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伝説の終わり

なにしろ妻が夏休みに入ってからは、毎日、鬱陶しいくらいに家に一緒にいる時間が長いので、ついつい食事、買い物、温泉旅行と、何かと出かけるイベントを作っては間を繕っているが、まあこちらも仕事は週一本だし、それなりにのんびりとはやっている。

 

で、昨日仕事をあげたついでにお待ちかねというか待望のというか、ついに今日『風立ちぬ』を見てきました。

 

なにしろ前回『リアル』をカス映画とののしった僕が、唯一よかったのは『風立ちぬ』の4分予告だけとか書いた覚えがあるけど、先にざっくり結論を言えば、うん、確かに本編よりはあの4分予告の方がよく出来ていたかもしれない。僕にとっては、そう思わざるを得ないような内容でしたな。

 

というわけで、以後はネタバレを含む僕の個人的感想であり、あの映画を未見で、これから見るつもりである人はこの下を開かないでください。あと宮崎さんの信者みたいな人も読まない方が無難かと思う。別にもったいつけるほど大したことは書いてないけどさ()。

 

で、いきなり本題に入るけど、あの映画を褒めている人は、ほんっきであの作品が映画として面白かったと思ってるのかどうか、そこだけでも聞いてみたい。いや、もちろん映画として最高っすよ、なんて言われたら僕はもう立つ瀬がない。そうですかあ、じゃあ僕は多分、一生、君が面白いと思うものを一緒に面白がれないかもしれないと思うだけである。

 

まあ、先に褒めるとこだけ褒めとくと、アニメとしては結構今回も凄いことをあの人はやらかしてます。CG処理はしてるだろうけど、CG画像は恐らく使ってないだろうと思える画面は、もう最近のCGセルからは失われてしまった、アナログの力みたいな迫力がずもももっと立ち上がってくる。それはほんと、見て感じるしかない。日本のアニメーションとは、本来このような美しい映像を作る能力を持っていたのだと。

 

相変わらず人物の芝居も細かい。宮崎節満開の服のひらひら感やらはらみ感はもちろんのこと、キャラの姿勢的に不安定な状態を視点を切り替えながら見せる緊張感の連続カットは相変わらず。それに今回はいつものこの作家のアニメ的オーバーアクションは影を潜め、主人公の日常を描く場面では木下恵介かと思わず言いたくなるような、日常の細かい芝居が続く。

 

たとえば主人公が就職して最初に図面を引くシーンでは、製図机の前に座った主人公が作図に取りかかるまでを背中からのショットだけで表わしているのだけれど、汗でへばついたシャツの裾をちょっと引っ張る動作とかしながら製図を始めるまでを、その手元を一切見せないで描いてしまうのだ。そんなコンテ、普通のアニメなら絶対ありえねえ……。

 

まあほんとにね、妻はもう最初から眠かったとか言ってたが、僕は中盤くらいまではそこそこ期待しながら見ていた。特に主人公の、恐らく悲恋に終わったであろう恋バナシークエンス(恐らく、としか言いようがないのも理由があるのだが)なんかでは、時々涙腺がふっと緩み、さあこれがクライマックスには怒濤のカタルシスとなって、俺に滂沱の涙を流させてくれるのであろうな、むふふふふ、もちろんそのバックに流れるのは『ひこうき雲』だ、などと勝手に劇中で盛り上がっていたものだ。

 

僕の結論を言えばね、この映画は失敗作だ

 

もちろん駄作だとは言えない。それこそ展開によっては宮崎さんが初めて大人のために作った至高のラブストーリーであり、かつヒューマンドラマの最高傑作になっていた可能性は、十分にある。問題は、多分宮崎さん本人は、そんな映画を作りたくなくなっているということだ。

 

一番わかりやすい部分で言えば、僕はあのクライマックス、つまりヒロインが主人公の前から姿を消してから、その直後に主人公の夢オチで終わる、あの展開にどれくらいの人が納得できるかということだ。僕はまったく納得していない。終わった時も、ここで終わったとは最初わからなかったくらいだ。もしあの映画で感動させるなら、あの間に一番のクライマックスを持ってくるでしょうよ。

 

主人公が飛行機を完成させた日に、愛する人を失う主人公は、やがて彼を襲う運命の暗喩にもなる。彼は純粋に美しい飛行機を作りたかっただけなのに、その飛行機は世界でもトップレベルの戦闘機として多くの他国の若者の人命を奪い、やがては日本の若者の命そのものも奪う道具と成り果てていく。あの映画の主人公に託されたキャラが、そのことに深く傷つき、苦悩しなかったはずがない。

 

実際、宮崎さんは何度か物語の中で特高やらゾルゲっぽい男まで出して戦争の臭いを主人公の周りにまぶしておくことも忘れてはいないが、あまりにそれぞれのテーマが中途半端。だからそれは全部、0戦が完成してからのクライマックスに向けて抑えてあるのかと思ってたら、まるっぽ肩すかし。僕のドラマ作法では、逃げ場のないところまで彼の絶望と苦悩を描いてきっちり追い込んでからでなければ、最後にいきなり生死不明のヒロインに「生きて!」なんて言われても、はあ、そうですか、と庵野さんの声でぼんやり流すしかない。全然、そこは迫ってこないから。なんで? どうしてそんなことするの!? と、聞きたくなったくらいだ。

 

もちろん百戦錬磨の宮崎さんはそんなこと百も承知に決まってる。なのにそうしなかったのは推量するに、もう、そんなドラマ作りたくなくなってるんだろうな。いままで一杯そんな話は作ってきたということもあるし、本人の中では、もうそんな安いドラマで人を泣かせるだけのような話はやるつもりないんだよ、と、あの底意地の悪い笑いを浮かべながら呟いているのさ、きっと。ま、『もののけ姫』の頃から明らかにそんな傾向はあったけど。

 

それは、もうジジイにもなったし、数々の名作感動作を作ってきた人だからファンの一人としてはいまさら宮崎さんを責める気にもなれない。ただ、それならあれはプライベートフィルムにでもするべきだ。試写会で彼の人は自分の作品に初めて号泣したと言われているけれど、恐らくエンディングで泣かれたということは宮崎さんの間合いの中ではちゃんと成立している話なのだろう。でも、少なくとも僕の中ではまったくつながらなかった。せめてあの間にもう30分いるだろうよ。

 

稀代のストーリーテラーかつエンターテイナーだった宮崎さんが老いたことは悲しいけれど認める。ちょうど『夢』を見て黒沢さんも老いたなあと思ったように。で、黒沢さんと同様、その作品にどれだけ楽しませてもらったかという恩を考えれば、もうほんとにね、そういう人たちには老後、好きなことをやってくださいと言いますよ、僕は。でも『風立ちぬ』は失敗作だ。その意味では個人的妄想を撮っただけでも最低限作品として成立していた『夢』の方がまだましだった。

 

伝説はそろそろ終わりにするべき時期が来てるんだろう。少なくとも宮崎さんが監督したというだけで、某テレ系の大政翼賛的なCM、番宣、バックアップ企画の洪水はいくら掛金を大きく回収するためとはいえ、ちょっと抑えめにした方がいいと思うぞ。

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コメント

初めまして。『なみだ坂~』を以前立ち読みさせてもらっていた者です。芳文社さんには申し訳ないのですけれど、単行本にならないのでは購入しようもないので。環境の変化とともに立ち読みもまばらになってしまいましたが。


わたしも『風立ちぬ』を見てげんなりした人間のひとりです。今作は宮崎監督の全作品の中でも異色な、敢えて言えば最後にして冒険を試みた作品であるように受け止めました。
どの角度からも煮え切らない今作は、重心をこれまでにない場所に置こうとして失敗した一作と思えてなりません。主人公の軸にせよ訴求するテーゼにせよ、踏み込みが一歩も二歩も足りません。これまでのファンタズムを拒否してまで取り組んだにしては、あまりにお粗末でしょう。ただ、監督の落涙や引退会見は、自身が制作途中で衰残を自覚したが故のことのように思えます。作中の「~(十年が)芸術家の寿命だ」というセリフにそれが現れている気がするのは、いささかセンチメンタルに過ぎるでしょうか。
いずれにせよ、宮崎駿監督には幼少のころよりお世話になってきました。あのころは自分が四十五十になっても夏に輝かしい想い出をくれる「永遠の大人」と思っておりました。これからは本当にしがらみを離れて創ってくれるものと信じています。


ところで宇治田様の小説の方はどのようになられたのでしょうか。もしその機会があれば是非一読したいのですけれども。

ラッツォさん、初めまして。コメントありがとうございます。

『風立ちぬ』は僕も期待が大きかった分、見た直後はやはり
失望感、というよりはどことなく肩すかしをくらった思いでした。
だから正直言えば本当は、ちゃんと宮崎さんのやりたかった
ことをわかって感想を述べているわけではないので、まあ上
の物言いも素人の雑言と思ってください。

もしラッツォさんがもう少し解釈したいと思われるなら、この映
画に関しては岡田斗司夫さんが一番しっくりしたことを言って
る気がします。個人的な好悪を別にして、オタクになりきれな
い僕は、なるほどオタクはオタクの心をこのように見るかと、ち
ょっと目から鱗でした。

少し長いですがYouTubeで検索すれば彼が自身の放送として
ニコで流したものが記録されてます。彼の論法で読み解くと、
主演が庵野さんでならなければならなかった理由とか、あの映
画は結局宮崎さんの何であったのかということに一つの明快な
答えが与えられています。

ま、だからって僕は感動できなかったよ、とは思いますが(^_^;)。
あの解説を聞いて僕の解釈が一つ当たってたと思ったのは、あ
れはまさしくプライベートフィルムだろうということでした。

ちなみに小説のことは「いまは聞かんでくれ!」と、うじたは軽く
興奮した口調で言ってみます

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