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なんだか地味な「感染」

ま、珍しくほとんど予備知識なしに見てきた映画『コンテイジョン』だけど、この言葉の意味さえよくわからなかったもんな。さしあたって英和辞書入れてるはずのATOKで変換させてみても「根底ジョン」なんてわけわかんない表示するし。誰なんだ、根底ジョン?
 
実際はcontagionは「感染」とか「二次感染」の意味で、映画の内容もこのタイトルが身も蓋もないほどにそのまんま、現わしている。
 
いきなり見ることになったのは、珍しく妻がこの映画を見たいと言い出したためと、キャストが猛烈に豪華だったからだ。ちょっといま、僕に区別のつくだけの名前を挙げても、マット・デイモン、グウィネス・パルトロウ、ローレンス・フィッシュバーン、ケイト・ウィンスレット、ジュード・ロウ、エリオット・グールド他にも多分一線級の、つまりそれぞれ一人で主役を張れるクラスの役者が集められている。全員四番打者。あんたナベツネですか。思わずソダーバーグにそんなこと言いたくなるラインナップだが、見終わってから僕は思ったね。これ、多分これだけの豪華メンバーでも集めてこんことには、もたなかったんじゃないかと。
 
いや、つまんないかと言われるとそんなこともなくて、一応僕は最後まで見たけれど、妻は途中ところどころ寝ていたようだ。そうだね、つまんないわけではないがけっこう退屈だった。というのが僕の正直な本音か。つまりこれ、従来のソダーバーグスタイルが好きな人なら、それなりに楽しめるかも知れないが、これはある強烈な感染力を持つ致死的なウィルスが世界を襲う話なのだ。もうほんとにね、解説はこの一言ですべて済む。
 

それを監督は、誰に中心視線を合わせるということもなく、淡々と教科書通りの群像ドラマとして描いていく。ある意味ではリアリティに徹したドキュメンタリー風な演出ともいえるが、裏を返せばドラマチックな出来事などほとんどなく、ただ未知のウィルス感染の拡大によって、有効な打つ手を持たない人類がばたばたと死んでいく、その様子を描いただけの映画だとも言える。マット・デイモンは軍の研究所から流出したウィルスを奪還するために人間戦闘マシンとして戦うわけでもなく、ケイト・ウィンスレットは舳先に経って自己満足に浸ったりもしない。
 
正直、何のドラマチックな人生も持たない市井の地味に暮らしている人々を演じているのがこんな豪華メンバーでなければ、僕もやっぱり寝てたかも。映画にサービス精神旺盛なエンターテイメントを求める、たとえば僕のような人々には、この映画ははっきり言って退屈きわまりない。その点、同じ感染爆発の状況を描きながら、ダスティン・ホフマンが背後に隠された軍の野望と戦い、恋人が感染したタイムリミット内に宿主を見つけてワクチンを作れるかどうかなど、様々なお楽しみ要素をてんこ盛りにしていた『アウトブレイク』は、やはり娯楽映画としてよくできていた。
 
ただこの映画、確かに映画として血湧き肉躍るような面白い作品とは言いづらいけど、現実はこんな感じかもしれないなあということを連想させる意味においてはけっこうホラーである。あくまでたとえなので不謹慎には目をつむってほしいが、たとえば福島原発を連想させる原発の事故により、原発の作業員、周辺に住む人々、子どもや老人がものも言わずにばたばたと倒れていく映画を撮ったとしたら、それは何の陰謀もアクションもなくたって、一級のホラー作品になるに決まっている。逆説的な言い方だが、あらゆるフィクションの中で最も恐ろしいのは現実だったりするからだ。
 
正直言って映画を娯楽濃度から評価する癖のある僕は、あまりこの映画を高くは評価できないが、この中に登場する人物たちは、さすがにそれぞれリアルな存在感がある。中でも僕はジュード・ロウ演じるフリージャーナリストというのか、ネットのブログなどを情報発信の場にしている人物がなかなか興味深かった。
 
この国でも政権交代以降、フリージャーナリストと名乗る人たちの台頭が特に目立つようになった気がするが、正直言えば僕は彼らと従来のメジャーメディアの記者とどこがどう違うのか、まだよくわかってない。ただ最近、震災以降の一連の原発放射能問題に絡んで、最近台頭のフリジャの一団の中でも代表的な名前になってきた人たちの言動をたまたまニコチャンやらツイッターやらで見かける機会があり、はっきり言ってこの人たちの言うことは信じられるのかどうかということが、甚だ疑問になってきたことは、最近の僕の気分である。
 
まあこれは科学的な根拠があってどうこうという話ではないので、あくまで僕の気質からくる考え方に過ぎないが、何度も繰り返しているとおり、僕は自分の考えを疑っていない人間の考えは、あまりまともに聞く気がしない。人は真実を述べようとするときほど、謙虚になるべきだと僕は思っているが、どうも最近の風潮では、小さな声を押さえつけてでも声のでかい奴ほど正義、相手を罵倒しまくって一番最後に立っていた奴が正義、みたいな感じがしてとても嫌な気分だ。
 
前述のフリジャとしてマスコミ的にも有名な人は、以前から記者クラブを激しく攻撃したりしていたが、それはそれなりに正しいと思える理屈もあるものの、この人たちの他人への接し方を見ている限り、何だかこの人たちは自分がその場に取って代わって新しい権力者になりたいだけなのではないかとさえ思えるようになってしまった。残念だな。これでは大阪のハシモトさんについて僕が抱いている感覚と似てきてしまったがね。
 
ジュード・ロウはパンデミックで混乱する社会をさらに混乱させるフリジャかブロガーとして登場するが、この嫌ぁな感じの奴って、現実にもいっぱいいそうでなかなかうまい人物造形だと思った。考えてみれば、日本では放射能がらみでもうこんな連中がそこここに出没してそうだ。
 
ここまで書いてきて、少しソダーバーグの狙いもわかるような気はする。もともとこの映画、ストーリーを期待して観に行ってはいけないのだ。この映画を楽しめた人はいい。国が滅ぶような体験をしても、二時間経てば映画館から出てこれるのだから。僕らはどこへ出て行けばいいのだ。……ブータンか?

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