黒鳥の湖
仕事にちょい区切りのついた明け方、いまさらながら録り溜めしておいた連休中にWOWOWがオンエアした『ブラック・スワン』を見る。アカデミー賞作品ということもあるけれど、何とか公開中に映画館で観たいと思っていて果たせなかった。
正直に感想を言えば、僕の期待はややはずれていた。映画で描かれている内容を冷静に見るなら、技術力はあるもののいままで華やかなスポットライトを浴びる事もなくそろそろ中年に近くなってきたアラサーのバレリーナが、いきなり重要な舞台のプリマに抜擢されたはいいが、どうやらその喜び以上に重圧の方が高くなってきたため様々な幻覚や妄想に襲われ始め、ついには心身ともに崩壊していくという、まあ、ヒロインの悲劇ものなんだろうな。
熱狂的なナタリー・ポートマンのファンならたとえば彼女がくんにくんにされるシーンなどで喜ぶというか、使い途はあるかも知れないけど、僕は仮にこのDVDを持ってたとしてもおかずにはできない。役作りのためかどうか、かなり彼女は体を痩せこけさせてきてるし、深爪のシーンとかもね、ちょっと痛そうなのは生理的に受けつけない。
現実と妄想がごっちゃになって観客も主人公と同様に混乱させながら話を進めるというパターンはけっこう諸刃の剣で、うまくはまれば最高のカタルシスを得られるが(ちなみにカタルシスはよく「快感」と訳されることもあるけど、基本的にこの言葉は演劇から受ける感動を表わす言葉であり、その由来はギリシア語だと言えばおおよそ予想がつくとおり、この感動を生み出す劇とはたいてい「悲劇」のことだ)、物語が終わっても、狐につままれたまま取り残されたような気分になる作品も結構あって、残念ながらこの映画はその後者である。
ま、一つだけぶれてないのは、この作品で描かれているヒロインの妄想そのものはおそらく、すべて母親の抑圧から来る性的コンプレックスに由来するのだろうと思わせる道具立てになっていることだ。なんだか真面目にクラシックバレエをやってるかファンであるかみたいな人の映画サイトでの感想で、バレエの世界があんな下品な世界だと思われたらとんでもないなどと憤っている人がいたけれど、あれは別に内幕ものの映画ではないので、あの映画の中で描かれた濃厚なエロにまつわる人間関係は、すべてヒロインの妄想なのだと読み解くこともできる。
ヒロインは白鳥を完璧にこなせるのに、二役である黒鳥の演技がうまくできないのは自分がセックスの悦びを知らないせいだというコンプレックスがあって、そのために演出家の言葉もバレエ仲間の言葉もすべてセックスに結びつけられていったのだと。そう思ってみれば、彼女が経験したセックスはすべて幻ではなかったか。だが最後に彼女は自分の中に芽生え始めた黒鳥の消去を試みる。自分が完全な白鳥として死ぬために。完全な白鳥とは要するに完全なオーガズムである。
だから僕はこの映画を見て、デ・パルマの出世作『キャリー』をずいぶん久々に思い出した。ま、どこが似ているというわけではなく、単にテーマの類似性だけからなんだけど。ただし、もう40年近く前の作品なのにいまだに凄まじいインパクトを残す『キャリー』に比べると、この映画には監督の迸る才気のようなものはほとんど感じられない。
それでも僕の妻はラストにはちょっと泣けてきたなどと言ってるのでどうして? と聞くと、だってあのヒロインが可哀想でというから、もしかしたらそれが監督が観客に対して狙った線の一つなのかも知れないが、だったらあのラストだけが現実であるという説得力が必要だろう。僕はあれもヒロインの妄想だろうと思っている。でなきゃ踊っている最中に失血死しなきゃ嘘だろうよ。せめて失神して倒れるとか、ね。
ま、ぱっと見、ぱっとしないヒロインが白鳥の湖のプリマに抜擢されたところからすべて妄想で、現実のヒロインはプリマの選抜に落ちて絶望して自殺を試み、実はあそこから後はすべて死にゆくヒロインの頭の中で最後に展開された夢だった、なんてオチのウルトラCくらいあるかと思ったのだが。てゆーか、そうゆーあざとい話も、最近のハリウッドは平気でやるからね。なかなか油断がならない。
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