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2011年3月

ご利用を戦略的に・・・(;^_^A

ちなみに以下の日記はおよそ一と月前の日記なんだけど、だからここで書かれている内容の作品はもう先週雑誌に掲載されてしまっているわけですが、ま、せっかく書いておいた記事、使わないのももったいないので、執筆当時の日付に修正した上でUPします。

 

(以下本文)

 

『なみだ坂』540話ようやくアップ。本来の〆切から3週間くらい遅れているが、そんなこと言い出せば僕は他のこともすべて概ね遅れている。そもそも僕の人生なんて所詮、何もかも手遅れの連続なのだ。

 

今回のシナリオ、実は以前にもボツを喰らった震災ネタを少し入れてある。はっきり言ってこれをまたボツにされて書き直していたら、ただでさえ苦しい進行がさらに苦しくなるだろうという状態。それを承知で向こうがまたボツ喰らわすかどうかは原稿送った時点で五分五分だなとは思っていたものの、もちろんこの状態は意図的に作り出したものではない。
 

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修羅の群れ

相変わらず仕事は遅々として進まず。いらいらして日中、家で1時間仕事しては外に出たくなり、外で1時間仕事してはまた家に帰ってきて、家では何となく落ち着かないのでまた外に出かけて30分ばかり仕事したり、などという日常を繰り返している。

 

そんなに出入りしていると、時間帯によっては隣近所の子どもに見つかる危険性が高くなるので、いま真剣に裏庭から出入りしようかなどと考えているのだが、裏庭から柵を越えて出て行くのはいいとして、裏庭に出るにはサッシの窓から出るわけだから、そのサッシの鍵を外から閉める方法がないというのは一つのネックだわな。

 

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朝まで舐めてれば

先週録っておいた『朝まで生テレビ』を見る。
 
ここ何年にもわたって見かけることさえ滅多にしなくなった番組だが、これでもこの番組が始まった当初は、僕はわりと熱心な視聴者だった。テーマによっては文字通り朝まで、あの頃は5時間くらいやってたような記憶もあるが、番組の最後まで見きったこともよくある。ビデオデッキなんてまだまだ貧乏アルバイトには高級品だったし、金はないが暇なら十分あった頃で、興味あるテーマならとにかく生で見るしかなかったのだ。
 
だから初期の『朝生』を知る者にとって最近のあの番組はもう、朝まで付き合う気になるどころか、見れば深い徒労感と時間を無駄に使ってしまった悔恨を思いしらされる代物になってしまったが、その凋落の最たる原因はやはり、魅力ある論客タレントがいなくなってしまったことが大きい。30年くらい前の『朝生』は扱うテーマもかなり挑戦的だったし、それに合わせて集められた論客の人選も相当に刺激的だった。
 
少なくともここ数年の『朝生』は、たまにチャンネルを合わせてみても、円卓に並んだゲストはその中味が概ね小粒な人しか見かけなくなった。あるいは専門分野などなく、振れば何でも適当に話を返せる便利な存在として使われる人など、はっきり言ってもう自分ごと勘違いしたちんぴらのようなのしかいない。僕が見た折りだけたまたまそういう巡り合わせだったのかもしれないが、いずれにせよ昔のオールラウンダーは、もう少し見識というものを備えた人が両陣営共にいたはずだ。
 

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キレたか・・・

2、3日前からときどき大便をして尻を拭くと、トイレットペーパーに血がつくことがある。
 
まあ、便の色自体は特に黒色タールのようなというわけでもなく、黒っぽい時もあれば茶色に近い時もあるし、ペーパーについた血の色は潜血なので、まあ「ぢ」(by ひさや)だろうと。

 

そういや3日ほど前にトイレで1時間座っても出ないからえらくいきんだことがあったが、あのときから確かに肛門にどこか切れたような鋭角な痛みと、便を絞り出すたびに感じる傷口に塩を塗り込まれるような感覚、そういうものは確かにあったから、まあこれは「ぢ」に違いなかろうと、勝手に自己診断して平然としておるわけだが。
 
さっき、といっても夜中の1時頃だから、

 

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しかし赤星もナンだな、

まさか自分の顔と声が、ああしょっちゅうしょっちゅうテレビから流れてくることになるとは、思いもしなかったろうな。ま、それはオシムさんも仁科母子も同様だったろうが。
 
もちろんこれは震災以来、一気に姿を消したテレビCMのかわりに延々と繰り返し流されているACすなわち公共広告機構のCMの話で、そもそも震災が起きてから丸三日くらいはCMさえ一本も入らなかった。それが三日目か四日目くらいからようやくCMが入り出したと思ったら、これが見事に全部ACのCMオンリーだったと。だからCMになるたび15秒おきに「エーシーッ」というエンドクレジットのジングルが聞こえてきて、さすがにあれはだんだん耳に障るとどこかから苦情があったらしく、途中からあのジングルはまったく聞こえなくなってしまった。何でも試しに言ってみるもんだな。
 
だったら僕は赤星やオシムさんには別に文句は言わんけど、あのゆる~いアニメのキャラがぬる~いメロディで「こんにちワン」だの「ありがとウサギ」だの言うあのCMだけは、何とかしてほしいと思う。そもそも何を意図して何を訴えかけているCMなのか、その狙いも当初は不明だったが、単に挨拶しましょうとかそんなことをわざわざ言うためだけのCMだったとしても、あれだけ繰り返されると、もうあのメロディのイントロが流れてくるだけで理由もなくイラっとしてしまうようになってしまった。それこそこのままでは町で「こんにちは」と挨拶されただけでそいつをぶん殴りたくなってしまうという、恐らくあのCMの趣旨とはまるっぽ逆効果の結果しか招来しないのではないかと思うのだが、いかがなものか。
 
こうなるとさすがに中居くんのウコンのCMでさえもがちょっぴり懐かしくなってしまうほどで、そのこと自体が僕にとって連日のAC責めの深刻さを物語っているといえよう。総務省かどこかが直接CMのオンエアを禁じたなんて話はいまのところ聞かないから、恐らくこれは放送局の自粛だと思うけれど、この国の放送局はどんだけ自粛好きなのか。ま、自慰好きの僕がそんなこと言うのも何だが。

アバターも始めました

というわけで、ちょっと報告は遅れましたが、ま、別に毎日ここを覗きに来る客でもなければあまり関係のないことなのでいまさらながらではありますが、見れば一目瞭然、アバターもくっつけてみました。

 

一部にかわいすぎという評判もあるアバターですが、なにしろ本人がかわいいのだから仕方ありませんな。実家の近辺で僕に挨拶してくれるおばちゃんたちは皆、ほんま、昔はかわいい子ぉやったもんなあと、僕の顔をしげしげと眺めながらなぜか全員過去形でしか語らないが、ま、これでも有力な情況証拠の証言にはなろうというものです。

 

ともあれ管理ページで見つけたので、ちょっと使ってみるかという気になってのっけてみましたが、友だち申請たらなんたら妙なボタンも一杯ついてたので、試しにポチッとしてみたら、自分で自分の友だちにはなれませんという表示が出て拒まれてしまいました。

 

俺は自分の最良の友は、まず自分であるべきだと思っているのだがな と、思わず池田秀一風の声でシスオペに投書しようかと思いましたが、考えてみればいまはもうシスオペっていないのかな……

 

そんなこんなで、いろんなボタンはNiftyの会員でないと関係ないみたいです。こんなもののボタンを押すためにわざわざNiftyの会員になる人がいるとも思えないので、それはもう、結婚後にわかった相手の連れ子みたいなもんで、そういうもんなのだと諦めてください。

無事!

昨日、気仙沼の友人に電話が通じる。港に近い市内に住んでいたOくんの電話はつながらなかったが、山の方に住んでいたAくんの電話は繋がったのだ。

 

Aは年賀状ももう十年くらい途切れていたから、直接話すのは実に二十数年ぶりくらいになる。が、友人には違いない。相手が僕だとわかると、彼は昔と変わらぬ茫洋とした調子で訊ねたものだ。「おぉ~う、久しぶりぃ~。今日は、どうしたあ?」

 

どうしたもこうしたもあるかっ!!! おまえ、いま自分の置かれてる立場が全国的にどれほどものすごいことになっとるか、全然わかっとらんやろっ! と、僕は安否の確認をする前に、すでに脳の血管が数本ぶちぶちっと音を立てるのを聞きながら怒鳴っていた。そんなこと言ったって、電話が通じるようになったのはやっと今日からだべさとAはぶつぶつ言うておったが、デスクの上に置いた左手の甲が何か冷たくなったのは、顔からだらだらと流れていた涙のせいであったと、電話を切ってから気づいた。

 

無事だった。Aの方は山に近い位置に家があって、もちろん地震は激しく揺れたが、津波の被害は受けずに済んだのだ。Oの家はダメだったらしい。ただし、Oの一家は全員無事で避難していることをAが教えてくれた。避難生活を送っているなら相当に大変ではあるだろうが、それでもみんな無事だったならそれに越したことはない。

 

僕はAの間延びした声にいらいらして、人がどんだけ心配したと思ってんだという思いもこめえの、ほぼずっと電話では怒鳴りまくっていたが、この時の僕の顔をビデオにでも録っておけば、きっと竹中の笑いながら怒る人のネタを完全に再現したような状態になっていただろう。

 

とにかくよかった。……ほっとした。

ご利用は戦略的に(^_-)

今日は朝から、というより昼頃から、というのも1Fリビングのこたつの中でうつらうつらと目を覚ましてから、その頭が何か筋道の立ったことを考えてものを書いてもいいよという状態に達するまでアイドリングしていると、やはりどうしても昼頃まで待たないことには最近の僕の頭脳はまともに働いてくれないのであり、それにしても昼頃から書き始めてともあれ午後の9時前には『なみだ坂』の原稿を1本あげてしまったというのは、僕にしては久々のハイペースであることは間違いない。

 

で、この1本を、飯喰ったり糞ひったり福島原発の現状を確かめたりしながらの合間に作業を進めているため、そんな余分な時間を抜いてみると正味は恐らく6時間くらいで仕上げている。ならば僕の純粋な執筆速度はざっと1時間3枚くらいのスピードと言えるだろう。もちろん原稿を書くという作業は、右側に何か紙の束が積んであって、それを1枚ずつ左側にただ積み上げていくという作業などとはわけが違うので、たとえば本当に1時間3枚で原稿が書けるなら、300枚の原稿を書くにはたったの100時間で済むという極めて嬉しい計算もたつのに、僕はいま小説の原稿を書き始めたと宣言した時からおよそ750日かけて、やっと250枚ばかりの原稿になったということは、執筆速度でいえば3日に1枚しか書いてない計算になるという事実に、かくいう僕もいま初めて気づき、軽く愕然としちゃったりしているところだったりする。

 

ちなみに今日の文面が、やたらセンテンスの長いだらだらしたものになっているのは野坂昭如好みではなく、単にいま読んでいる金井美恵子のエッセイの影響をもろに受けているためだ。そんなことを書いてみたところで彼女にとって僕なぞは塵芥なみの歯牙にもかけられる存在ではないのだが、それほど彼女のエッセイは恐い物知らずの面白さ。もう年喰って誰に遠慮するせいもなくなったおかげか、それとも若い頃からもともとそんな気性だったのか、とにかくこの人の文章は誰であろうが実名が出てきたらたいていみそもくそもなくぼろかすである。

 

で、最初の話に戻ると、さすがに『なみ診』の原稿も今日上げた段階で最初に想定された〆切より5日は遅れているのだが、実際のところ日曜に書き始めて最初に上がったのは昨日の火曜日。ところがそれを担当編集に送ったところ、およそ1時間くらいですぐに返事があり、数年ぶりに見事なボツを喰らってしまった。

 

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いまできること。

……ないな。

 

はっきり言って、何も思い浮かばない。

 

刻々と増えていく死傷者の数の多さに恐れおののきながら、わずか4日前まで存在していた彼らの日常と人生とたとえばここにいま存在するこの僕との間を分けたものは何かと言えば、僕はたまたまあの日、あの時間にそこにいなかったというだけの話。

 

でも、「そこ」は、もしかしたら明日、「ここ」になるかもしれない。

 

友人には電話もしていない。ただでさえ恐らく大変な時期に電話回線のリソースをいらぬことで使うわけにはいかない。そこへ直接これからすぐにも乗り込んで行って、俺はもう、本気でここで支援するのだからと言い張るつもりでもない限り、無事かどうかをこの段階でただの電話一本で確かめようとするなど、単に自己のささやかないい人願望を、満足させたいに過ぎないだけではないか。と、いまはこのように思おうとしている。

 

昨日、妻と食事に出かけた帰りに、アヤハディオに立ち寄って自家発電でもってラジオとライトとサイレンと、さらにはなんと携帯の充電までできるという多目的ラジオを購入。他に妻の提案で折り畳み式の水ボトル、呼び子笛なども。もしも最初に「ここ」で起きなかったことに何か意味があるとしたら、それは生き残るチャンスを与えられたと意識することだ。

 

帰ってからいつも利用しているエロ動画サイトを覗いてみたら、なんとこんなところでも義援金募集をしていたので、つい数千円の寄付をしてしまう。なんだか微妙に胸を張れない気分になるところが、僕らしくていい。

 

それから蛍光灯の電気を4本点灯から2本点灯に落とす。なに、僕らが子どもの頃の明かりなんて、これよりもっと暗かった。

 

110313

未曾有の・・・

何だか時間が経てば経つほど、えらい状況になっていることに気づく、ということを実は阪神淡路で僕らは経験済みだけど、今度もそんな感じになっているのではないだろうかと、テレビを見るたび悪い予感に胸苦しくなる。しかも阪神淡路の時より被害規模が大きすぎて、まだ全体像が見えずに部分部分の一局面ばかり見ているのではないかという、疑心暗鬼にも襲われている。

 

東京の友人親戚関係はいまのところ、僕や妻が連絡してもよさそうなところには連絡して確かめてみた限りでは、一晩家に帰れなかったとか炊飯器が棚から落ちて壊れたという以外に、大した実害はなかったようだが、やはり東北、特に宮城や岩手にいる友人関係の安否が気になる。あるいは、もう名前さえ覚えてないけれど、僕が大学の頃に無銭旅行していて泊めてくれた漁師さんの家は無事だろうかとか、そんなことがいきなり気に掛かる。そんなこと言ってもいまの僕には祈ることと、あとはせいぜいテレビとエアコンを消して電気を使わないようにすることくらいしかできない。

 

なんだか昨日今日と、まったく仕事をする気にもならないのだが、いつまでもそんなことも言ってはいられない。夕方、図書館に言って資料になりそうな本を借りて帰ってきた後、これから原稿にかかる。

 

今日借りてきた本(八日市図書館)

『猫の一年』 金井美恵子

『ナースの広場』 徳永進

『身近な事例で学ぶ看護倫理』 宮脇美保子

無事か!?

夕方、仕事をしようと南蛮茶に出かけたら、まさに店に足を踏み入れた瞬間に嫁さんから携帯に電話。出てみると「大変なことが起きた」と言う。なんだか声の様子がただごとではないので、店の入口からUターンした僕は家に戻り、テレビを見て唖然とした。それからおよそ8時間、テレビの前の同じ場所に座って、何も手につかずにただ唖然としている。

 

東京に友人が多く、弟は二人とも東京に住んでいて、仕事先はすべて東京という僕はいろいろ心配に思うこともあるけれど、とりあえず今回、東京直撃は免れたようでまず大事はないだろうと思っている。まあ東京でも交通手段がストップしたりして不便な影響を受けた人もいるかもしれないが、下手に様子を聞いて回ったりするのも迷惑なことがあるかもしれないので、あえてこちらから連絡はしない。

 

ただしいま(11時現在)、NHKのニュースを見たら気仙沼がほとんど火の海になっている映像が飛び込んできた。解説によれば市のどのあたりかははっきりわからないが、市街地まで巻き込んで相当の範囲にわたって炎が見えているという話。僕などは阪神淡路の時の長田の映像が完全にフラッシュバックしてしまった。

 

だから気仙沼のOくんよ。もしこのブログを見る時間ができるようになったら、メールでもコメントでもいいので、一言、連絡ください。待ってます。

 

というわけで、今回はほぼ私信連絡。

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