あけてしまったからおめでとう(^_^;)
昨年はみんな思ってることだろうけど、本当にいろいろあって、それが久方ぶりに個人の範囲を超えた国家的ないろいろと物を思わざるを得ないことがあったわけで、多分こんな風に個人がいま自分たちがどんな国に生きているのかということを、地理的にも政治的にも意識してしまったのはほとんど戦争の時以来かと思う。
いやいや、じゃああれはどうなのよとオウムのサリン事件や阪神淡路大震災のあった95年を例に持ち出す人もいるかも知れないが、いまから思えばあれは局地戦だった。当時の村山内閣の対応を批判する人もいるけれど、誰もあんな事態に慣れてなかったことを若干考慮してみれば、あの爺さんにすればよくやった方じゃないかとも思えるのは、官邸が機能したのかどうかというその一点だけをとってみても、もちろん今回の震災の対応と比較しての話である。
ま、ここから先はこんなところで偉そうに書く話ではなくて、個人的に酒を飲んだときにでも聞かせる愚痴話の類であり、ともかく時間が先にしか流れていかないのと同様、人の目も顔の前にしかついてないわけだから、生きていくつもりなら前を見ていくしか仕方ない。
もしかしなくてもいまは、もう1年近く前から時が止まったままの人も数万人の単位でいるかもしれない。ずっと年なんか明けなくていい、いや、いっそ明けないでくれ、あるいは明けたからどうしたという気分の人だって多いだろう。そんな人たちだって1年前の今日は、互いに笑顔で挨拶を交わし、良い年をとか、おめでとうなどと言い合っていたはずなのだ。
だから僕たちだってわからない。
今日おめでとうなどと言い合っている僕たちは、今年これから先、自分自身はもちろん自分の周囲の世界にもどんなことが起きるかまったくわかるはずもない。僕らは何という頼りない偶然の確率の中を生きているのか、一昔前にウッチャンナンチャンの南原が下着一枚で仲間と踊る葉っぱ隊というギャグコントの中に、生きてるだけでラッキーだという歌詞があったが、あの言葉はまさに真理であったなあと、去年は何度かそんなことを思い返すこともあった。
そのことを、自分は忘れないでおこうと思う。何もできないならせめて忘れないことだ。ということを、自分の漫画でもセリフで書いたつもりだけど、なんかうまく強調されずに埋没しちゃったので()、あえてもう一度、年頭の自分への確認としてここにメモしておく。東北のために何ができるかなんて偉そうな話じゃあない。あの震災を忘れないのは自分の生き方を照らす鏡にするためだ。
今年は仕事もして恋もして、少しは自分の考えていることも主張してみようか。ちょいとばかし世間を斜めに見上げながら……という感じのテーマで仕上げたのが今年の年賀状。届いた人も届かなかった人も、本年もどうぞよろしくお願いします。
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コメント
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新年明けましておめでとうございます。
本年も先生のますますのご活躍と健康を祈り申し上げます。
投稿: 位置や | 2012年1月 3日 (火) 23時55分
位置やさん、昨年も応援していただいてどうもありがとうございます。
青息吐息で細々と、だましだまし生きながらえていこうかと思っている僕ですが(^0^;)、本年もよろしくお願いします。
投稿: ujikun | 2012年1月 4日 (水) 02時29分