あながち、勘違いではないかもしれんぞ
昨日午後東京より帰宅。例によって一週間もホテルに籠もっていた割りには今回もあまり大した成果はあがらなかったのだが、まあでも、とにかくやらねばならぬだわという現実を自分に言い聞かせるためだけの効果は少なくともあった、ということにしよう。ただそれだけのためにとなると出費としては相当痛い気もするが、痛くしないと身に沁みないということもある。もしかして僕は体罰肯定派だったのか?
そんなこんなで帰宅してからも仕事三昧。そんな合間でも留守中に録っておいたテレビ番組などは、ちらちらと目を通しておく。目玉はNHKで放送していた『火の魚』。これ、ずいぶん前に一度放送しているが、そのときは何かの事情で見ることが出来ず、放映が終わってから評判が良かったのを聞いて損した思いをしていたのだ。
今回、上京前にテレビの番組表でめぼしい番組録画予約をしている時に偶然、これの再放送予定を見つけ、速攻チェック。帰ってきて今朝方、つまり月曜の朝二時か三時くらいに見る。格別波乱に満ちたドラマチックな展開があるわけではなく、舞台もどこか田舎の港町限定で、偏屈な老作家と彼の原稿を取りに来た女性編集者の関係性が淡々とつむがれていく。原田芳雄の、尾野真千子に対する視線がいい。この男の心情が無理なく切なく理解できるようになってしまった僕は、やっぱり残り時間の少ない人生側にいま来てしまっているんだな。
ラスト近く。癌の転移か再発かで入院中の尾野真千子を、二度と都会には近づくまいと決意していた原田芳雄が、花束を一つ持って訪ねてくる。死を恐れて都会を離れた老境の男が、死を目前にした若い女に抱いたほのかな恋心の機微が、原田芳雄の一本調子なセリフ読みで聞くと、案外胸に迫ってくる。原田から受け取った花束を見て、劇中、ほとんど表情を緩めなかった尾野が微かに口元を緩め「先生、わたくし、いま……なんだかもてている気分でございます」と言う。すると原田も相変わらずぶっきらぼうに応えるのだ。「あながち、勘違いではないかもしれんぞ」
僕はセリフの一言一句を忠実に覚えるタイプの人間ではないので、正確さには責任が持てないが、確かおおよそこんな感じのやりとりがあった。こういう会話は僕の好み。
原作は室生犀星。室生犀星にそんな作品のあることは知らなかったが、そもそも室生犀星を僕は多分読んだことがない。この夏、NHKBSで文豪の怪談をドラマ化するというミニシリーズが放映され、これはどの作品もなかなか興味深く面白い作品が集まったが、それは脚本や演出の出来よりもむしろ、その原作となった作品のさすがの重量感のおかげだろう。なにしろラインナップは川端康成とか芥川とか本当に文豪と呼ぶしかない人たちばかりだもの。
僕は中でも確か『後日のこと』だったか? こんなタイトルの作品がとりわけ心に沁みた。原作は誰かと思えば、これが室生犀星である。もう怪談じゃあないけどね、あれは。『ペット・セマタリー』からホラーとグロ要素を抜いて感動的な話にしたらあんな感じかも。
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