『舟を編む』観ました
いささか旧聞だけど、先々週、大津のPARCOにある映画館まで映画を観に行った。
大津まで行くくらいならここらに住んでる僕らの場合、いっそ京都まで行っちまった方がコストパフォーマンス的にいろいろ優れているのだが、なぜわざわざ大津かというとこれが、実は僕はPARCOの株主だったりするわけだ。
確かもう7~8年くらい前のネット投資が流行った頃に、ご多分に漏れず僕も手を出して買った株が、誰が見ていたのか僕が買った瞬間からどんどん株が下がりだしていまに至っており、あれ以来僕は、株とは買うと下がるものだと悟って一切手は出さなくなったが、もちろん下がり続けた株も売るに売れずいまだに持っている。
それでも最近のアベノミクス効果とやらで、株が軒並み上がり始め、あ、もしかしていま一度チャンスが来たのかな、買おうかなどうしようかななどと迷っているうちに、今度はあっという間に暴落し、僕なぞもともと暴落株のようなものを持っていたのだから、いまくらい下げたところで、最悪時よりはそれでもまだ4~5万儲かってる勘定だもんね~などと涼しい顔して、いまさらひいともぴいとも言わない。ま、儲かってるといったところで、いま売れば損した金は10万で済むとか、そういう話だがね()
ただしPARCOは、毎期ちゃんと株主に配当金を出してくれる。せいぜい1500円前後くらいの金額だが、一応PARCOの株には20万くらいの金を使っているので、同額を貯金した時の金利と見ればかなりお得だと言えよう。もっとも株価自体はもう10万くらい目減りしてるんだけど
じゃあねじゃあね、もひとつおまけにこれもつけたげよう! てな感じで配当金の時期に一緒に送られてくるのがPARCO内にある映画館の無料入場券なのだ。これ、1枚1800円としたら、配当金はもっとお得よ! ならいっそ、配当金にしてくれよ! 大津、けっこう遠いんだよ、うちからはよ! なんてことをね、毎年思っていて、実は毎年送られてくるこの無料券、いままで1回しか使ったことなかったのである。
さすがにやっぱもったいないじゃん。と、反省して今回、とにかく何か見られる映画を観に行こうといって出かけたのが先日の話。こういうことが出来るようになったのも、仕事が流れたおかげさっ()、ふんっ。
そんな事情なので、実はその時に観られる映画だったら何でもよかった。ただあの時期はほとんどまだ子ども向けか、あるいは『藁の盾』とか、そんなの。
なんか『藁の盾』はなあ、内容的には昔考えていたことに似ているみたいだからちらっと興味はあったものの、監督が三池さんだというのでちょっと引いてしまった()。いやあ、僕はあの人の映画をそこそこは観てきたけど、正直また三池監督!? てな感じで最近ちょっと食傷気味なのである。
ま、これは三池さんのせいではなく、いま、どんなテーマでもそつなく器用に手早くこなせるという人が、あの人くらいしかいないせいかもしれないが、ちょっと監督、仕事しすぎじゃないか? しかも『ヤッターマン』から『一命』だの『刺客』だの、幅広すぎ。そのことがどうも最近、コンビニ監督みたいなイメージになってきて、どれを観ても本気でガツンとこない。
『一命』だって僕自身は、思ってたより案外よかった、みたいな感想になったけど、その程度の評価じゃやっぱあれをリメイクした意義はないはず。もちろん『十三人の刺客』もね、ちゃんと見世物にはなっていて、だから最低限職人としての仕事は果たしているはずなんだが、観終わったあとにずうーんとくるものがない。それがやはり、往年の巨匠の作品とまったく違うところだ。
そんなわけでほかに観られそうなものといったら『舟を編む』しかなくて、しかも僕は最後まで、これ以外にもっと面白そうな映画はないかと、粘って上映予定表を睨んでいた。だってどう考えたって「地味」でしょ、この話。僕が観たい映画はすかっとして、じーんとして、ずーんとくるものだ。これ以外にないのか? でも今日チケット使わないと、有効期限が切れてしまう。というわけで、まあそれでもおおよそ予想のつく『藁の盾』観るよりはいいかと、劇場に入りましたよ。
結果は、大正解。なんだろうな、これ。人には説明しづらいのだが、つまり映画として面白いかと聞かれたら、僕は決して映画として面白いとは答えられない。これは原作もそうなんだろうけど、悪人一人出てくるわけでなし、主人公か誰かの深刻な葛藤が描かれるわけでもなし、もうね、まことに淡々と、ある出版社の辞書編集部に勤める主人公が、一冊の日本語辞書をものするまでの10年だか20年にわたる経緯が、ゆっくりと描かれる。
ただそれがなんだか、気持ちいいのだ。僕は妻が観たいというので連れて行った『かもめ食堂』とか、ああいういわゆる「癒やし系」の映画を観ると間違いなく爆睡する男だが、この『舟を編む』は最後までほとんど退屈することもなく目を開いていることが出来た。理由の一つは僕の個人的事情だが、僕が青春と呼べる時代を雑誌編集者として過ごしたことが大きいかもしれない。だから扱う仕事の内容は違っても、その日常や精神性において、僕は自分自身の過去もどこか懐かしく思い出しながら観ることが出来た。
もう一つは、役者陣も充実していたことだろう。「善ちゃん」小林薫に、「時効」のオダギリジョー、あるいは「篤姫」宮崎あおいに加藤剛がさすがの貫禄を見せつける。松田龍平は最近、どの作品に出ても似たようなコミュニケーション不全系のキャラになってるのが少し気にかかるが、この作品に関してはあのキャラはまことにはまり役であった。
映画の構成的に一つだけ気になったことを言うと、最後の、辞書が無事に出版までこぎつけて完成記念パーティーをしているとき、僕はあそこをラストに、つまり龍平と小林薫の会話を最後にスパッと切れば、僕は泣けたと思う。あのあと、龍平がわざわざ加藤剛の自宅を訪ねるシーンは不要だった。
あれは恐らく、ラストをあおいちゃんのセリフで切りたかったためだけに付け加えたような気がする。もし原作でもあのような後日談があったのだとしても、映画的効果を考えるならパーティーのシーンで終えるべきではなかったか。それが不満と言えば不満である。
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