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大文字炎上!

昨日から我が家に妻の弟妹くんたちが来ている。
 
毎年恒例となった彼らの里帰り&お母さん連れだし家族旅行の一環で、横浜に住む彼らは弟くんの運転で島根の実家に戻る途中、うちに立ち寄って休憩を取っていく。で、一晩休んだらまた島根に向けて旅立ち、2、3日したら妹さんが島根のお母さんを連れて我が家にやってくる。で、今度は我が家に数日滞在してその間に妻と妹さんとお母さんの女3人旅行を夏休みの間に行なうというのが、ここ数年の定番行事になっている。プランナーはいつも妻で、だから夏休みになるたび、彼女は旅行代理店の営業よろしく様々な旅行案内を取り寄せ、時刻表片手にああでもないこうでもないと一人で呟きながら旅行計画を練り続けるのだ。
 
僕はもう、7、8年前に一度、出雲の温泉旅行に一度参加したことがあるが、それ以来一緒に旅行に行けたことがない。別に仲が悪いわけじゃなく、行きたくても仕事で動けないからだ。今年も1年前に仕上げる約束をしていた仕事をまだ終わらせないうち、そんな旅行に行く心境にはとてもなれないので、ずっとお留守番()。今年は彼女たちは南紀の勝浦と白浜を巡ってくるそうだ。白浜は幼い頃に、家族旅行で何度か行ったことがある……はず。だけどいまを流行りの熊野古道、これは覚えがない! くそぉ、いきてえ~~っ!
 
ただ、彼らが泊まっている間は僕も我が家の中を普段通りどこでも構わずパンツ一丁でうろついて、眠たくなったら寝たい場所で寝る、といった犬のような生活も出来ないので、だいたい自分の仕事部屋にこもることになる。昨夜も彼らの到着が遅くなったため、仕事部屋にこもっていた僕は、そのまま仕事用デスクの下に足を突っ込んで眠ってしまった。概ね空き箱と本棚と雑誌と新聞の残骸で足の踏み場もない僕の部屋だが、かろうじて作業用机の下にはやっと人一人が横になれる程度のスペースはあるのだ。
 
今朝は7時頃に起床。下ではもう、妻が朝飯の準備をする物音をたてていたので、降りていく。
 

「おはよー」の挨拶をかわした後に、弟くんたちが無事に昨夜到着していたことを知る。ま、何事もなくてよかった。
 
僕より早く起きて、朝のニュースか何かでその話題を知ったらしい妻は、未だ寝ぼけ眼の僕に「ねえ、知ってる? 京都の大文字焼で被災地の薪を燃やすの燃やさないのって話」などと聞いてきた。
 
うん。でも、それって中止になったんだろ? と答えた僕が知ってるのは、被災地の薪を燃やす計画が市民からのクレームで一転中止になったという、そこまでだ。だからその後、話が二転三転していたことは今朝、妻の話を聞くまで知らなかった。
 
「それが結局、いっぱい批判されて、燃やす予定だった薪から放射性物質も出なかったからって、やることになったんだって」何だ、やるのか?「そしたら、今度はまたその被災地の薪からセシウムか何かが検出されて、取りやめることになったんだって」何だ、やめるのか? いったいどっちなんだ?「ねえ、ひどい話だと思わない?」う~ん、まあそれは、と僕は口ごもる。
 
これはどの部分に自分の感情をより近づけるかによって、評価は変わってくる問題だ。被災者の感情に近いと自分で思ってる人は当然ひどい話だと思うだろう。ニュースではお決まりの一般人の反応として、三条大橋かどっかの上で道行く人にインタビューし、京都人として恥ずかしいとかなんてテレビ局が狙った通りのコメントを引きだしてる局もあったが、なぜか滋賀県人へのインタビューで、同じ関西人として恥ずかしいなんて言ってる人もいた。多分京都人は滋賀県人を同じ関西人とは思っとらんがな(-.-)y-~~

 

ま、その手の非難やクレームが京都市やら大文字焼実行委員会(?)に市民からもけっこう寄せられたというが、もちろん常識的に考えれば薪に付着した放射性物質を焼いたことですぐ京都近辺に何らかの健康被害が出るわけなんかない。もしそうなら、いまごろ福島県から向こうに住んでる人は、もうシャレにならないくらいばったばった倒れてるはずだからね

 

ただし、本当に絶対何の影響もないかと言われたら、専門家がいくら口を酸っぱくして安全だと言い募ったところで正直わからないのだと判断することが、あの震災で得た僕らの智恵であり、現に実状だと思う。微量放射線を含む大気の中で生活していくということが、どんな影響を身体にもたらすのかは、本当に悪いけど、これから長い時間をかけて東北の人たちが実験台となって明らかにされていくのだ。必ずしも不遜な言い方とは思わない。だって、もしあの規模の事故が起きたのが福井だったなら、実験台となるのは滋賀県民なのだから。

 

だから、京都人として恥ずかしいなんておよそ京都人らしからぬクレームをつけた人は、実際にその薪を持って山に入り、火を付けられるかどうか聞いてみればいい。その薪の束を実際に手に持って運び、燃えさかる火のそばで管理しながら灰や煙も吸い込むと。いやいや、それはまた別の話やおまへんか、と話をそらされたら、そいつはほんまの京都人かもしれんがな。

 

福島原発がああいうことになった以上、この国に安全な場所も生き方もなくなった。僕らは原発に賛成したわけではないが、この国土に54基も原発を建造する政治を許容し、そのうえ再処理やらプルサーマルまで手を出す原電の振る舞いを黙って見守ってきた。僕らの世代は生まれてからこの年に至るまで、まるまる原発のお世話になっているといっていい。いまさら脱原発だの太陽エネルギーだの急に言われたって、そんなに簡単に方向転換できるわけがない。いまは国民的には脱原発の流れだとしても、いずれまた情勢は変わるだろう。名もない一市民の僕のような人間が、何千人ブログでぶつぶつ呟こうと、所詮それだけのことである。

 

だから最近の僕はそれほど感情的にでもなく、原発を捨てられないなら、この国の民は原発を抱いて死ぬ覚悟が必要になると思っている。少なくとも僕のように50代以上の人間は、率先して東北の農産物を食べ、東北の海であがった魚を食べ、米を食べる。これからはそういう覚悟が必要になってくるだろう。それは順繰りに、50を超えたらこれこれのものを食べる権利というのが与えられ、そういうことをあと2~300年続けていくと。もちろん大文字の薪は50代以上の人々だけで燃やすのだ。

 

セシウムが飛び散ると言って心配する人には、いずれ誰でも死ぬのだからと納得してもらうしかない。ただ、大人はなるべく若い人が早く死ななくてすむように努力はする。努力はするけど、報われんかったら、そのときはごめんなあと。そう謝って、許してもらうほかに手はないもの。僕らが抱えている原発とは、結局そういうものだよということを、まずは国民の間に共通認識として共有しておく必要がある。でなければ、これから薪どころですまない騒ぎが次々と起こってきたら、波状攻撃のように僕らの脳裏に届くダメージによって、個人と社会の精神ががたがたになる危険もある。

 

ダメージとはたとえば、あの津波の映像。あるいは水素爆発の映像。僕らの精神は、何の防御もなしにあんなものを繰り返し見ることに耐えられない。少なくとも僕はね。

 

もう、たくさんだ!

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