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残念な幽霊(;>_<;)

最近FBの方をよく覗くようになってしまい、こちらのブログの更新はご無沙汰になってしまいましたが、といってFBだけですべての用が足せるとも思ってないし、むしろFBはしらふで昼間のスタバに溜まってダベってるような気分なので、つまり隣でどんな関係者が聞いてるかも知れないという遠慮も一応ありますから、特に映画やドラマの感想などでは言いたいことの3割くらいしか書いてない印象があります。
 
でもそれはそれで僕のような性格にはストレスの溜まる行為なので、やはりこういうブログがいらないということにはならないと思います。たとえば一昨日見てきた『ステキな金縛り』という映画。
 
これはなんでもかなりヒットしているらしい。ネットの素人レビューを見ても概ね高評価。実際、僕もこの裁判の冤罪を証明できるのが幽霊ただ一人で、それを裁判に連れてきて逆転勝訴を目指すなんてプロットを見た段階で、これは面白そうだと思ってしまいました。なにしろこんな面白そうなプロットの脚本を書くのが三谷幸喜とくれば、期待しない方がおかしい。必ず大爆笑と手に汗握る展開と、最後に少しほろっとさせてくれるような、そんな話に仕上げてくれるだろうと相当見る前の偏差値を上げて劇場に行ったわけです。
 
結論から言って、結果はあまり芳しいものではありませんでした。これは控えめに言っています。内心では僕の頭の中にはもっと聞くに堪えない言葉が渦巻いているのですが、ま、自分がつまらないと思う作品に対して罵倒するのもされるのもあまり気持ちのいいものではないし、あたしだって自分の作品をAmazonあたりでけなされてたりするとそれだけで相当落ち込むので、あまり多くは語りますまい。
 
ただね、あれはないだろ、三谷さん。とは、随所で思いましたね。以前はこの人の脚本をかなり評価していた時期もあったのですが、『金縛り』に関しては明らかにやっつけ仕事、という言い方が悪ければ行き当たりばったりな脚本、ギャグのセンスも明らかに落ちていて、さしはさまれる笑かし部分はむしろ見ているこちらが痛い思いになりそうなネタばかり。そのうえ本編はなんと2時間半。いったいこの内容のどこに2時間半もかける必要があるのか、僕は映画が1時間を過ぎたあたりから、しきりに時計が気になって仕方ありませんでした。
 
ただし、先にも書いたようにこの映画、けっこうヒットしてるらしいし、映画関係のサイトではおおむね評価が高くて爆笑につぐ爆笑したとか書いてる人もいる。そういう人の主観を僕はまったくとやかく言うつもりはないし、感じ方は人それぞれと言うしかありませんが、ここから先は僕の主観を述べているだけなので、あの映画に感心した人は多分、覗かない方がいいと思います。
 

とはいえ、あまりくどくどどこがどうという部分をあげつらうのは書く方も読む方も疲れるでしょうから、なるべく感想は簡単にまとめたいとは思いますが、この記事もまた行き当たりで書いているので、例によってだらだらしてしまったらそこはご容赦。
 
最初に最大の失望から言えば、あの映画の中で現実とのリンクの仕方がさっぱりわからなかったことがあげられます。
 
この言い方には多少説明が必要でしょう。僕らは普通、映画の中の世界を現実として見ています。その作品で描かれているのが現代の話なら、僕たちはその映画の中の現実と、自分たちが実際に生きている現実とを密接にリンクさせながら見ることで、ハラハラしたりドキドキしたり泣いたり笑ったりもするわけです。これを、ざっくりとリアリティという言い方をすることもあります。ただし、もちろん映画の中の現実は実際の現実とは違い、あくまで疑似の現実であることは注意しておかねばなりません。疑似現実だからこそ、直近で爆風を受けても死なない主人公やタイムスリップや、はては幽霊を出現させることだって可能なのです。
 
では、映画の中の現実と、実際の現実をリンクさせるために必要なのは何か。それは共通の約束事です。たとえば、人は死んだら死ぬとか(当たり前か)、貨幣経済であるとか、時間は基本的に一方向にしか流れていないとか、諸々ありますが、この約束事、前提を共有できるなら、現代物でも時代劇でも同様のリアリティを感じることはできるでしょう。
 
逆に、はなからこの世の法則を無視したような世界観で物語を描けば、それはたいていの場合、ファンタジーと呼ばれます。リアリティが大切なのはそれによって僕たちは感動することができるからですが、じゃあファンタジーでは感動できないかといわれりゃもちろんそんなはずはありません。僕は『指輪物語 王の帰還』を劇場で3回、DVDで5回くらい見てますが、もれなくクライマックスで号泣してました。大事なのは約束事です。ファンタジーを描くならファンタジーの約束事が必要で、これを物語の展開に合わせて、現実ぽく描いたり、ある部分ではファンタジーにしたりなんてことは原則的にできないのです。
 
もう僕の言いたいことはおわかりでしょうか。『金縛り』では、現実的な物語にしたかったのかファンタジーにしたかったのか、その匙加減がまったくよくわからなかったのです。いや、もちろん裁判に幽霊が証人として申請されて、それを認める法廷も法廷なら、幽霊の公安捜査官みたいのが出てきたり、実際に殺された被害者の幽霊が法廷で証言したりなんて展開になるならそれは現実的な話のわけがありません。ある意味、ファンタジーというしかないでしょう。ですが、僕がこのプロットを面白いと思ったのは、現実の約束事の中でこんな現象(裁判)をどうやれば成立させられるのか、その手段を自分でいろいろ想像して楽しくなったからであり、三谷幸喜ほどの作家なら、それを見事にしてのけるかもしれないと期待したからでありました。
 
もうかなりひどいネタバレもしてますが、あれをご覧になった方ならわかる通り、話はあっちへ飛びそっちへふらつき、つまり法廷に幽霊がいるという前代未聞の法廷ドラマになるかと思いきや、はっきり言ってどうにもまとまりのつかない、といってファンタジーなら最低限ファンタジーとして観客に提示すべきお約束もほとんどなく(強いて言うなら幽霊は夜しか動けないから、法廷を夜まで引き延ばそうとしたとかそういうあたり!?)、もう何でもありの世界でした。そしてドラマって、何でもありにしちゃったら絶対面白くなんかなるわけありません。なぜならドラマとは、基本的に葛藤を描くはずのものだからです。
 
三谷さんならそんなの関係ないと言うかも知れません。芝居なんて見に来た人があははと笑って思い切り楽しんで、劇場を後にするときには一切記憶に残らないようなものがいいんだと、以前そのようなことをどこかでおっしゃっていました。その考えはその考えとして、だったらちゃんと笑わせて楽しませてくれろ! ということを僕は言いたいわけです。
 
アイデアは確かに三谷さんらしいいい目の付け所でしたが、肝心のこの話のどこが面白いかという部分を、監督は勘違いしていたとしか思えません。あれは何でもありにするのではなく、実際に幽霊を証人として法廷に呼ぶには、つまりその幽霊を利用してある被告人の冤罪を晴らすためにはどんな手を考えればいいのかという部分を、この現実社会で実現するためにはどうするかと真面目に考えて脚本を作った方が、きっと遙かに面白くなったと思います。そう考えていけば、そもそも深津絵里と西田敏行の落武者は会った直後から簡単に意思の疎通が出来すぎです。
 
さらに細かい文句を足しておけば、肝心の冤罪裁判、逆転はある意味お約束ですが、この真犯人の話は何と2時間くらい経った後半からいきなり出てくる。それまでに何の伏線もなく、かつその真相をダメ弁護士のはずの深津絵里が勘か何かで簡単に見当をつけてしまう。そのとき西田敏行の落武者は霊界に連れ戻されて話には噛んでこない。僕がこの脚本を行き当たりばったりで書いたに違いないと断じる理由はこういうところから立ち上る匂いです。すなわち単なる御都合主義以外の何物でもないということ。
 
本当にね、この映画は残念でした。だけどよくよく考えてみれば三谷さん自身が撮った映画で、感心したものはいままでただの一本もないことにたったいま気づきました。強いて言うなら、一番最初の『ラヂヲの時間』が一番ましだったかな、というくらいで。これでよく三谷ファンを名乗っていたものです()。ただまあ、褒めるにしろけなすにせよ、文章量の多さって結局その作品に対する思い入れに比例しているようなので、そこは大目に見てやってください。あらあらかしこ。

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コメント

おはようございます。
FBの先生のお写真を拝見し若いころとお変わりないように思えてうれしくなりました。
私にとって先生は当時から心の支えであることは替わりありません。

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