忙しい夜
昨夜夜中。リビングで仕事をしていてもなかなか進まないので、神が降りてくるのを待つ間テレビを付けてみたら、BSハイビジョンでマイケル・サンデルの授業をやっていた。
この人はハーバードの教授で、以前、教育テレビでこの人の授業風景をそのまま放送した番組をちらっと見たことはあったのだが、そのときは何となく面白そうだなと思ったものの、僕の方に哲学的なことを考える心理的余裕がどこを探してもまったくなかった。
昨夜は別に余裕があったわけではないが、この教育テレビでやっていた番組をまとめて再放送していたため、ここで見逃せば当分見る機会はないかもと思い、ついついノーパソを開けたままこのクソ時間のない時に見てしまう。せっかくテレビで録画できる機能があるのにどうしたと言われそうだが、その時間帯はもろに録画予約している『もやしもん』と『屍鬼』とかぶっていたのだ。いやいや、おまえDVDレコーダーも持ってんじゃんと言われそうだが、そっちは『あらびき団』と最近再放送を始めた『男女7人夏物語』の録画ですでに埋まっている。なんぼ忙しいんだ、火曜の深夜! ま、こっちの事情だが。
少し前、やはり教育テレビで北山修最後の授業と銘打った番組を4回連続でやっていた。僕は特に北山さん個人に思い入れがあるわけではないが、ああ、これは明らかにマイケル・サンデルの授業番組に影響を受けた企画だなと思ったもので、つい見るともなしに4回見てしまった。ただし、はっきり言って僕があそこの学生であの授業聞いてたら爆睡してたな。もちろん大学の授業なんて基本的に眠たいものと相場は決まってるが、北山さんは昔、ラジオのパーソナリティなんかもやってたのだから話はもっと面白いのではないかと期待していた。あれなら通信高校教育講座の先生の授業を聞いてる方が面白い人がいる。ちょっとがっかり。
それにしてもサンデル教授が得なのは哲学という、誰もがその気になれば自分なりの答を追求できる学問を担当していることだ。つまり教授の理論を1時間ただ拝聴するのではなく、教授の挑戦的な問い、すなわち問題提起に対して学生は常に思考し続けねばならない。たとえば第1回目の授業では、5人の命を救うために1人を見殺しにすることは道徳的か否か。5人を救うために1人の命を積極的に奪うことは正義の行ないと言えるかどうか。教授は究極の二者択一を生徒たちに次々と迫り、彼らの選択となぜそのように考えるに至ったかという意見を引出しながら、正義という概念の本質に迫っていこうとする。
この授業を見ていて僕がああ、そうかと思い出したのは『24』だ。考えてみればあのドラマはテロとの戦いという前提下で、テロリストが次々と作り出す究極の二者択一の状況に、主人公のジャックがさらされ続ける、一言で言えばそんなドラマである。そう考えると確かにあれは、いかにもアメリカ的なドラマであったのだなと再認識した。
僕はあのドラマを耐えられないほどの殺伐さと評するが、それはあの中で作り出される状況の身も蓋もなさというか、どっちを選んでもの救われなさというか、ドラマとはいえそんな選択を突きつけられることのしんどさに半ば耐えきれないからという面もあるのだが、さすがはアメリカ人、連中はあんな娯楽作品の中でさえ、そんなシミュレーションを行なっているのだろう。そりゃあハイジャックが起きたら戦おうとも思うよな。日本人なら洗剤の原液を入れたビニール袋一つ見せるだけで、中年のおっさんでもハイジャックは可能である。そればかりか下手に抵抗しようとでもしたら、同じ日本人乗客にチクられかねないぞ、きっと。
僕は基本的にへなちょこな人間なので、へなちょこな他人を責める気にはあまりならない。てゆーか、日本人が常に白か黒か決断したがったり、変に勇ましくなって始終誰かと戦いたがったり、誰もが声高に正義正義なんて言い始めたりしたら、多分ろくなことにならない。もちろんこんなタイプの人間が僕の見える範囲内にいたら、僕は多分絶対そいつだけは信用しない。これはつい半世紀ばかり前に、先人が命がけで残してくれた歴史の知恵というものだ。
日本へなちょこ党の僕としては、いまのままなるべく深刻なことは何も考えないで臨終まで過ごしていけたらこれに越したことはないだろうが、そんなこといってもいろいろご時世が切羽詰まってくると、なかなかそうもいかなくなってきたのだよと年上の誰かに諭されるのだとしてもなお、日本人がこれ以上、アメリカ人みたいなものの考え方なんかしなくていいと思っている僕は、サンデル教授の授業を聞きながらぼんやりそんなことを考える。
臓器移植やら自然との付合い方やら、果ては無論戦争に至るまで欧米人の思考形態の根本には、立ち向かって問題を解決するという態度が感じられる。僕自身、少年期からハリウッド映画やスポ根漫画やら様々な二次文化にまみれてきたおかげで、どちらかといえば割とそういう考えに近い人だった時期もある。それにもちろん、いわゆる朝鮮精神もとい、挑戦精神そのものが悪いわけではないこともわかってる。だが五十の坂を越えて最近の僕の行動規範は、おおよそ次の言葉に集約されるようになってきた。曰く「なるようにしかならない」
僕がサンデル教授の授業に出て、5人を救うために1人を殺すかどうかと問われればどう答えるか。多分僕はだからといって、誰か1人を犠牲にしようとはやっぱり思わないだろう。そもそもなぜ、1人を殺してまでその5人は生き延びねばならないのか。間の悪い船か飛行機かに乗り合わせてしまった己の身の不運はさんざん嘆くかもしれないが、まあ最終的には仕方ないじゃん。と、思うしかないというのが僕の答え。その意味で僕は『24』の殺伐さよりも『ダークナイト』の苦い結末の方に、製作者の善意と希望を感じる。
だけどこれは要するに、問題を解決しないことを選択するという行為でもあり、日本人はよくこういうことを平気でやるけど、サンデル教授にはきっと赤点くらうわな。
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