内田さんが一番まともなことを……(^◇^;)
最近、お昼のワイドショーのような番組を見ていると、このところずっと必ず1コーナークラスの話題として出てくるのが、オセロの黒の人の方の話題。ま、そもそもオセロって「黒い人」なのだが()
お昼に『カーネーション』を見終わってチャンネルをザッピングしてると、この1週間ばかりは実にこの話題によく行き当たった。とはいえ僕は別にこの人が洗脳されてどうだとかマインドコントロールでこうだとかって話にはあまり興味がない。この件に関しては40も過ぎたお姉ちゃんが、自分で承知してやってることに周りが騒ぎすぎだという内田裕也のコメントが一番正鵠を射ていたと思う。
僕は僕で、初めてこの話題を知ったときは、小説か漫画のネタとしてもったいないことしたなあ、てな思いがちらと頭をかすめた。ま、これは職業上の業だね。このオセロの黒に取り憑いた人って、これほど話題になる前にこういう人が現実に存在することを知っていたら、立派にホラー小説か何かの題材になりそうだったもの。
でもよく考え直せば、僕は小説をあまり読まないから知らないだけで、こういう憑き物みたいな人種をテーマにした作品はとっくにあるのかもしれない。だっていまこんなこと書きながらふと、演劇とか映画でなら、僕はこのシチュエーションに似たパターンというかモチーフを何度か見た覚えがあることを思い出した。平穏な日常を送る一家もしくは個人の生活の中に突然異物である他者が進入してきて、主人公の生活を徐々に浸食しついには崩壊させ、その隣人はまた新たな宿主を求めて別の場所に去って行く、というようなね。
その恐怖を極限まで突き詰めればたとえばハネケの『ファニー・ゲーム』みたいなものになるのかもしれないが、ただまあ、この手の多くの作品と現実のこの話題が一つ決定的に違うのは、ドラマの中なら主人公は、最低でも物語終盤に至るまでにどこかで我に返る瞬間があるということだ。我に返った瞬間、自分の生活がこの他者によってどれほど破壊されていたかということに気づき、しかも気づいたときにはたいてい手遅れで、排除しようとしても簡単には排除できない状態になっていると、だからここで観客は主人公と一緒に恐怖を感じる仕組みになっている。
だが現実の場合は、むしろもっとシンプルかつ恐ろしく、たいていの当事者は多分物理的な崩壊、たとえば殺されるとか全財産失うようなことになるまで、我には返らない。もしかすると本当は騒ぎが大きくなってきた時点で我に返れるポイントもどこかにあったかもしれないが、それはもう無理矢理押さえ込んで我に返らないようにしている、ということも想像できる。だってそこで我に返ってしまったら、巨大な不幸と向き合うしかなくなるからね。
まあ、カルトに傾倒してしまう人にもざっくり言えば同じ傾向があるだろうけど、こういうものにハマる人って、基本不幸なんだろう。少なくとも現在の自分の状態に満足している人が、カルトやら占い師やらに引っかかって身を持ち崩していくなんて話はほとんど聞いたことがない。だからこういうものに傾倒してしまった人たちって、妙に明るい。僕は昔、近所にカルトの本部があるようなところに住んでいたことがあって、迷惑な光景には何度も出くわしているが、その近くで勧誘活動をやるような連中は概ね笑顔で、全員テレビで見る北朝鮮の小学生みたいな顔をしていた。
カルト系の思考にハマッた人間が強いのは、自分が見たいものしか見ず、信じたいものしか信じてないからだ。だから、自分の信じるカルトの理屈に合わない、あるいは不利にさせる材料となるような情報は平気で無視できるし、あるいはきっぱりと否定する。否定するためにも反証が必要となるが、なにしろ自分の信じたい理屈やその理屈に都合のいい事実の一部分だけを利用するというやり方を使えば、案外どんなまともな情報だって否定できる。オセロの黒がいまこの状態なら、多分周りで誰がどんなことを言っても無駄だろう。
僕がこの騒動に基本的に興味がないのは、このためである。何を言っても無駄。何度かカルト系の人と言い合いを、つまり論争なんて上等なもんじゃないのだが、まあそういう会話をした経験から僕が学んだのはそういうことだ。疲れるだけ損()
ただ、最近インターネット社会が到来し、有名無名の人を問わず、ネットに有益無益の言説が日々あふれまくるようになってくると、別にカルトにハマるまでもなく、己の信じたいことしか信じず、見たいものしか見ない人は、そこここにいるんだなということにあらためて気づかされる。この数年、あるいは震災以降、そういった人々が印象として何となく増えている気がするのは、やはり不幸な人が増えているのではないかという印象にそのままつながるのだけれど。
僕がオセロの黒の話題を、それじゃどうして気になったかというと、この話題を取り上げる各局あるいは各番組、すべてオセロの黒と同居している問題の人物を同じ表現で扱っていたからだ。いわく。
「自称霊能者」
この言葉をどの局でも使っていて、聞くたびに僕はつい吹きだしてしまう。なんか聞くだけで楽しくてさ。「自称霊能者」。テレビショー側の狙いとしては、オセロの黒と一緒にいる人間のいかがわしさを引き立てようとして、わざわざ「自称霊能者」という単語を使ったと思う。「自称プロサーファー」の時と同じように。ところがテレビはまったく意図してなかったことだと思うけど、結果としてこの言葉は「霊能者」という存在そのもののいかがわしさもあぶりだしてしまった。だって、
そもそも自称じゃない霊能者っているのか!?
これを機会に今後、テレビに出てくるその手の方たちにすべて「自称」の肩書きを書き加えていけば、いまのテレビ界も少しはましなものになりそうな気もするが、まあそれは無理なんだろうな。でもそんな世界を一瞬でも想像させてくれたという意味で、僕のいまひそかなマイブーム。「自称霊能者」。
……誰かに言ってみたい
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