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2012年3月

ええ人生やったね。

今朝、とうとう『カーネーション』が最終回を迎えた。まあ、糸子は昨日の段階で死んでしまったので、それほど感動を盛ったり必要以上に泣かせにかかるエンディングを作る気はないんだろうなと思っていたら、案の定にあざといことは一切せず、淡々と終えた。とことん矜持のある脚本だった。

 

出演者を先に見せないためにオープニングは最後に持ってくるだろう、それと第1話冒頭の二人の糸子の歌もまたやるんじゃないかと思っていたら、その予想は当たった。いままでさんざ、そうくるかあと外されてばかりいたが、最後の最後にこの脚本は、ちゃんと最終回の王道スタイルに寄せて物語を終えた。

 

どこかの感想掲示板にもよくあった意見だが、泣かせ場面のピークとしては、確かにオノマチ糸子の最後の出演回が絶頂だったろう。ただ、あれを最終回にすればよかったという意見には僕は与しない。夏木糸子になってからは、確かに関西ネイティブの僕らの耳には、夏木さんのセリフのイントネーションが少々苦しかったのは事実だ。

 

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溜め録り一気見!

東京から戻って少し気分が落ち着いてきた。たちまち連載の〆切がもう来てるので、これをこなさなきゃ。そんな状態というに、帰ってきて撮りためておいたドラマの類が気になるので、片っ端から見ておく。おかげで寝不足。仕事、また遅れそう。自業自得。
 
最初に『R1グランプリ』を見たのは楽そうだったから。ただしこれが始まって以来、おおむね僕は毎年チェックしてるけど、今年はいままでで一番つまらなかった。一人芸というのは落語と同じで、その気になればどんな宇宙的空間でも客に向かって繰り広げることができるのに、なんだかだんだん単に一発ギャグあるいはお題に沿ったテーマギャグを幾つ客に提供できるかを競うようなショーになってきた観がある。
 
だったらR1なんてたいそうな舞台を設定しなくても、もうレッドカーペットのような1分芸で十分。優勝はcowcowの空豆みたいな顔をした人だったが、技巧だとか間だとか言う前に、こうなると単に趣味の問題じゃないのか。それなら僕はまだ、日本のことわざに一部英語を紛れ込ませるヒューマン中村のフリップ芸の方が笑った。「クララがtap dance!」……確かに。
 

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無名仮名人名簿

いよいよ仕事を大詰めにしたい、とはいえ半年前に大詰めだったはずの仕事だけど、そんなこと言い出せば2年以上予定から遅らせてる仕事の話でもあるので、いまさら半年くらい何とも思わんが()、そんなわけで、最近はまとまった小説を読む気になれず、もっぱらエッセイとか雑学本とかその類のものばかり、いきおい読んでいることが多い。
 
最近のお気に入りは先日も述べたように向田さんを何冊か。この『無名仮名人名簿』はとりあえず僕が読み始めた彼女のエッセイの中では出色の面白さ。どれも短文だがウィットとユーモアに溢れ、中には一編の小説を読み終えたようなしみじみとした読後感に浸れるものもある。なにより文章が憧れるほどに美しい。久々に声に出して読みたくなり、実際に読んでみる。こんなときにふと思うのだが、僕はiPadを片手にそこに表示された文字を読みたいとは、どうもこの先もずっと思わない気がする。
 
声に出して読む行為というのは、あくまで本に対して行うもので、電子書籍の類のものは僕は本とは呼ばないし、認めてもいない。本とはたとえぬめぬめだのねちねちだのいってるエロ本であろうと間違いなく人類の歴史と叡智の集積の結果の一つであって、iPadだのスマホだののディスプレイに表示されているものは、あれは元を正せばただの0か1かのデータに過ぎない。
 
なあんて思い込んでる僕には、とりあえず死ぬまで守るであろう人生態度が幾つかあって、というわけでこのたび、その一つに「iPadで朗読はしない」という条項が加えられた。ま、ほかの条項はどんなものかと聞かれたら、たとえば国鉄のことは死ぬまでJRとは呼ばない、とかね。我ながらくだらねえなあと思うが、なに、こだわりなんてものはたいていくだらないものだ。そういや、
 

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眠る盃

最近、渡辺あやさんがお気に入りの関係で、ちょくちょく向田邦子さんの本を図書館から借りてきては読んでる。今週は『眠る杯』というエッセイ集で……あ、でも別にこの文章、いま気づいたが、まったくつながってないな
 
渡辺さんの脚本から向田さんをイメージしてしまうのはあくまで僕の勝手な感想。僕は『火の魚』あたりで、なんとなくそんな匂いを感じ取っていたけれど、この『カーネーション』でその思いを強固にした。ただし『カーネーション』全体のイメージを見返してみれば、むしろ向田脚本の濃密さとはまた違う「かろみ」が目立ってくるし、僕は何も渡辺さんと向田さんが似ているなどと主張したいのではない。それでもあの物語前半の立役者、小原善作というキャラは、あれぁ僕の感想ではまるで向田邦子が乗り移ったか如き筆で描かれたように思える。
 
正直言えば僕は、向田さんの熱心なファンだったわけではない。あの人がぐいぐいと世に出て行く頃って僕の中学高校の頃だから、そんな年頃に見た『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』のインパクトが、いまに至るも残っているだけだ。そう、小原善作を見たとき僕が真っ先に思い出したのは、この『寺内貫太郎一家』だった。向田さんは自分の父親をモデルに、不器用な生き方しか出来ない昭和の頑固親父を描いたが、あの善ちゃんはまさしく昭和の親父のDNAを見事に再現していて、あんなに憎たらしくて愛しくて、どこか懐かしい親父はそれまで向田邦子のドラマの中くらいしか会ったことがなかったために、ついこんな連想になってしまったんだな。
 

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メモリアル・デイ

この日が近づく一週間くらい前から、テレビなどではやたら311、311なぞという言葉が喧伝されるようになり、それはたとえば、あの311から1年、という文脈などで使われるのだが、つまりそのおかげで僕なぞは、ああ、あの震災は3月11日であったかとやっと思い出したり記憶に残るようになったわけで、たとえばこれが3ヶ月くらい前であれば、僕は東日本大震災の起きた日付をはっきりとは覚えていなかったかもしれない。
 
これは僕にとっては東日本より身近な阪神大震災も同様で、これでさえいまふと何日だったかと問われたとして、もう調べたり何したりせずに現時点の素の状態で正直に答えれば、1月の14日だったか15日だったか定かではないほどだ。……いま、広辞苑で調べたら、実は17日だった。最低だな>俺
 
どうも僕は昔から人の顔と日付を覚えるのが苦手で、たとえば僕は自分の3人の弟妹の誕生日は一切知らない。結婚するまでは親の誕生日さえ、ちょっと心許なかった。結婚したら妻が親の誕生日にうるさい女だったので、かろうじて両親の誕生日は覚えたが、もし弟妹の誕生日を知る必要があるときは、いまでも妻に聞く方が早い。
 

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次回作は業界舞台のミステリー希望

金曜の昼間、数日前にAmazonで購入した本が届く。
 
いや、ほんとはさ、『カーネーション』のDVDボックスをAmazonで注文したんだけど、なにしろあれはまだ放送も終わってないし、とりあえず第1巻の発売は3月の末からになるらしい。当然予約注文という形になるが、もう構わないからと、注文してしまったわけですな。ちなみに第2巻以降の予約はまだ先になるみたい。
 
そのついで、というと語弊があるが、まあ、以前から買おうとは思ってたけど、この辺りの本屋ではまず売ってないだろう本を注文。東良くんの『東京ノアール』というタイトルだが、それが届いたので我慢しきれず仕事の合間にちょろちょろと盗み読み。あ、別に俺が買った本だから盗み読みではないか
 

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春を待つ手紙

だんだんと夜にエアコンをつける時間が減ってきた。風呂から上がっても、あさぶさぶさぶさぶぅ~と言わなくなった。何より同じ薬の量を飲みながら、朝の僕の血圧の数値が若干下がってきた。
 
春が近づいている。
 
『カーネーション』は夏木糸子の味が出てくるかどうかがポイントだと思う。まだ夏木さんはもしかすると尾野糸子に遠慮しているような、という言い方が悪ければ、尾野糸子のイメージを壊さないように芝居しているような、そんな感じがする。夏木さん自身もどっかで「アウェーの気分」なんて言ってたくらいだから、相当やりにくいとは想像に難くないが、僕はむしろ夏木さんの演じる糸子を見たいと思っているのだから、そこは割り切ってどこかで開き直ってほしい。
 
心配しなくてもあのドラマは、歴代のキャストがみんな怪演することがそのまま見事に快演につながるような、そんな奥の深い脚本で出来ている。キャラの作り込みがはんぱねーということだ。こんな構造を持つ脚本、僕の記憶にある限りでは、ほとんど向田邦子以来といっていい。
 

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うちの宝はぜぇ~んぶここにある

もう完全に見てる人にしか語りかけてませんが『カーネーション』。様々な話題と憶測を呼んで先週ラストでついに主役交代劇となったが、そのオノ糸子篇の掉尾を飾るにふさわしい絵面がちゃんと脚本家は用意してくれていて、僕なぞまあ、あの渡辺あやにしてここまでベタな絵を見せるかと、これじゃあ『さらば宇宙戦艦ヤマト』の古代くん一人特攻直前のシーンじゃないかなどと突っ込んでみたりしたものの、言いながらテレビに向かって号泣しておりましたな()
 
ちなみに、これ書く直前にセリフ確かめるためにもっぺん録画してある奴を見直していたら、問題のシーンでまた号泣してしまい、妻に呆れられた。もうこうなるとパブロフの犬みたいなもんで、これから後の人生、僕はいつでもどこでも千代さんが善ちゃんを見つけるシーンを頭の中で思い浮かべるだけで、涙を流せる。これならいつ役者になって泣きの演技を求められても、もう大丈夫だ。ありがとう、渡辺あや。
 
タイトルはあのだんじりの夜、糸子にひそかに思いを寄せるほっしゃん北村が、糸子と一緒に事業するため東京に出ていかないかと誘うのだが、それに対する糸子の返事がこの言葉。岸和田の町を離れられない糸子の生き方と、東京どころか世界に羽ばたいていく娘たちの人生を交錯させて、実に味わい深い。この場合の宝とは、思い出のことだろう。あるいは人との関わりの記憶。それらはすべて自分の歴史であり、自分の一部なのだと。老境を迎えた糸子は、その思い出と共に生きていく覚悟を決めたということだろうか。
 

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内田さんが一番まともなことを……(^◇^;)

最近、お昼のワイドショーのような番組を見ていると、このところずっと必ず1コーナークラスの話題として出てくるのが、オセロの黒の人の方の話題。ま、そもそもオセロって「黒い人」なのだが()

 

お昼に『カーネーション』を見終わってチャンネルをザッピングしてると、この1週間ばかりは実にこの話題によく行き当たった。とはいえ僕は別にこの人が洗脳されてどうだとかマインドコントロールでこうだとかって話にはあまり興味がない。この件に関しては40も過ぎたお姉ちゃんが、自分で承知してやってることに周りが騒ぎすぎだという内田裕也のコメントが一番正鵠を射ていたと思う。

 

僕は僕で、初めてこの話題を知ったときは、小説か漫画のネタとしてもったいないことしたなあ、てな思いがちらと頭をかすめた。ま、これは職業上の業だね。このオセロの黒に取り憑いた人って、これほど話題になる前にこういう人が現実に存在することを知っていたら、立派にホラー小説か何かの題材になりそうだったもの。

 

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