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コクリコ坂を観てきました

今日の午後は妻と八幡のマイカルへ食事をしにいったついでに『コ​クリコ坂から』を観てくる。『ゲド戦記』のあのていたらくにもめげず、再び天才の息子は監督に挑戦するわけだから、僕なんかいい度胸だと思ってしまう。しかも今度はあえて親父の得意分野を外してきた。もちろん、そこで勝負できる人間は、いまの日本には彼の息子に限らず誰もいないんだろうけど。
 
ま、そんなこんなもあって、ちょっと興味ひかれてたのよ。とにかく『ゲド』がゲロみたいな出来だったもんだから、よほどのことがないと彼の2作目なんて見に行くつもりはなかったのに。長澤まさみ効果でしょうか。いいえ、こだまです。あ、意味不明です。

で、先にぶっちゃけ感想を言えば、僕​はなかなかよくできた、とりたてて非を打つこともない話だと思った。ま、『ゲド』が非だらけだったからか、あれと比較してのコメントは映画サイトのレビューでもみんな好意的な傾向。もしかしてゲドはこの作品を作るための伏線だったのか!? いや、それはあまりに無意味だが。
 
ただし、
 

素人の客が観ても特に非を打つような所が無い脚本、演出、映像ということは、逆に言えば、とりたてて人に勧めたいと思うほどのインパクトがある話には思えず、あえてきつく言えば凡庸の一言。最初ちょっと人間関係もわかりにくいのだが、そういうこともあって、演出のテンポ自体はノスタルジックな仕掛けをまぶすことによってそこそこ感じられるのだけれど、肝心の物語がなかなか走ってこない。
 
だから50を超えたオヤジには随所に懐かしさをそそる演出が施され、確かにそこそこいい話ではあるので、数カ所鼻の奥がじんときた部分もあるのだけれど、たとえば隣に座っていた妻は、始まって多分30分も経たないうちに爆睡してたし(T.T)。映画が終わってからも、どうしてあれとあれがあんなことになってるのよ、あんな話どこが面白いのかさっぱりわけがわからないとぶつくさ言ってましたが、半分以上寝てたんだからそりゃそうだろうよ。
 
僕自身はそこそこ楽しんだから、つまらないというつもりはない。凡庸であることがすなわちつまらない作品とは、必ずしも限らない。ただし、特に懐古趣味のない女性にとってあの映画は、楽しめる箇所がかなり割り引かれるに違いない。言わばCG部分をすべてとっぱらった『三丁目の夕日』みたいなものだ。舞台の装飾にごまかされていたが、飾りをとってみれば、ただの陳腐な話しか残らなかった、なんて映画はざらにある。もういいかげん、CGも飽きたね。
 
この映画の舞台は多分1950年代か、いってて60年代前半。東京オリンピックを成功させようなんてポスターがあったからね。てことは、僕よりさらに10くらい上の世代の人、要するに団塊の世代か、彼らの高校時代を描いている。この時代の肌触りは、僕などもうかすかに覚えているくらいで、監督なんか生まれてもいなかったんじゃないか。その割には、もちろん強力なアドバイザーがいたんだろうが、実に気配りのある画面を作っている。そのことには正直、感心した。
 
だけど映画としての魅力の多くの部分が、アニメで丁寧に再現される60年代の生活、というのではなんだか違う気がする。この映画、ノスタルジーな装飾を取れば、残るのはただのどうってことないコイバナだが、そしてそのコイバナの展開は、確かにあの頃でなければこういう展開はしなかったからあの時代が必要だったと無理して言えないこともないが、実はそのコイバナ自体にあまり魅力がない、あるいは魅力的に見せられてなかったというところが、多分この映画の最大の問題点だ。
 
何度も言うが、僕にはつまらなくなかったのよ。ただしそれは、たまたま僕が、うんうん、おいちゃんはね、わかるよ、この感じ……と思える部分がいくつかあったというだけの話で、映画として、たとえば僕がDVDで買ったカリオストロのように、あるいはラピュタのように、トトロのように、何度でも繰り返し観て、何度でも同じ感動に震えられるような、そんな分厚い構造を持った作品では残念ながらないよなあという話。まだまだ親父の背中は遠いぜ。

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映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

Ujiさん、この映画、企画・脚本 宮崎駿ですぜ。
Ujiさんのツボにはまったところは御大の手に
よるものだったりして。

そうなんですよね。でもそう思ってみると、あの脚本に不思議と宮駿臭さは薄い気がするんです。なんていうか、えぇ~、宮崎駿ってこんな話書く人だっけなぁ~と、ちょっと語尾を上げた溜息をつく感じで観てましたから。
 
僕自身のツボはね、遅れてきた団塊の匂いというか、昔通ってた高校が、ちょっとああいう雰囲気を残した学校だったもので、ああ、うちにもあったなぁカルチェラタンとか()、そういや僕は新聞部で、まあ、あんな感じのこともなかったとはいえないよなあなどと、甚だ個人的な感懐に属する類の部分を刺激されたことが大きかったと思います
 
でも、やっぱり数ある企画の中からどうしてあの作品を選んだのかっていうのは、僕には謎だなあ…

本日、NHKで19:30から宮崎駿、吾朗のスペシャルをやるみたいだよ。謎がとけるかも。

あ、情報ありがと()。なんかNHKがそんな番組をやる
らしいという話は、どっかでか知ってたんだけど、今度の週
末かそんなあたりかと思っていたから。

何より僕はいま昨夜の8時頃から延々Win7と悪戦苦闘中で、
新聞も見てなかったからまったく気づいてなかったです。

いやあ何が悲しくてこんな時期にパソコン買い替えてしまっ
たんだろ…()

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