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打率は3割前半に落ちたかもしれんが(^0^;)

大した話題じゃないけどね。いつもの『カーネーション』の話だから。
 
実は戦後編になってからこのドラマ、いわゆる糸ちゃんの中年以降の話になってからは、僕がテレビを見ながら「おうおう」と唸らされるような展開はめっきり少なくなってしまった。エピソードで区切れば、周防さんとの不倫騒動の話までと、それ以降のエピということになるだろうか。
 
いや、それでも並のドラマ見ているよりはまだレベルの高いものを見せられているとは思ってるから、特に不満があるわけではないのだが、なにしろ前半の糸ちゃんのドラマがものすごい緻密さと密度と速度で語られてきたから、どうしても比べてしまうのは仕方ない。
 
連続作品はアベレージで見ろと言ってる僕だが、あえて昨日(27日)オンエアの回に限った感想を言えば、ジュリーらしきジョニーなるタレントが出てきて上げ底靴のネタやら口説きの芝居とか、サイケの女王直子の結婚で披露されるゴーゴーダンスのノリとか、当時の世相や交友関係を表わそうとして入れたエピだろうけど、いままでのあのドラマのレベルから考えると、ちょっとつらいダサさだった。何か、普通の朝ドラレベルに戻ったというか、いっそフジの昼の帯ドラとか、花王愛の劇場レベルの内容と言った方がいいかもしれない。
 
だからといってあのドラマはもうダメだなんて意見には僕は与しないけどね。これはイチローの打率が最近3割1分とか2分に落ちてきたからもうイチローだめだねと言ってるようなもんで、そもそも3割打ってる時点で凄いことじゃん!。去年阪神のバッターで3割維持した選手が何人いると思ってるのか!?() つまりイチローって、日本にいた頃は普通に毎年3割4分とか5分、下手すりゃときどき3割8分とか打ってた化け物だったゆえに、こんなこと言われたりするのである。
 

『カーネーション』の前半もある意味、いろんな要素が化学反応を起こして化け物みたいに面白いドラマを作り出していた。だが、いまは妖怪レベルだからと言って、別に文句を言う筋合いはないということだ。
 
このドラマが凄いのは、まことにまっとうに、ヒロインの人生に視聴者を付き合わせているからで、悲しいかな糸子の青春はもう過ぎてしまった。僕らはこれから糸子の晩年に付き合っていくのだから、老境を迎えた糸子が20代の頃と同じ突っ走り方をしたら、それこそ民放の漫画みたいなドラマと同じレベルの作品になってしまうだろう。もちろん、だからといって幾つになっても糸子はやっぱり糸子やなあ、というところだけは、きっちり押さえてくれるはずだが。
 
ただし、今朝(28日)の内容には軽く驚いた。糸子の幼い頃からのレギュラー登場人物であった玉枝さんが、癌か何かで余命幾ばくもないとわかる。その見舞いに訪れた糸子に、玉枝は息子の勘助が大陸で恐らく非道な行いをしてしまったのだろうと悟ったことを告白する。
 
正直言えばこの流れは、結構唐突で、なぜいまこの段階でこんなセリフを入れたのだろうかと僕は最初、脚本家の意図がよくわからなかった。というのも、この脚本家の歴史認識、という大げさなものでなくとも、日本が過去に関わった戦争に関する考え方は極めてまっとうで冷静なものだということを、僕はこのドラマの、特に戦中編あたりを見た頃から感じていた。だから戦争のシーンなど一度も出てこないのに、あの時代の最初は明るくて、だんだん嫌な感じになっていくあたりが、実に絶妙に描かれていたのだ。
 
勘助は一度召集されて中国戦線に向かうのだが、途中で鬱病状態になって戻ってくる。このときに糸子が勘助を元気づけようとやった行いがもとで玉枝と糸子は絶縁状態になり、以後、戦争が終わるまで玉枝さんは本当に一切画面に出てこなくなる。しかも戦争末期になって、再び召集された勘助は、すぐに戦死してしまうという、このあたりの日本軍の状況の描き方もうまい。さらに言えば、鬱病になった勘助の状態を見て、僕は、これは戦場での恐怖というより、戦場で目撃したことや体験したことに耐えられなくなったという描写なんだろうなとはすぐに想像がついた。ドラマの中ではそのことに関し、一切説明はなかったが、だからこそ余計にこの脚本家の、戦争とはこういうことだというメッセージがより強く突き刺さるようになっていた。
 
ただしこのあたりは、わからない人にはまったくわからないだろうとは思う。この脚本家はとにかく語らないことで世界のバックグラウンドを視聴者に想像させるという、いまどき珍しい手法を使う作家なのだ。70年代頃までのドラマには、こういう脚本はよくあった。時代がバブルに入った頃から、ドラマはとにかく登場人物たちが心情をのべつまくなしにまくしたて、あるいはいま自分の置かれている状況をご丁寧にもセリフでいちいち説明し、感情の盛り上がりや落ち込みはBGMで判断するような、そんなドラマがこの国ではドラマと称されるものになっていった。
 
さて、玉枝さんの告白のシーンだが、だから勘助が戦場で殺されそうになっておかしくなったのではなく、殺したためにおかしくなったのだというのは、理屈としては至極まっとうな話である。僕が唐突な印象を受けたのは、そんなことはもういまさらの話だし(わかっている視聴者にとっては)、逆に国民的人気ドラマの看板をものにしつつあるこの状態で、こんなセリフを入れたら、たとえばどこかの名古屋市長みたいなレベルの人間が騒いだりするのではないかという危惧もあるのに、なんであえていまこんなことやるかな、と思ったためである。
 
で、ここから先は例によって僕の勝手な推測だが、
 
玉枝さんはたぶん、あれが最後の登場シーンだと思う。恐らく翌朝にはもう死んでるだろう。だとすれば、あの戦時中の玉枝が糸子に絶縁を申し渡したそもそもの原因となった勘助の状態。その原因を一度きっちり説明しておいた上で、糸子は悪くないということを、玉枝さんは死ぬ前に糸子に言い残しておきたかったのではないか。ドラマ力学的に考えるなら、あそこのセリフはそういう意味合いがあると解釈はできる。
 
さらに妄想をたくましくしてもう一つ言えば、この脚本家はおそらく、××は自分のドラマなんか見なくて結構! と思ってるんじゃないか。いや、僕はときどき、そんな気分で話を書くこともあるもんで…()
 
で、玉枝のセリフの場合は何というか、いわゆる××な頭しか持ってない人には不愉快極まりないセリフということになりかねず、彼女はこの際だから、そういう人は頼むからうちのドラマから離れてくださいと、そんな大胆な××視聴者切り捨て計画を実行しているのではないだろうかと、そんな風に思った次第。
 
なにしろ被災地のがれき処理が進まないのも憲法9条が悪いなんて言ってる首長がいるご時世だ。しかもそんな人の支持率は結構高い。となるとこれからどんな屁理屈でも通る時代が来るかも知れないという一抹の予感があれば、決して声高にではなく、ちらりちらりと衣の裾に赤い舌を隠す程度のいちびりは、しておきたいというそんな心意気の表れであるかもしれないなどと考えて、僕はつい一人、夜中にほくそ笑んでしまうのだ。

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