まるで子羊のような心臓の私(^_^;)
基本的に僕は人とのコミュニケーションが苦手で……まあそう言ってしまうといま書いてて、それはちょっと違うかもしれないと思ったので書き直す。
僕は多分、その気にさえなれば不愉快でない限りたいていの他人と話を合わせることも出来るし、そういう意味ではコミュニケーション能力はまあまあ高い方だろう。むしろ僕が調子よく話せる相手にとっては、僕はただのお喋り好きな中年親父とさえ見られているかもしれない。
で、その評価はそれはそれで間違いではない。ただし僕は、相手が誰だろうとべらべら喋れるわけじゃない。それに、やはり僕はそこそこ気分の波が激しいので、喋りたくないときは誰とも喋りたくないという時間だってある。
何が言いたいかというと、つまり僕はのべつまくなく誰かに話しかけていたり、誰かの話を聞いていたりするような素養というものがあまりなくて、これを一言で言えば要するに僕は、自分以外の他人に原則的にあまり関心がないということなのだろう。
そんなことでよく物書きのような商売がやってられると自分でも時々思うことがあるが、フィクション作家の場合はあんなもの、おおむねナルシストの塊だからね。だって自分の創作物の中に出てくるキャラクターは、結果的にすべて、自分が好きなように作った分身だもの。だから極端に言えば引きこもりのような人だって、とりあえず作家にはなれる。職業的に他人への好奇心が素養として必要になるのは、多分ドキュメンタリーをやる人の方だろう。
僕がツイッターやらフェイスブックに登録しているのは、半分は仕事上の必要もあってのことで、それは別にツイッターで情報収集とかフェイスブックで連絡やりとりとかをしたいということではなく、それがいま現代の一つの日常的なツールになってきてしまっているからだ。つまり、いくら古くさい雑誌で古くさい漫画を書いているからといって、僕が書いてる話は昭和30年代の話ではなく現代この時点の話をしていこうと、気持ちだけは突っ張っているので、その意味ではツイッターもFBも無視しては通れないのだ。
なぁんて偉そうなことを言いながら、僕はこれらを一応登録しただけで(なにしろタダだし)、具体的にこれらを何か有用に使った覚えなど、ただの一度もない。はっきり言えばどう使っていいかもわからないし、そもそもこれをどうにか使ってやろうなどという気も起きない。なぜならば、先に述べた通り、僕は始終誰かとつながっていたくなんかないし、むしろほっといてくれと言いたくなることの方が多い性格だからということが多分に影響している。
だからツイッターなんかもう登録して2年くらい経つが、いまだに何だっけ、フォロワーだかフォアグラだか忘れたけど、そんなものはどちらも一人もいない。最初の頃の書き込みを見てると、「南蛮茶なう~」とかそんなことしか書いてない。ツイッターを「呟き」と称するならば、これこそがもっとも正しい呟きであろうよ。
まあ、そんな使い方は本来のこのシステムの狙いとはまた違うのかも知れないが、別に僕はそれで一向に不都合は感じないし、どこかのホコテンに刃物を持って突入し、無差別に他人を殺したくなるような気分にもなったことはない。だから最近ではちょっと気になった本や記事を書き留めるためのスクラップ代わりに使っていて、これはこれで十分役に立っている。
そんな僕が最近、雑誌でちょっとツイッター関連の記事を読んで、初めて知ったのがRTとかTLという単語の意味であった。というか、そんな記号がツイッターで使われていたこと自体、別に他人の発言は読まないからまったく知らなかったのだ。リツイート? なんじゃそれ? てなもんである。考えてみれば僕はツイッターの画面で、自分のメモを投稿する以外、他のボタンを触ったこともなかった。そんな僕が今日、生まれて初めてリツイートなるものを試してしまったのだ。というのが今日の本題。
僕は時々、「なみだ坂診療所」をキーワードにして検索をかけている。笑いたい奴は笑え。単行本も出なければアンケート葉書も見せてもらえない。つまり、最近、俺の仕事は世間でどう評価されているのか、うけてるのか飽きられてるのか、そんなことどもがさっぱりわからないのである。まるでラジオ局のスタジオで壁に向かって一人で落語をやってるような気分だが、そんな時にネットで「なみだ坂」の評判を探ることは、そこそこ気晴らしになる。
というのも、世に知られるヒット作品なんかじゃないから、わざわざネットにこの作品名を挙げて非難するような暇な人はほとんどいない。つまり、ネットに名前が挙がった時点で、そこそこ好意的に、つまり誰も知らないだろうけど、私はこんな漫画が好き、みたいな感じでとりあげてくれる率が、非常に高いのだ()
そういうわけで、さっき久々にネット検索かけたら、2、3件、この作品に言及した記述が見つかった。この滅多に話題にされない数の少なさ加減も、僕にはちょうどいい。どうかするとその2、3件が半年くらいずっと同じものだったりすることもあるのだが、たまにでもこの作品に言及してくれる人がいるのは嬉しいものだ。ところが、今回ヒットした記述が2件とも、実はツイッターの発言だったのだ。
で、僕はツイッター経由でその発言を見たら、短いコメントだがなかなか嬉しいことが書いてあって、何とかこの発言を残しておけないかなと、なみだ坂の原稿にまた取りかかるときに見返して元気を出そうとか、つまり雑誌でモチベーションが高まらない分、直接読者にモチベーションを高めてもらおうかと思ったときに、ふと「リツイート」というボタンが目に入ったわけだ。あ、なんだかよくわかんないけど、このボタンを押してみようかなと。で、そこでそのまま「ぽちっとな」としてみたら。
驚いた。僕のホームの画面に突然、その人の発言が並んでしまったのだ。えぇーっ? リツイートなるものをしたらどうなるか知らなかった僕は、すっかり焦ってしまった。だって僕のメモ欄に使っているツイートにいきなりなみだ坂の賛辞が並ぶんだもの。まず、こんな自意識過剰なことは恥ずかしい。次に、ここでこんな発言が表示されたら、もしかしてそれは発言元である本人にもわかるのではないか、という危惧が芽生えた。
繰り返すが僕はツイッターでフォロワーもフォアグラも一切必要としていない。だからあそこで誰かが突然アクセスしてきたら迷惑とまではいかないが、正直めんどくさい。で、5分ほど僕のタイムラインに表示された全然知らない人の発言を眺めながら、え~と、え~と、と呻吟したあげく、あ、こーすりゃいいのかとリツイート取り消しをしてしまいました。ミッション完了
まあでもこれは、よくよく考えると俺に構うなとかそんな偉そうな話ではなくて、単にびびったに過ぎないというお話。結果的にツイッターで「なみだ坂」に言及してくれた人の発言は、「リツイート」ではなく「お気に入り」というボタンを押してみたら、その発言だけ別の画面で見られるようになったので、ああ、これでいいやと思いました。とっぺんぱらり。
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