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偏差値高くし過ぎたか(^_^;)

『のぼうの城』は、久々にプロットを見ただけで胸の騒ぐ映画だ。

 

もともと僕がアクション系の時代劇に求める面白要素のお約束なんて、大きく分けたら3つくらいしかない。中でも最も重要な要素が、とにかく主人公は徹底的に不利であること。すなわち、多勢に無勢。たった一人、あるいは数人で数多の敵に立ち向かわねばならないというシチュエーションが一番燃える。だからいまでも僕のアクション時代劇のベストは『七人の侍』だが、考えたら主人公側が多数で少数の的を殲滅するような時代劇なんて、見たことないわな

 

この作品は忍城の攻防戦を材に採っただけで、もう8割くらいは面白さが保証されている。なにしろ天下統一直前の秀吉の大軍を前に、兵数わずか500かそこらの城兵だけで、城を守りきる話なのだ。作家さんには失礼な言い方かも知れないが、どれだけ適当に料理しても絶対おいしいことがわかりきってる食材のようなものだ。ま、偉そうなこといってる僕も、この忍城の物語を知ったのは割と最近で、もう6、7年前に『続戦国』絡みでいろいろ戦国時代のエピソードを集めてるときのこと。

 

もちろん、領民からでくのぼうを略して「のぼう」と呼ばれる城代の話、などではない。忍城攻防戦は秀吉だけでなく、何度か大軍に攻められてしかもいずれも守りきっているのだが、それはこの城がめちゃめちゃ攻めにくい立地になっていたからで、その意味では誰が城主であろうと、籠城しちゃえばこっちのもの…なんて言ってしまうと身も蓋もないのだけれど

 

で、僕がなぜ『続戦国』絡みで知ったかというと、要するに石田三成のエピソードを集めていたからだ。つまり忍城攻防戦のエピソードとは、別に城側に縦横無尽に奇策を用いる軍師がいて、豊臣軍を翻弄したとか、凄い豪傑がいて豊臣兵を打ち払ったなんて話ではなく、単に三成の戦下手を言い募るときに引き合いに出される話として、世間には認知されていたフシがある。

 

だけどさっきも言ったように、忍城は浮き城とも呼ばれる如く、本当に攻めにくい城だった。現に三成は、他の支城は全部制圧してるし。だから三成の能力を貶めるためにあの忍城攻略戦のことを持ち出されるのは、三成にとってはちょっと気の毒な気はする。あの人は決して人並み外れて戦下手ではなかったはずだが、ただ大一番で戦った敵が悪かった。すなわち家康の方が一枚も二枚も上手だっただけの話だろう。

 

もう一つ、この忍城のエピソードが人口に膾炙されるとき、城側の主役として出てくる名前はのぼう様などではなく、映画では榮倉奈々がやっていた甲斐姫と呼ばれるお姫様なのだ。戦国期には東西に、可憐かつ剛勇で鳴る女武者の伝説が何人かあるけれど、関東の横綱はまずこの甲斐姫かもしれない。この人は忍城主の娘で、のぼう様こと忍城攻防戦の折に城代を務めていた成田長親とはいとこにあたるが、ま、とにかくめっちゃ美人だったという話である。その上に、めっちゃ強くて、むっちゃ気性が荒かったと。

 

だから忍城戦争の時も、自ら敵陣に切り込んでいっては無数の首級を上げ、豊臣軍側の武将の何とかって男が、姫、わしに負けたらわしの嫁になれ! とか言って色男気取りで近づいてきたのを、薙刀で一刀のもとに斬り殺したとか、もう素敵なエピソードが野村萬斎なのである。僕は彼女のことを知ったときに、ああ、もう思い通りにならない『続戦国』なんかどうでもいいから、彼女を主人公に話を書きたい! と思ったものだけど、そんなおいしい素材、もう結構小説では使われてるので、興味がある人は調べればいいです。

 

さて、この映画はまだ公開中なので、あまり内容や展開に詳しくは触れられないが、ざっくり言うと、いままで述べてきたように、すっごく期待値を高めて見に行ったものだから偏差値が無茶苦茶上がっていて、実際に見ると何かちょっと物足りない気がしないでもない。まあ、別にどこがどう悪いってわけでもないが、これほどの面白くなりそうな素材を手にしていながら、意外と面白くしようとしてねえよな、という不思議な感じ。やはり偏差値があれでも高かったかな。

 

正直僕は忍城攻防戦に目を付けて映画にしようとした原作者のセンスには、僕と似た趣味を感じるし、気持ち的にはこういう映画が成功して欲しいと本当に思っているけれど、何だろう。原作は未読なので、てゆうかこの映画を観るためにあえていままで未読にしてきたという部分もあるのだが、やはり最近の日本のテレビドラマのほとんどに感じる不満と同じ不満、つまり脚本がつまらないという問題にここでもぶちあたる。繰り返すけれど原作は未読なので、もしかしたらそっちではもう少しちゃんとした説明や、息詰まる攻防の展開があるのかもしれない。だけど僕は映画を観て満足してから原作を読むつもりだった。これでは原作にいけない。

 

細かい不満はいろいろあるが、大きく言えばやはりこの物足りなさ、お腹いっぱい感に乏しい脚本の組み立て方のまずさ、ということに集約されると思う。でもこれ、2時間半以上あるんだぜ。もう数十分足せば『七人の侍』と尺の長さは並ぶ。それでいて満足感や満腹感は天と地ほども違う。僕はもちろん好きなテーマであるし、期待感もあるから最後まで寝ずに済んだが、妻は隣でときどき船を漕いでいた。『七人の侍』では途中で眠くなるなんてありえない。

 

黒沢の脚本は、小国英雄や橋本忍らを旅館に半ば監禁し、連日連夜、徹底して野武士側と百姓側に分かれて戦闘シミュレーションを重ねながら作り上げた本だ。もう30年以上前、当時通っていたシナリオ教室の講師が、一番好きな映画をセリフや場面転換が暗唱できるくらいに観て、それをシナリオに起こす訓練をすると勉強になるという話をしていたのを真に受けて、それを『七人の侍』でやろうとしたことがある。あまりに長すぎてすぐ挫折したが()。

 

でも50枚近くまで書いて思ったのは、まったく水も漏らさぬ脚本とは、ここまでちゃんといろんなことが考えられてできているものかということだった。もちろん、それをまた見事にイメージ通りに映像化した監督あってこその話でもあるけれど。だから『のぼうの城』も企画段階まではよかったものの、そのあと実に様々な制約やら問題が出てきて、原作者も必ずしも思った通りにならなかったのではないかと、『続戦国』の最終巻まで書き上げたいまは、そういう事情を斟酌する気持ちも僕の中には生まれている()。でもやはり、最終的に人に見せるものを作る人間は、そこを言い訳にしちゃいかんよな。

 

そのかわりといっちゃなんだが、画面はCGをかなりうまく混ぜ合わせて、忍城の空間的広さを感じさせる映像がなかなかの効果を発揮しており、その点は素直に感心した。もしかしてそこを作り込むだけで満足してしまったわけでもあるまいが。それと、あのシーンのおかげで諸般の事情を考慮して公開が遅れたとかいう話もある、例の水攻め。あれは確かに津波だよな。映画的に画面を派手にしたいという動機はわからないでもないけど、水攻めであんな風に水が建物や人々を飲込んでいくわけがない。そもそも水攻めは兵糧攻めの補完手段であり、城内の人間の士気をさらにくじきやすくして早めに降伏させるのが狙いの戦法だ。あの水はCGも荒いし、ちょっといただけない。

 

ただ、それでも僕はああいう時代劇が映画で作られるのはいいことだと思う。映画で堪能できるスケールや迫力というものは絶対にあるし、人間の芝居だってテレビの箱の中で見るのとはまた違った印象を受けることがある。その意味でこの映画は『ど○○』とかみたいに、見て損したというような作品ではない。少なくとも僕は、1000円分は楽しんだといっておこう。あ、これはマイカルの夫婦割引使ったからなんだけどね。

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