大人の態度(-_-;)
やはり今期はドラマが不作だ。たぶん。
実を言えば今期はあんましちゃんと新番組を見ていない。改変期にいろいろこちらのたてこんだ事情があって、けっこうなペースで第1話を見逃してしまい、もお~、だったらいいか、ど~せ日本のテレビで大したドラマなんか作るわけね~し~、という境地があった上に、でももしかしたら拾い物かもしれないから一応チェックしとくか的に見たのが「夏救助」みたいなドラマだったりすると、もう一気にテンションが下がってしまうわけで
ある意味、「夏救助」のあまりのトホホさが、他の新ドラマを見ようという気力を根こそぎ奪っていったような気もするから、考えようによっては意外と「夏救助」がドラマとして持つ破壊力というかポテンシャル、侮れないものがあるのかもしれない。あくまで「負」(まけ)のポテンシャルだが。
偶然見かけちゃってつい面白いかも、と思ったのは月曜にフジでやってる小栗旬と石原さとみのドラマ。物語がどう転んでいくのかいまのところまったくわからない、ま、最初から見てないからそもそもこれがどういう話かさえ僕はわかってないのだが、テンポもいいし、役者もそれぞれのキャラにはまったことをやってる気がする。
惜しむらくは、心に余裕があるときなら毎週見てもいいやと思うかもしれないが、いまの僕にはあまり余裕がないものだから、残念ながらパス。ただどっかのテレビ評だったか、このドラマは韓国ドラマのパクリで成り立っているみたいな書き方をしているものがあり、僕はふぅ~ん、そうなの? と、さほど驚きもせず、だからどうなの!? と、その筆者に逆に問いたい論点が幾つかあったくらいだが、ま、そこまでする義理は何もないし、そもそも僕は冬ソナ始め、韓国の現代劇は一つも見たことないから、知らない本歌のことには口を出さないのが大人の態度というものだろう。
NHKのBS放送の方で、時代劇の枠がある。
珍しく妻がこの枠で始まる新番組を見たいというのでタイトルを聞いたら、何と『薄桜記』だという。多少時代劇を知っている人間なら『薄桜記』と言えば市川雷蔵と勝新太郎だ。もちろん妻はそのオリジナルなど知らないが、新聞の番組欄で記事を見て何となく気になっていたという。へええ、あの『薄桜記』をリメイクするのかと、僕までつい一緒に見るからと言って、その番組を録画することにした。
時代劇好きの僕がなぜ、妻に言われるまでBS時代劇をノーチェックだったかというと……もう、だまされたくなかったからである。
実はこのBS時代劇枠、企画としてはめちゃめちゃおいしそうなところを持ってくるため、僕は何度も第1話だけは見ているのだ。たとえば時代劇の主人公になったことなどまず聞いたことない『塚原卜伝』とか司馬遼太郎の傑作『新選組血風録』、あるいは僕が大河ドラマでぜひやってほしいと待ち望んでいた手塚先生の本格時代劇『ひだまりの樹』とかね。タイトルだけ見たら、これはぜひ見てみたい、いや、絶対見なければと思わせるに十分のラインナップばかりである。で、第1話を見る。もうね、どの作品も例外なくそうなんだけど、見終わったら僕の両肩、床にめり込んでますからっ()
何だろうね、もしかしてNHK、この枠を何か若手の習作用の企画にでもしてるのかと思うくらい、どの話も安物感に満ちている。まあ、堺雅人の塚原卜伝てのもぴんとこなかったけど、永井大の土方とか市原隼人の伊武谷万次郎だって、NHKのくせに本当にそれしか人選できなかったのかよと投書したくなるくらい、どのキャストにも残る大きな違和感。あるいはみんな頭にちょんまげ乗せて現代劇をやってるだけである。さらにシナリオの安さ、軽さ、それはそのまま演出の凡庸さにもつながって、この画面に引き込まれるような魅力を感じる要素が何一つ感じられない。『清左衛門』作ってたスタッフはどこ行ったんだよっ!
企画としてはそそられるけど、見てみたらそんなに期待したほどでもなかった作品のことを、僕は個人的にハルキ映画と呼んでいるが、ハルキ映画だって脱力感も大きいものの、なおかつ同等の破壊力と満足感をもたらしてくれる作品だって何本もあったさ。BS時代劇には満足できる要素はほとんど皆無。
かつてこの局は貫禄と格調に満ちあふれた傑作を何本も送り出していたのに、いつの間にこんなことになってしまったのだ! 全部『清盛』が悪いのか!? なんぞという評価をあの枠に関して僕はもう決めつけていたものだから、そこで『薄桜記』をやると聞くと……またまた企画としてはめちゃめちゃそそるところなのに、見る前からすでに9割くらい諦めている自分もいるのだ。
で、このドラマの評価については案の定なので省く。それよりも、僕は今回、『薄桜記』のオリジナルってどうだったっけと確かめたい箇所があって、ネットで検索していたときに、ツイッターのまとめサイトでこの『薄桜記』が話題になっていたことを知った。へえぇ、意外と見てる人がいるのかなあくらいの感じで、ちょっと立ち寄ってみたら、その頭からの書き込みを何件か見ているうちに、ちょっとめまいがしそうになってきた。
なんと、その書き込みの大半は、今度NHKで薄桜記というドラマをやるらしいが、これは薄桜鬼のパクリではないのか!? という疑問の声だったのだ。
はあぁ??? 薄桜鬼? なんじゃそりゃ!?
とは言わない()。おそらくコミックか小説かゲームの原作があるのだろうが、僕はこのタイトルを持つアニメを何回か見た覚えがあるからね。一応時代劇風のアニメで、新選組の土方なんかを主要登場人物に設定した話だったように記憶するが、まあ、僕の趣味には合わないのですぐ見るのをやめた。でもこれ、なかなかの人気作品らしい。ということを、僕はこのまとめスレッドで初めて実感した。
もちろん、中にはちゃんとオリジナルの『薄桜記』が存在することを知っていて、アニメの薄桜鬼とは関係ないと言うことを説明する人もいるのだが、その声以上に次々と、薄桜鬼をもじった薄桜記なんてタイトルをつけるなんてNHKは最低だとか、許し難いパクリ行為だという書き込みの方がしばらくは多かったのである。そもそも僕がラテ欄に薄桜鬼なんてタイトルを見つけて、見ようという気になったのは薄桜記のパロディかと思ったからなんだが
まあそれで、あらためてネットの言説って何なんだろうと、少し思ったりした。もちろん「はくおうき」と言えば、いまの若い人にとっては『薄桜鬼』という作品のことをさすのであり、『薄桜記』なんてタイトルが出てきたら、それは自分たちの好きな作品のタイトルをもじったものだと思っても仕方がない。そんな勘違いは責められないし、そもそも映画の『薄桜記』が公開されたのは僕だって3つの頃だ。ただね、自虐ネタにするつもりがないなら、知らないことを威張らない方がいいだろうとは思う。
NHKの『薄桜記』って、明らかに『薄桜鬼』のパクリじゃないのおぉ? なんて書いている書き込みを見つけて、最初の頃はこいつ、「明らかに」だって、うぷぷ、と笑っていたものだが、だんだんその声に同調する書き込みが増えていることに気づくと、やがて何か言いようのない気持ちになってくる。
この人たちは、ものを知らないという以前に、何かパッと自分の中で思いついたことが真実になっていて、その自分だけが信じる真実を世間にこんな形で発表することに何の臆した風もない。すると、同じものを知らない同士が同調し、集まってきて、やがてそれが、たとえあくまであるネットのある特殊なコミュニティの中に限定した話であっても多数派になることはありうるのだと、あらためて思い知った。そしてそんな言説は、このネット空間の中にあふれかえっている。
僕はいまでも東京の電車の駅などでエスカレーターに乗るときは、どれほど人の流れを止めようと必ず右手で右側のベルトを持つ。さすがにラッシュ時などでは、もう無用の衝突を避けたい年頃なので階段を歩いたりするが、いまのところ概ね、右側に立ってトラブルになったことはない。当たり前だ。人はエスカレーターに乗るとき、自分の好きな方の手で、好きな側の位置に立って構わないはずだからだ。なのに見ていると、最近は僕以外にエスカレーターで右側に立つ人を見た覚えがない。20年くらい前ならまだ何人かいたのだが。
もしかしていまの若い人は、エスカレーターははなから右側を歩くものと決めているのかもしれない。彼らが物心ついた頃には、エスカレーターを歩く大人が一般的だったのだから。だとしたら、そんな思いやりのない無礼な態度を若者に信じ込ませたのは、僕ら大人の責任なのだ。そのことに無自覚で、若者の態度は責められまい。
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