場人物のキャラはそこそこよく出来ていたということだ。ところが、最近ここへきてそれもだんだんつらくなってきたのである。
ドラマとは必ずフィクションである。仮に事実を忠実に再現しましたという触れ込みで作られた場合でも、それはノンフィクションドラマというフィクションに過ぎず、だから、元来フィクションであるドラマの内容筋立てにおいては、それが実在の人物や事件を描いたものであっても、実際にはあり得ないことを描いたり、または登場人物に史実と異なる行動をとらせたり作家の心情を仮託したところで、ドラマである以上許される。てゆーか、そこは許してほしい。作り手としては、だ。
ただ、それもあくまでバランスの問題。4~500年も前の話ならともかく、幕末くらいになると様々な人が実に様々な記録を残しているから、なかなか実在の人物を作家の空想だけで動かすのは難しくなる。別の言い方をすれば、作家の腕の見せ所は資料を駆使しつつ、その隙間に自分の解釈を埋め込むというあたりだったりする。で、僕はドラマに関しては娯楽第一主義、人生においては快楽第一主義を標榜しているので、面白ければたいていのことは許すのだが、このドラマ、黙って見てりゃなんかいろんな無茶をやりはじめてきて、どうやら仏の顔も五度六度という気分になってきた。
くどいようだが、僕は歴史ドラマで作家が嘘を書いてるから即そのドラマはダメという論法には与しない。だって作家は嘘書いてなんぼだし『篤姫』なんか一年を通じてハマりまくった。ただ、創作ドラマに関してついていい嘘、ついて悪い嘘の区別なんかないが、面白い嘘とつまらない嘘の区別はある。言い換えれば、そのドラマを見ていて思わず、なるほどこれはもしかしたらと思わせるような嘘と、はなから鼻で笑うしかないような嘘の二種類だ。で、考えてみればこの脚本、そもそも第一話からあまり面白くなかったのだな。いまさら告白しちゃって何ですが。
少し具体的に述べると、作り手がドラマチックに話を盛り上げたいという気持ちはもちろんよくわかる。ただ、その盛り上げ方が安い。趣味の問題もあるから必ずしもベタが悪いとは言わないが、このドラマ、下手な虚構を重ねてキャラが陳腐化の一途を辿っている。ほらいわんこっちゃないなどと言うつもりは毛頭ないけれど、もともとこの主役はリスキーなキャスティングだったのだ。焦って主役の龍馬を表に立たせようとすればするほど、湯川教授になってしまってきている。これは主役の芸風をねじ伏せるようなキャラを立てられなかった脚本の責任。
たとえば神戸の海軍操練所が閉鎖された後、龍馬は藩に捕らえられた武市半平太を救うためいきなり土佐に帰ってくる。しかもあろうことか、藩の上士で武市の取調べも担当している後藤象二郎の前に現われ、吉田東洋を殺したのはわしじゃと嘯いて武市の罪を免れさせようとする。無茶も休み休みしてほしい。漫画作家でもなかなかそこまで大胆な想像力は持たない。
その行動を成立させるためには、土佐の国境が脱藩者でも無宿人でもほぼ出入り自由な状態であることを前提にしなければならない。もちろん絶対無理とは言わないが、龍馬は実は御庭番であったという裏設定でもあるならともかく、都合のいいときにふらっと実家に顔も出せるなんて状況はあまりにご都合過ぎる。また後藤の前に現われてあんなことを言った以上、後藤がその気になれば国境はすべて固められ、土佐に潜入した龍馬は袋の鼠になる。そういう状況の説明もせずに、何か一仕事終わった龍馬は次のカットではまた神戸に戻ったりしている。もちろん龍馬の決死の行動(?)の甲斐もなく、以蔵も武市も処刑される。じゃ、龍馬、何しに帰ったの?
理由は一つ。展開として間が持たなかったこと以外にない。このドラマ、前半の好調はやはり、以蔵や武市を演じる役者の迫力でもっていたフシがある。だから作り手も武市を必要以上に長く引っ張ってしまった。だって武市が捕まってからでもひと月以上は経ってるでしょ。ほとんど牢の中で正座してるような画面しかないのに。それでも武市を出すと、ますます主人公の龍馬の影が薄くなってしまう。どうしたもんかと困ったあげく、龍馬を土佐にもう一度戻して、武市のドラマと連動させようとしたんだろう。が、そのことがさらに龍馬の行動をわけのわからないものにしてしまったというお粗末。正直、僕はあの展開を見て鼻で笑ってしまった。
さて、武市側にも気の毒な展開はある。それは解釈の問題。
土佐で失脚して投獄されていた武市半平太が、岡田以蔵が捕まったと聞いて、彼の口を封じるために毒饅頭を差し入れするという、『竜馬がゆく』ファンなら誰でも知ってる有名なエピソードがある。司馬さんの筆でそのエピソードを読んだ僕らは、そこに武市の限界と悲劇、以蔵の哀れさを思うわけだが、このドラマではそこをどう解釈したかというと、武市は以蔵が毎日拷問にあわされ続けるのが気の毒でたまらないから、毒入り饅頭を食わせて早く楽にしてやろうと考えたという解釈になっている。
……をいをい
あのドラマの中で、武市自身は上士格の身分だったから拷問はされなかったものの(これは事実。てか、原則的に江戸時代は士族に対する拷問なんてあり得ない)、同志の郷士たちが拷問され続けるのは武市が東洋暗殺を命じたことを黙秘していたからということになっており、だったら以蔵が捕まる前に拷問されていた同志たちをなんで片っ端から毒殺してやらなかったんだ? という話にもなってくる。あるいはどれほどひどい拷問を受けても口を割らずに頑張ってる以蔵が気の毒だというなら、さっさと自分で罪を認め、他人に毒饅頭を仕込む暇があるなら自分でそれを食っちゃえばよかったじゃん。ここを脚本の中でちゃんと説明できない限り、そんな心情に納得できると思うか? あれでは武市はただの身勝手なバカである。しかもそんな展開を、何かいい話っぽくムード音楽かぶせて見せられてもなあ……。
何より土佐を一藩勤王にするため手段を選ばなくなっていく、すなわち現実に政治を行なうことの非情さに目覚めていった武市が、そんな甘っちょろい神経の持主でいいのか。政治の魔力に取り込まれてモンスターとなった武市なら、以蔵の口封じをせねばと考える方が十分「らしい」し納得もいく。また、それでこそ武市という闇の光に照らされて、異なる道を行く龍馬の生き方が映えるというものではないのか。それを龍馬も武市もぐだぐだにしてしまったこの脚本はいったいなんやねん!
ま、これは司馬さんの定説だから、それに乗っかるのは嫌だという一人の作家としてのプライドが働いた可能性もあるが、だったら最初からこのエピソードを使わなければよかった。もしくは後藤象二郎あたりが一計を案じ、致死量すれすれの毒を入れた饅頭を武市からだという偽の伝言とともに以蔵に贈ったことにするとかね。そうすれば死の淵から蘇った以蔵は武市に裏切られたと思い、勤王党の関わった暗殺をゲロってしまうという展開で、お話は自然につながるし、後藤のキャラも立つ。後にそんな後藤と結ばねばならない龍馬の葛藤も描けるじゃん。
とまあ、昨日放映されたエピソードを見てから、とうとうブログで個人的な不満をぶちまけるという、もっとも多くの人がやっているやってはいけないことをしでかしてしまった僕だが、実際あのドラマ、これからますます盛り上がっていかねばならないところで明らかに失速してきてる。ケチのつきはじめは僕は海舟とおりょうが出てきた辺りからじゃないかと思ってるが、あながち外れてないんじゃないか。だいたい誰が海舟を鉄矢でいいと言ったのか!? 海舟が龍馬と会った頃は確か四十前後くらいだ。緒方洪庵はまだ許すが、あの海舟は無茶しすぎだろ。それと無口なおりょう。
正直、真木よう子はちょっと気になる女優なので注目はしてたんだが、あんなキャラでは彼女も芝居のしようがない。気の毒。おりょうさんは海援隊の仲間からは「姐さん」と呼ばれ、酒を飲めばうわばみだった。龍馬がなんでおりょうに惚れたか。頭の回転が速く、明るくてユーモアも解し、一緒にいてめちゃ楽しかったからに決まってる。江戸で佐那に片袖を破って与えた後(ま、これは例によって司馬さんの創作かもしれないが)、その舌の根も乾かぬ半年後には乙女さんにめっちゃおもろい女に会ったぜよ~なんてはしゃいだ手紙を国元に送っとるのだ。いまのおりょうで果たしてそんな感じになれるのか?
吉田東洋が殺され、大森半平太も消える。かわって出てきたのが老けすぎた金八に暗すぎるおりょう、後半の重要人物西郷隆盛はレッドカーペットの迫力なさすぎるハゲだ。なんだかこれ以上、このドラマを見続けようという意欲が、サイド7から宇宙に漏れていく空気のように薄れていく。ま、僕の仕事もそろそろ大詰めにしなければならないところでもあるし、何かね、来週もこのドラマ見ているかどうか、もう自信がない。
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