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メモリアル・デイ

この日が近づく一週間くらい前から、テレビなどではやたら311、311なぞという言葉が喧伝されるようになり、それはたとえば、あの311から1年、という文脈などで使われるのだが、つまりそのおかげで僕なぞは、ああ、あの震災は3月11日であったかとやっと思い出したり記憶に残るようになったわけで、たとえばこれが3ヶ月くらい前であれば、僕は東日本大震災の起きた日付をはっきりとは覚えていなかったかもしれない。
 
これは僕にとっては東日本より身近な阪神大震災も同様で、これでさえいまふと何日だったかと問われたとして、もう調べたり何したりせずに現時点の素の状態で正直に答えれば、1月の14日だったか15日だったか定かではないほどだ。……いま、広辞苑で調べたら、実は17日だった。最低だな>俺
 
どうも僕は昔から人の顔と日付を覚えるのが苦手で、たとえば僕は自分の3人の弟妹の誕生日は一切知らない。結婚するまでは親の誕生日さえ、ちょっと心許なかった。結婚したら妻が親の誕生日にうるさい女だったので、かろうじて両親の誕生日は覚えたが、もし弟妹の誕生日を知る必要があるときは、いまでも妻に聞く方が早い。
 

父の命日は、まあ何度か法事を主催した関係上、確かあの日だなというのはあるけど、これとて妻に確かめねば自信はない。小さい頃よく可愛がってもらった母方の叔父は、何十年も不義理していたのに滋賀へ戻って再会したら昔とまったく同じように優しく迎えてくれ、急死した父の葬儀と法要を親身に手伝ってくれたが、父の百箇日を済ませると、ようやく一区切りやなと言い残し、その直後、急死してしまった。
 
それなのに僕はこの叔父の命日さえちゃんと覚えていない。一抹の忸怩たる思いはあるけど、いまさらわざわざ叔母に命日を聞いたりもせず、いずれ何かの折に頭に入れば、それはそのときでいいだろうと思っている。きっとあの叔父なら笑って許してくれる。
 
たまたま誕生日と命日を同列に並べてしまったが、自分の体験と記憶に残る特定の日といえば、結婚記念日とか、人によっては失恋記念日とかサラダ記念日とか、個人史的にはそんな脳天気系の記念日は楽しそうだ。あいにく僕は個人史的な記念日の類は上記の理由でほとんどない。もしいま若いお姉ちゃんと付き合ったら、面白みのない男と分類されてしまうだろうし、相手が韓国人だったなら二人の何とか記念日を忘れていたというだけで捨てられるだろう。
 
逆に国民史としてのメモリアルとなると、関ヶ原の開戦日とか(旧暦だが)、太平洋戦争における大空襲や原爆投下などの日時を覚えているというのは、いかがなものかな。単に興味のあるなしという話だったのか!? いずれにせよ近代以降の国民史的メモリアルって、戦争や大災害をもたらした日がついつい選ばれがちで、アメリカの7月4日の脳天気さがうらやましい。
 
東日本大震災の311も、今後は間違いなくこの国のメモリアル・デイということになっていくだろうが、僕らにとっての311と現に被災した人々の311は、たぶん誕生日と命日くらい違う。実際、被災した人にとっては、311が誰か近しい人の命日であることも少なくはないだろう。だとすればこれは僕の想像だが、多くの被災者にとって今日は1年目の311ではなく、1年前からずっと3月11日のままなのだ。
 
この絶望と断絶を、僕らは決して共有できない。ここを認めておかないと勝手に、あるいは無神経に、僕らとあっち側にいる人々に「絆」なんてものがあると思ってしまう。誰がこんな言葉を持ち出してきたのか知らないが、そんなものはない。少なくとも最初から被災者と非被災者の間にそんなものがあるわけない。
 
そもそも絆とは犬や馬が逃げないように嵌める枷のことだ。これを人間の関係性に敷衍して使う場合は「離れたくても離れられない」「逃げたくても逃げられない」という、まるでDV夫婦の間柄でも表わしているような意味合いがポイント。人との絆を造る関係とは、利害関係かセックスか血縁しかない。つまりこれらならいま述べたような関係性があり得るから。ただし、そこまで考えた上での被災者に対する「絆」という言葉の選択だったなら、それはそれでなかなか意味深でもある。
 
今日は朝から丸一日、テレビ各局はさながら震災特番デー。こぞって「あれから1年」と言われると、被災者の気持ちの欠片さえ想像の出来ない我が身としては、ともかく1年で何かの区切りがついたような気分にだってなる。だけど区切りなんかつけようがないのだ、本当は。たとえば僕が己の甘い見通しと楽観主義に頼ったばかりに父を失ってしまった気持ちのように。どこかでねちねちと自分を責め続けもする。そんなことはもうよして、ここらで区切りを付けて前に進みましょうなんて言われたら、きっと僕はもう、二度と前には進めなかったろう。
 
何とかいま治ってきたのは、誰も僕にそんなこと言わなかったからだ。

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