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2012年8月

愛ちゃんの「しかみ家康」

ま、いまさらオリンピックの話もなんだけどさ()
 
でも、書こうと思ったことをメモっといて、文章にまとめきれずにいる間に時機を失するということはよくある。まるで僕の小説のように……
 
そうしたら昨日のパレードのニュースである。銀座に集まった人々の鳥瞰図をちらりと見たが、あれは確かに凄い。あんな人並みを見るのは、ほとんど太平洋戦争で日本の降伏を祝うニューヨークの祝勝パレード以来ではないか
 
そんな戯れ言はともかく、せっかくなのでオリンピックネタを蒸し返そうと思ったが、結局今回のオリンピックで最も印象に残ったのは僕の場合、やっぱり卓球女子の活躍だった。いや、実のところ今回の女子選手は偉そうに言うのも何だけど、みんな成長著しく、女子のシングルス戦を見ていたときから、あ、今回は愛ちゃんも佳純ちゃんも、ベスト4までは残るんじゃないかと思ったくらいでね。ま、全然予想は当たりませんでしたが()
 
むしろ団体はどこと当たるかというくじ運などもあるし、今回もメダルはぎりぎりのところで難しいと思っていた。なにしろ団体戦となると、強いところは束のように強い。理由は簡単で普段の練習相手もみんな強いからね。身も蓋もない言い方をすれば、いまの卓球界はどこも中国に勝てない。強い国とは、だから中国と、中国の選手が多く入り込んでいる国ということで、いくら僕が国粋主義者でもこれは認めざるを得ない事実だ。
 
ただ、その卓球女子チームが団体で銀メダルを取ったということは、乱暴な言い方をすれば中国以外のチームは撃破したということだ。決勝を見た限り、さすがにまだ実力の差は開いていたが、それでも中国を追い詰めるところまできた、形の上ではそういうことになる。だから、銀メダルでも愛ちゃんたちがあんなに嬉しそうに泣きだした気持ちは実によくわかった。てゆーか、僕も一緒に号泣してたし
 

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収入の話

何かと人騒がせの某巨大掲示板には「シューマン」を語るスレがあって、実は僕は暇潰しに、時々こっそりここを覗くことがある。
 
というのも、ここに書き込む人たちはどうもそれほど多くはなさそうで、何となくメインはせいぜい3、4人がいいとこな気配がぷんぷんするのだけれど()、おおむね「なみ診」に関しては好意的な書き込みが多く、たいていの場合、あまり傷つかずに見ることが出来るからだ。
 
まあ、いったいどんな人が発言しているのかは想像もつかないが、少なくとも僕みたいな立場の人間も含めて「シューマン」に近い業界関係者がいないことだけは間違いないだろう。なにしろ、ここに書かれていたことで僕が本当だと思ったことや当たっていたネタはただの一つもないからね()
 
ただ、いかにも編集内部の情報を知っている事情通を気取った書き方が多いから、それはそれでまた、違った意味で楽しめる。「なみ診」なぞ、何度編集部で打ち切りが決定したと宣言されたことか
 
まあ僕は、ガセだろうとヨタだろうと、話題にしてもらってなんぼの商売なので、肯定的に名前を出してくれるのはありがたいし励みにもなる。ただし先日、なみ診の原稿料を予想している人があって、それによればページ3万という数字があげられていた。
 

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夢の話

母の件は、とりあえず山は一つ越えたろうか。
 
もちろん油断は出来ないが、昨日は前夜から泊まり込んでいた僕と妻は朝に一度家に戻った後、昼近くまで休み、とはいえ実際は二人ともほとんど寝ることも出来なかったものの、昼過ぎから再びホームに出かけ、夕方まで母の側について過ごす。
 
もっとも、ずっと母の部屋にいてくれたのは妻だけで、ともかく仕事を進めねばならない僕は近所の喫茶店に行ったりして、原稿書きを続ける。喫茶店に入って間もなく、窓の外も見えなくなるほどの大雨が夕方まで続き、実質僕は喫茶店に閉じ込められたような状態で仕事を進められた。ま、5枚程度だけどね。
 
雨が小やみになってからホームに戻ったら、母の顔はずいぶん落ち着いて見えた。昨日、一昨日と、母の急変は夕食後、排便や排尿をきっかけに起こっているのでまだそれを超えないとどうなるかわからないと思ったものの、さすがに妻の疲れもピークだろうし、とりあえず安定している母を見て安心した僕は、妻を連れて家に戻る。家に戻って飯を食った後……ハッと気づいたら二人ともリビングで爆睡していた
 
この間にホームから何も連絡がないということは、たぶん今日の「魔の刻」はクリアしたんだ。そう思うと、今夜はもうホームには行かずに、このまま家にいることにした。なにしろ仕事、全然終わってないし()
 

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ホームで夜明かし(;>_<;)

日曜のショック状態から立ち直ったかに見えた母だが、昨日再び、時間も同じ夕方頃にまたショック状態に陥り、今度はホームから緊急の呼び出しがあって妻と二人でホームに向かう。
 
本当は妻が先にホームに車で行き、近所の喫茶店で仕事をしていた僕は携帯が何度鳴らされてもホームからの連絡に気がつかなかったのだが、僕がどこにいるとあたりをつけた妻の勘が命中し、喫茶店から直接彼女の車に自転車を積み込んでホームに向かう。
 
母は昨日と同じく、やはり人事不省に近い感じで、今度は体温はそれほど上がってないものの顔面蒼白、呼吸も荒く、僕より先に母を見ていた妻はかなりショックを受けていた。
 
ホームドクターである近医のH先生も、ポロシャツに半ズボンという、完全にオフのところを急遽呼び出された感じで駆けつけてくれたが、特に何かの病状があってこうなってるわけではなく、もはや母の生命を維持している体力の限界が近づいているのだろうという感想だった。
 
僕と妻はそのまま母の部屋で朝まで過ごし、一晩母の様子を見る。と言っても、けっこううたた寝している僕に比べて、母が苦しそうな咳をしたり全身を痙攣させるたびに、母の枕元で背中をさすったり声をかけてくれたのは妻だったが。どんな形でもいいから、もう少し、この3人が同じ空間にいられる時間が続いて欲しい。
 
明け方、奇妙で鮮烈な夢を見たが、この話はいずれまた。ともあれ7時過ぎからホームのスタッフも増えてきたので、小康状態になった母を残し、経過観察を彼女たちに任せる形で僕らはとりあえず休憩するために家に戻ってくる。休憩しなきゃいけないのに、まだ全然眠くないし腹もいっこう減らない。
 
昨夜来の雨、朝までまだ残っている。特に夜中は豪雷雨甚だしく、鬱陶しいこと極まりなかったね。

またも稽古休んだ理由(T.T)

昨夜は久々に稽古に出かけるつもりだったのに、多賀の道場に、道場といっても体育館だけどね、向かう前に母のホームに立ち寄ったら、何と夕方から母が39度の熱を出して、スタッフの人がつききりで体を冷やしているところだった。
 
母の体を触ると確かに熱いし、顔も赤くて呼吸も荒い。僕はこのところ連日母の様子を見に来ているから、その流れでたまたま立ち寄っただけなのに、なんだかえらいとこにでくわしてしまった。仕方なく師範にメールして今夜も稽古を休む旨、連絡。母に付き添って、頭のタオルを買えたり、時々唇を水で湿したり、母の耳元で歌を歌ったりして時間を過ごす。
 
一度、いきなり全身を痙攣させて、ほとんど息でも止まるんじゃないかという勢いで体を震わせたことがあったが、てゆーか、母が高熱を出しているというのに、それじゃこれから稽古に行ってくると告げた途端にまるで嫌がらせのようにそんな痙攣起こされたので、結局動くに動けなくなってしまったのだが、後でスタッフに聞いたら、熱の高いときに痙攣を起こすのはそんなに珍しいことではないとのことだった。おかげで僕はまた1日、稽古が遅れたが仕方ない。
 
8時過ぎた頃からようやく体温が下がり始め、顔色も穏やかになってきたので、妻と二人、ホームから帰ってくる。この6月、ホーム最高齢のお婆ちゃんが亡くなって、いよいよ母もこのホームが設立して間もない頃から入居した最古参メンバーの最後の一人か二人というところになってきたが、90を超えてたあのお婆ちゃんに比べれば母はまだ若い。もう少し頑張ってくれよと、祈る気持ちで帰ってくる。
 
家に戻ってなんだかやたら喉が渇いたからビールを飲みたいと行ったら妻にビシッと止められる。「何言ってるの? また車で出なきゃならなくなるかもしれないじゃない!」
 
……そんな事態になって欲しくないから願掛けのつもりでちょっと飲もうかと言ったのだが、あくまで妻はリアリストであった()

僕の仕事が遅れる理由

始まる前はオリンピックなんかほとんど興味がないなどと自他共に広言していながら、いざ始まってみたら……すみません、嘘でした。今回、ブログ更新も忘れるほどオリンピック、もう主に連日夜中の2時3時をメインとして、ハマりまくっていたと言っても過言ではない()
 
まあ、別にオリンピックがなくてもなんだか毎日まったくだるくて、仕事さえほとんど進んでないのにブログの更新なんかなおさらするはずもないのだけれど、ちょっとそうゆうこと、格好的に言ってみたい時世時節だったわけですな。
 
ええ、なんだか暑くて、毎日やる気が逆さにしても出てこないだけの話ですだよ。
 

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