そう言えば談志も死んだんだっけ
立川談志という噺家には、正直なところ個人的な思い入れというものがほとんどなくて、その存在が僕の少年期から思春期にかけての精神を形作る上での一つの素養になっているとしても、たとえばマエタケや青島幸男の影響に比べれば、何か語りたくなるエピソードの一つ二つさえ、どうにも思い浮かんでこない。
一つには僕が、特に落語好きというわけでもないからなんだろうな。談志さんは近年とみに噺家というより、「家元」という呼称による存在感を大きくしていた感じがあって、落語好きでもない僕が偉そうなことはいえないけれど、そういう扱われ方というのは噺家としてどうなのよ、と思っていたフシもある。
亡くなったというんでNHKの「日本の話芸」で録っておいた「居残り佐平次」を見てみたけれど、やっぱり僕にはぴんとこない。「芝浜」を見たときも確かそんな感想だった。ただ、東京系文化人の範疇に入る人は、実に談志の支持者が多くて、僕の友人にも談志シンパだったり談志の弟子の誰それとまぶだちなんて人もいる。
だから僕がいまのようなことを言えば、別に彼らは怒ったり気分を悪くしたりする風でもなく、「だけどそれはね、うじくん、あんた、談志の晩年の高座しか見てないでしょ?」なんてことを言われたりする。晩年だろうが壮年だろうが、談志は天才落語家じゃなかったのか? 晩年なら晩年なりに凄いと思わせるものを見せるのが天才の天才たるゆえんだろ、なんてことを言い返すと「だってあんた、天才てのは旬のものだから」なんてことを言やがる。「いくら天才だってあんまり時期が過ぎちゃえば砂糖だってまずくなる」っておまえ、それは砂糖大根の甜菜だろうが。
そんなに思い入れもない人のことをなんでふと触れる気になったかといえば、やっぱり僕は昔、この人の出ている番組を熱心に見ていた覚えがあるからで、はっきり言えばそれは『笑点』だ。僕が小学生くらいの頃だろうか。
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