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2011年6月

そして今年も半分が過ぎ

3日前。
 
FBのおかげで最近交流が復活した東京の友人から、FB経由でメールが届く。それは共通の知り合いであるOくんの死を報せる内容だった。死因はどうやら心筋梗塞。一人で、自分の部屋から救急車を呼んだ直後に倒れ、そのまま帰らぬ人となったらしい。
 
僕は1985年の阪神優勝を機に会社を辞めてから、なにしろいきなりシナリオで喰えるわけもなく、ほんの一時期、B書房という会社で仕事をさせてもらったことがある。それまで僕がいたS出版という会社は、エロ本の王道を行くような会社で、僕らはまさにエロ本界の紳士たれという規範のもと、堂々としたエロ仕事をしていたわけだが、具体的にこれがどういうことかといえば、お上には決して逆らわず、警察(風紀係)とは友好な関係を保ち、ヤバイ噂のある作家やカメラマンやモデルクラブは決して使わず近づかず、企画は常に2番手を目指して、トップに絶対立つことなかれという精神は社訓のようなものでもあった。
 
ところがこのB書房は当時、ゲリラ的な出版企画で勢力を拡大し、SさんとNさんという2大スター編集者を擁して、ある種、業界の台風の眼のような存在になっていた。当然、S出版とはスタイルも文化も違う。僕はここの編集部に出入りするようになってから、S出版とは違う温度の高さに、正直、悪酔いしそうになった。
 
以前にも書いたが、S出版の編集部はぱっと見、普通の事務系のオフィスとそんなに変わらない。それぞれが手元で扱ってるのは女が縛られてたり、男がしごきっこしたりしてる無修正ポジだったりするのだけれど、まあ、そこにいるのは普通の大学を卒業してきた普通の男だ。たいていはね。
 
これに比べB書房は濃かった。編集部の雰囲気もそこに出入りしてる連中も、何かヤバイ匂いをぷんぷんさせてるのがそこら中にいた。だから出す本もけっこうヤバかった。ただし、このヤバイは決して犯罪的なという意味ではない。ま、中には多少そういうニュアンスもあったかも知れないが()、よく言えば、Bが出す本には企画面でも雑誌のコンセプト自体も刺激的な本が多かった。
 
まあ、このBとSの違いについて書けば、80年代のエロ本がもっとも元気だった時代の文化史をそのまま語ることにもなろうが、それはいったん置くとして、Oくんは当時、このB書房に出入りするカメラマンだったのだ。
 

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スリムクラブなFB

ま、たまたまとは思うのだが、今月はけっこうブログの更新というものをした。
 
もちろんこれは当社比の話で、ブログを毎日更新しているような人からみれば、一週間に1回くらい更新したといってとても威張れる話ではない。それでもここの常連さんならば、これがどれほど凄いことかはわかってもらえるかなあって、うじくんはうじくんは少し甘えてみたり。で、今日はふと、最近の更新頻度が高くなってきた理由を考えてみたのだが、第一は多分これだな。
 
実は今月に入ってから僕は日記をほとんど書かなくなった。日記といってもこのノーパソに仕事の合間に時々書き込んでいるこれは、基本的にブログの下書きを兼ねている。つまり最初から公開を前提とした文章になっているため、純粋な個人的日記とは多少趣が違う。
 
ただ、ブログに記事を書く前に下書きをしておけば、そこそこまとまりのいい文章を書いたり、それなりに文に芸をさせてみようなどと心を配れる反面、文章に満足がいかなければ、いつまでも公開せずに寝かせてしまうということがままある……てゆーより、まままままっ、くらいの感じである。ま、〆切のない小説の原稿のようなものか。いずれにせよ、中には信じられない人もいるかも知れないが、これでも僕は下書きもせずに、ブログに思いついたことを気ままに書いてしまうようなことは避けてきた。ところが・・・
 

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いつか来るその日・・・

というものが人にはそれぞれあるのだ。このタイトルを枕詞とすれば、受けてかかる言葉はたいてい「備える」ということになる。「その日」に何が起きると想定するかによって、多少は日常の振舞に変化を呼び起こすこともあろう。

 

「その日」に何を想定しようと勝手だが、概ねあまり考えたくないことを想定した方が、お値打ち感は高い。最近では「地震」だの「津波」だのといった文言もそれなりに現実感を伴った仮定になってしまったが、そう、だからこの言葉が意味する究極の想定は自分がもっとも考えたくないこと、たとえば自分が死ぬ日のことにとどめをさすだろう。

 

とはいえ、そこまではまだあまり考えたくない、とりあえずもう少し切羽詰まるまで見て見ぬふりをしていたいと思うのも自然な人情。となると次善の想定は、家族でも友人でも、とにかく自分にとても近しい関係にある人のことを考えるのがまずは順番というものか。

 

母の様子がおかしいとホームから呼び出しを受けたのは昨日の昼前のこと。ちょうどバイト先の昼休みで家に戻っていた妻が電話を受けてくれ、電話を終えるや「すぐ行って。私も洗濯済ませたらすぐ行く」というので、久々にヴィッツのエンジンを掛けた。なにしろ外はうだるような暑さで、おまけに自転車で走っていけるような余裕も妻の口調からは感じられなかった。

 

最近ずっとヴィッツに乗らずにほったらかしにしていたせいか、それともさすがに何か気分が焦っていたのだろうか、運転席のドアを開けるときに引手を引いたら、メシッと何やら小さな音がして、引手が浮いたまま戻らなくなってしまった。ターミネーターじゃないんだから・・・と、一人で自分に突っ込みながら、ともかくドアを閉めて母のホームに急いだ。

 

 

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告知

突然ですが、ここで告知です。といってもあまりこういうところではっきり言うわけにもいかない内容なので、わかる人にしかわかりませんが、ここの読者のほとんどは知り合いでしょうから、まあこれで5割方の用は足りるかと。
 
で、告知の内容ですが、僕は結婚以来いままで、妻の分の回線と合わせて電話回線を2本持っていて、いまやほとんど固定電話で人と話すこともなくなってしまいましたが、律儀に2回線分、電話料金をこの20年、払い続けてきました。ですがさすがに昨今の現状に鑑み、特にこの10年近くはほとんど基本料金のみ払っているような状態が頻出しておりましたので、このたびついに、回線を一つ整理することにしました。
 
最初は普段の通話用に使っている僕の回線を残し、FAX回線専用にしている妻の回線を停めるつもりでしたが、よくよく考えると妻の回線の方にADSLを引き込んでいて、まあ、電話局によれば局側の切り替えだけでADSLは僕の回線にすぐ移行できるという話でしたが、多分僕の方の設定がいろいろややこしいことになる危険性もあるのではないかしらんなどと考え、現在、通話用にしている僕の電話回線に電話して来る人も、妻の親族や仕事関係を別にすればほとんどいない状態でもあり、ここは思い切って僕の回線を停めることにしました。
 
停止日は6月20日の月曜日。つまり明日から、我が家の固定電話回線は従来の番号では使えなくなります。
 
念のために添えておけば、これも知ってる人は知ってる話なので知ってる人にしか通用しませんが、明日以降、我が家の電話番号は、従来FAX専用としてお知らせしていた方の番号になります。年賀状などが届いている方は、恐らくFAX番号も併記してあると思いますので、今後はそちらの方でよろしくお願いします。
 
もっとも、番号案内のアナウンスは4ヶ月間してくれるそうなので、この間に電話した人に関しては新たな番号もわかるようになっております。ま、それを越えてふと、数年ぶりに電話してくるような事態なんて、もう葬式か結婚式の招待以外にはほとんど考えられませんが、どちらもなるべく遠慮したいと思っている僕にとっては、なかなか都合のいい話かも知れません。
 
というわけで、以上業務連絡。

結婚記念日

今日は我が家の結婚記念日である。

 

例年だとこの日は、たいていアピアの南蛮茶で原稿書いていた帰りに同じ店内の花屋に寄って、まあフラワーバッグの一つも買うのが定石で、あとはこれにアピア前の交差点を挟んではす向かいにある「たねや」でケーキを買っていくか、時間と経済に余裕があれば妻を連れてカウンターが回ったりしないようなところで外食するか、まあ、それほど大したイベントをするわけでもない。

 

何年かに一回くらいは外泊というのもあるけど、まあそれだって、要は家の近所じゃなくてたまには京都か大津あたりでゆっくり夕食でもしようかという意味しかないからね。普段と違う飯を食うためだけにホテル一泊というのも、なんだか最近はもったいなく思えてきて、あまり食指は動かない。

 

僕と妻が結婚したのは確か1991年のこと。あれからざっと20年である。この20年が何婚というのか知らないが、あと5年たてば銀婚とやらになるのはわかる。大人になってからの20年なんて本当にあっという間で、多分生まれてから20年経つ時間の半分くらいの長さしかないような感覚だが、この間にあったことの数々は、考えてみればあっという間というほどの時間ではなく、確かに20年という時間の重みを感じさせるような出来事が、やっぱりちゃんとあったのだな。ということを改めてしみじみ()

 

とはいえ、このまま僕も妻も元気でさえいれば、もう5年なんてそれこそ「ぁ」という間になろうかというものだ。そうして5年後に、いやあ25年なんて一瞬だったねなんて言ってるかもしれない。どんな皮肉だろうと憎まれ口だろうと、とりあえず口を利いていられる状態であれば、それは幸運なことだろうと思う。幸運でいたいね。僕も妻も、僕らの周りにいる人たちの誰もかも。

 

今夜はこれから、妻とフランス料理を食べに行ってきます()

今日買った本

『ぐるっとびわ湖自転車の旅』 びわ湖一週サイクリング公式ガイド
 
も、読んで字の如く。びわ湖一週サイクリングするためだけに特化した狙いの本です。他のことには何の役にも立ちません。でもそれでいいのです。僕は今年こそ、びわ湖一週に旅立ちます。いま抱えている……3年前から抱えている原稿を今度こそ夏と呼ばれる季節の前にあげて、この夏はともかく日本全国自転車の旅をする予定なのです。その手始めが、まずはびわ湖。というわけでこの本を読めば、見てみたい景色、行ってみたい食い物屋、ちょっと寄ってみたい喫茶店などのスポット情報はもちろん、坂道情報、道路の狭くなる場所、あるいはどこの標識が間違いやすいかまで、有用な情報が地図に細かく書き込まれています。こういう本を買って、滋賀が自転車立国になることキボンヌです。
 
しいて一つ、問題点をあげるとすれば、この本はハンディタイプで持ち歩きやすくもなっているのですが、なにしろハンディタイプですから、地図に書き込まれた文字情報が小さい! つい数年前までは僕もそんなに気にならなかったんだけど、だんだんね。小さい字を読むのがつらくなってきとるんよ。ああ、それともこの本ははなから、老眼になりかかった読者など相手にしてなかった、ということだろうか(゜◇゜)
 
『敵討』 吉村昭
 
記録文学の名手、先年亡くなった吉村さんの本を買うのは、多分『熊嵐』以来だと思うから、かれこれ30年ぶりくらいになるだろうか。本屋で見かけた時に、突然これが買いたくなったのは数ヶ月前にスペシャルドラマでやった藤原竜也主演のドラマ『遺恨あり』の原作が、この本に所収されている「最後の仇討」だと知っていたからである。あれは、ドラマの出来が非常に良かった。特に殺陣は感心したものだが、あの感動をもう一度味わいたいと思って購入。
 
短編だからもう読んじゃったけど、まあ、小説には小説なりの味わいがあってよかった、などと微妙なことを言ってお茶を濁しておこう。なにしろ記録文学だから、むりくり作ったドラマチックなんかないし、どうかするとセリフさえほとんど出てこない。ただ淡々と主人公の行動記録をなぞることが、主な叙述になる。それでも本当に、リアルな人間の生きた軌跡に触れる思いがして、そこは素直に感動する。でもこの作品に関しては、ドラマもやり過ぎない程度にうまいアレンジをしていたと思う。


寿命を延ばすのに有効らしい簡単な方法

昨日のNHKスペシャルで『あなたの寿命は延ばせる~発見!長寿遺伝子』という番組をやっていた。
 
このところ、震災やら原発やらの絡みでとかく気が滅入るテーマの続いていたNスペだが、これは久々に明るそうな話。NHKもそう思ってか、進行役もなにしろ欽ちゃんだ。こういうところがいかにもNHKな人選というか、いまどき欽ちゃんをメインMCに据える番組なぞ、NHKか仮装大賞以外にはまず考えられない。
 
番組では、長寿遺伝子ともいうべき存在のサーチュイン遺伝子というものが発見されたという話を中心に、この遺伝子を活性化させるとどんな効果があるか―それはもうものすごい効果で、血管を若返らせ、認知機能も正常に保ち、免疫も活発になって癌の発生も抑制されるとか、一応それらは学問的成果として報告されているのだけれど、そりゃほんとに死なないよなあと思えるほどの劇的な効果をもたらすものであるそうな―同時にこの遺伝子はどのようにすれば活性化できるのかというポイントについても解説を加えていた。
 
すごいよ、サーチュイン遺伝子。これが活性化したと思しき人は、この番組の中にも何人か出ていて、みんな百何歳とかいう年なのに、マラソンするだの車を運転するだの、何かぱっと見、70代くらいかなと思えるような人ばかりで、それを実際に映像で見せられると、どひゃあっと驚く。はっきり言えば、この中に出てきた百才以上のお年寄りよりも、欽ちゃんの方が老けて見える。見る前から予想されたことだけど、それは番組的にどうなんだ。狙いだったのか?
 

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1勝1敗。雪辱は来年!(T.T)

相変わらず原稿は遅れているのに、今日(日曜)はこのブログの愛読者ならお馴染み、年に一度、忘れたこの頃には必ずやってくる市民体育大会卓球の部の、試合当日だった。
 
1月くらい前にこの地区の体育委員の男性から我が家に電話があり、今年も選手をお願いできないかということで、まあこっちは相変わらずその時期も切羽詰まっているには違いないとおおかた予想はしていたのであるが、本当に予想以上にいまなお切羽詰まっているのは、このブログからもひしひしと伝わっている通り。
 
ただ、それでも僕が断らずに引き受けたのは、これも例年と同じ理由で、僕が断れば体育委員は新たに誰か、参加してくれる選手を見つけなければならなくなり、それはそれで大変だろうなという思いがあったことと、今年は年明けに、やはりこの大会の常連参加者だったFさんが亡くなっていたこともある。Fさんが元気だったなら、あの人は頼まれれば嫌がらずにほいほいと引き受けたであろうなと。あの人は還暦を過ぎても毎回、楽しそうに参加していた。まだ50代半ばにも満たない僕が、しんどさを理由に断るわけにもいかんだろう。
 
それでも卓球試合の参加者は、年々減っているのだろう。男子の部は一応3チーム参加のリーグ戦になっていたが、女子の方は2地区しか参加チームを成立させられず、結果的に1回団体戦をやっただけで、勝った方が本大会出場権を得ることになった。男子の方だってまったく安泰というわけでもない。というのも、
 

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姑獲鳥の夏頃・・・

マスコミに取り上げられて記憶される有名人の中には、しばしば、その有名となるきっかけがあまりにも鮮烈すぎて、冷静に考えてみれば、時にその本人の実力以上となるような大きなイメージでも、長く人々に植え付けてしまうということがあるものだ。たとえばジョホールバルの岡野とか、ペルージャ移籍直後にゴールを決めてみせた中田氏(?)とかな()。
 
もちろん彼らが選手として二流だったと言ってるわけではないが、たとえば中田氏(?)などに関しては、流行りの言葉に乗っかれば、いわゆる「もってる」選手として僕らの記憶にはずいぶん残ったかもしれないけれど、そのために僕らはあまりに過大な期待と幻想を彼個人にかけてしまいはしなかったか。
 
その多くの日本人の期待と幻想が、結局サッカーやめたらとっとと不動産鑑定士の資格でも取って商売を始めると十代の頃から明言していた彼を、三十過ぎてもなんだか正体不明のうろうろしてる人にしてしまったのではないかという憾みは残る。ま、そんなこと出来るほどの金を「もってる」人に対して、貧乏人が大きなお世話の話だけどさ。
 
これがアスリートではなく、運とタイミングも手伝って歴史の表舞台に立った人として考えてみるなら、坂本龍馬なる人物も、案外実力以上の評価がされているのではないかという気がする。ただし、彼の場合はさっさと死んでしまいましたからな。後世にあの人さえ生きていればと、長く人々の記憶に幻想を与え続ける存在として残りたければ、人は成功体験の直後に死ぬに限る。
 

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子羊の心臓 Part II

先日、バイトから帰ってきた妻が少し体がだるいと訴え、だったら俺が夕食の準備してやるよと言って、まあ夕食の準備といってもスーパーへ行って、適当な弁当を買ってくることを僕はそう言っているのだけれど、それがわかっている妻は、僕がそういうことを言い出すと普段ならたいていはやっぱり私が何とかするといって拒むのに、この日は、じゃあお願いと簡単にお願いされてしまったのは、やはり相当に調子が悪かったのだろう。

 

でまあ、自転車でひょいと飛ばして2、3分のところにある西友に出かけたわけだが、こういうところに来ると弁当よりも惣菜をいろいろ合わせ技で買って食べる方が楽しくなるので、結果的にショッピングカートの中は唐揚げやらサラダやらひじきやらで盛り上がることになる。 レジに並ぶと、レジカウンターの手前のポールに小さなカゴが取り付けてあって、その中に大きめの札のようなものが入れてある。

 

最近は、たとえばアピアのような店でもそうだが、エコポイントだか何だか、つまり私は自前の買い物バッグを用意しているので、レジ袋は要りませんという態度表明をするときに、その札を一枚抜き取って清算前に自分のカートの中に入れておくという仕組みになっている。妻と買い物に行くと、彼女はもちろんいつも買い物袋を持ち歩いてるので、カウンターに並ぶとその札をさっと一枚取ってカートの中に入れるのだが、僕が一人で買い物に来る時はたいていそんなものはないのでそのままレジ袋をもらうことになる。

 

で、それは別に何か僕なりの主義主張で買い物袋を使いたくないといってるわけではなく、僕はたいてい自転車などで外回りをしていて、何かのついでにスーパーに立ち寄って買い物して帰る、つまり不意に思い立っての買い物が多いためなんだけれど、あれをね、スーパーがああいうことをやりだしてから、レジ係の人に一つ言いたいことがある。それは、

 

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自転車に乗るときは・・・

朝の5時も近いというのに、まだ神が降りてこないので、仕方なく椅子に座ってぼうっとしている。つい20分ほど前までは便所の中で若干小一時間ぼうっとしていた。こちらもまた成果なし。

 

実は2時頃、腹が減ったので何か喰うものを買おうと出かけたファミマでトイレ読書用の雑誌として「日経アソシエ」とかいうのをつい買って帰ってきてしまった。今週はもう「文春」も「現代」も買ってしまったから、他に買う雑誌が残ってなかったのだ。

 

僕はこの1年くらい「文春」をメインに買っていたが、最近は「文春」を休んでも「現代」を買う機会が多くなっている。「現代」は震災発生以来、一貫して原発事故の問題をかなりのボリュームで取り上げているからだ。

 

「文春」は4月に入ったあたりのどこかで明らかに日和った。毎号東電批判や政府批判(てか菅批判?)は相も変わらずだが、原発事故そのものに関する記述はどうも少なくなり、徐々に正常化(?)した誌面に戻してきてる。

 

でも福島原発の事故は何も終わっていない。端的に言えば現在もなお、放射能の放出が止まるのが先か、日本人が絶滅するのが先かという状態なんだから、このことを気にし続ける態度はマスコミとして正しい。

 

日経なんちゃらは、実は今日初めて買った雑誌。

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