「だわ」の行方
実はこういう疑問は、何年か前から原稿を書くたび、ふと脳裏に浮かんでは消えていく問題の一つだった。ま、こういうことを仕事の最中に考えてしまうってことは、あまり仕事に集中できてない状態なんだろうけどさ()
考えてみれば僕はこの仕事を始めて以来、今日に至るまでほぼ無意識に、女性キャラにはこの「だわ」と「なの」と「よ」、疑問形では「かしら」というのもあるが、とにかくこんな語尾を多用している。少なくとも男性キャラのセリフには決して使わない語尾であり、もし使ったとしたら、それは「オカマ」というキャラを明示したい時だけだ。さて、そこでもう一度考えてみる。最近、こういう語尾を多用して話す女子を見かけたことがあるかどうか。
あらためて考えると、なかなかそんな話し方をする人がいない気がする。たとえば僕の妻などは、僕と話すときはほぼ男と同様の言葉遣いをする。近所の女友達、これはほとんど小学生だが、彼女たちも特に話し言葉だけを聞いて文章に起こしてみれば、それほど女の子を明示するような言葉遣いをしているわけではない。いや、そもそも僕らが子どもの頃まで記憶を遡ってみても、クラスの女子から「それはうじくんのせいだわ!」などと言われた覚えは、どうやらない。
だとしたら僕は、いったいいつからこの「だわ」を、女言葉として認識していたのだろうか。
実生活でそんな言葉をいつ耳にしたかはあやふやだが、この手の「女言葉」は昔から、フィクションの世界でよく目にしていたのは確かだ。視覚的な情報が何もない小説などでは、誰かのセリフで「だわ」とか「なの」という語尾があれば、それは女だとすぐにわかるし、特に「だわ」を用いる女性は少々タカビーなキャラ設定まで含められるという便利な言葉になっている。
たとえばもう30年くらい前になるか、いまはすっかり農業女優となってしまった高木美保の出世作『華の嵐』の中で、彼女が扮する名家のお嬢様は実によく、この語尾を使っていろんなことを断定しまくっていた。おかげで僕もよく、原稿が遅れたことを編集者から責められたりすると「天堂よ! 天堂のせいだわ!」と、当時の彼女の劇中の決め台詞を使っては何とか煙に巻こうとしたものだが、なかなか通じなくて……ま、当たり前か。会社員が昼ドラなんか見てるはずないもんな(-.-)y-~~
そんなことはともかく、もうおわかりの通り、これらの言葉は単に使用者は女性ですよということを表わすためだけの、フィクションにおけるお約束の記号みたいなものになっている。もちろん、いまでもこういう言葉を使っている人はいるかもしれないし、ずいぶん昔には恐らく女言葉として一般的だったのだろう。でも近年、恐らくこの国の社会がジェンダーというものを気にし始めた頃から、男女の言葉の差違はどんどん取っ払われて均質化しつつある。なにしろ自分を「僕」と呼ぶ女の子だっているご時世だ。あと10年も経てば女の子も2人に1人くらいが自分のことを「僕」だの「俺」だのと呼ぶようになっていたとしても、別に驚かない。
問題は、表現者としては、いつまでもそんなお約束に頼っていていいのかなという気もしていることだ。
僕はこれでも、自分の作品のセリフにはけっこう気を遣っている方だと思う。漫画のネームだから長くても2行以内くらいに収まるようにしなければならないし、その中でぎりぎりキャラのリアルを感じさせるネームを探っていく、この作業が一番しんどくて、僕の仕事が主に時間のかかる原因も、話(プロット)が思いつかないせいではなく、キャラたちのセリフが決まらないという場合がほとんどだ。もっとも、送られてきた掲載誌を見たら、漫画家さんの方でネームがごろっと変えられていたりして、ごろっとひっくり返ることもままあるが、これはまあ原作者の宿命だから仕方がない。
男でも女でも漫画作品のキャラの場合、その性格はすべてネームの語尾に出てくる。一昔前の原作者なら、だからそこでそれぞれ何とかキャラを印象づけようと、語尾だけカタカナにした決まり言葉をつけてみたり、いろいろ苦労は重ねたようだが、いまそういう無理筋のセリフを見ると、ほとんど痛いことの方が多い。きっと、いま流行りの「だってばよ」みたいなのも、そのうち痛く感じるようになるんだろうな。あ、ちなみに僕はあの漫画は見たことないので痛さも何も感じないが。
もちろん僕だってさっき言った通り、ネームには苦労している。特に主人公2人が両方とも女なので、この2人の会話の時にはどうやってそれぞれのキャラを差別化しながら、しかもいかにもいまの女性が言いそうなことを言わせるか、これが結構大変。男だったらもう少しどちらかを極端な方向に走らせることが出来るので、まだやりようもあるのだが。ともかく、そんなにこだわって作っているネームだと言うなら、その語尾にいつまでも女記号である語尾をつけていていいのか、と。時々自問自答しているのだが。
でも僕はこれ、現時点では使い続けるしか仕方がないなあと思っている。だってこの語尾を使わずにネームを切ろうと思ったら、本当に鈴香と梢の喋りが、まったくどちらがどうか、区別がつかなくなってしまうのだ。いまはまだ、梢の方が口調が柔らかい、そういう印象を与える効果がある分、こういう言葉に頼らざるを得ない。それに僕は絵描きでない分、どうしても頭の中でキャラの動きを想像しながら原稿を書いているときに、自分でこれらの「女言葉」を使わないと、どうもはっきりと女は女のキャラとして浮かんでこないようなのだ。このあたりは幼少時からの刷り込みの堅固さもあると思う。
ちなみに江戸時代の庶民には、ジェンダーの問題はあまりなかったようだ。『浮世風呂』なんか見ると、女もたいてい「うら(俺)」だの「わし」だの言ってて、色気のないこと甚だしい。もしかするといわゆる女言葉というものは、遊里か公家か、案外そんなところから広まったのかも知れないなどと、いまふと思いついたのはまったくの当てずっぽうだけどね()
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