朝、といっても昼前だけど()、携帯に何通かメールが届いていて、見たら「なみだ」で相方になっていただいてるK先生と妹からだった。それぞれテレビのニュースとかで、滋賀はえらいことになってるらしいという情報を知り、わざわざ連絡してきてくれたのだった。
もちろんうちはまったく大丈夫で、近所に川の氾濫が起きたという話も聞かなければ、どこかで竜巻が起きて家が飛ばされたということもない。基本的に僕の住んでるあたりは平地だから、山崩れや土砂崩れの心配もなく、仮に地震や火事などで万一のことがあれば、体の動く状態である限り、窓を開けて外に飛び出せばそこら中避難場所だらけみたいなところに住んでいる。
ま、千葉に住んでるK先生が心配してくれるのはわかるけど、妹は同じ県内に住んでいる。それも車で30分以内に行けるような場所だ。俺のとこを心配するなら自分ちの心配しろよ。そっちの方が川のそばだし、山だってうちよりは彼女の家の方が近くにある。実際、彼女の近所の川はかなり増水していたらしいが、それでも氾濫したり浸水するほどのことでもなかったようだ。
この夏に限らないけどこの数年、それこそ震災の被害も含めて遡ればこの5、6年。この国に対して、自然が凄まじい敵意を露わにし始めた感覚がある。そんな災害が起きるたび、テレビや新聞ではその原因を事細かに解説してくれる。すなわち今年は大陸から張り出した高気圧がどうのこうの、海面の温度が高くなってどうのこうの……。
それは原因じゃなくて、仕組みの話だろ!?
そもそもなんでこの国が、穏やかで四季の移り変わり美しく、微妙な季節の変わり目がそのままこの島に住む人々の感情と人生を豊かにしてきたような国が、毎年毎年こうも激しい豪雨や竜巻にさらされなければならなくなったのか。
ま、地震の方はこの島に住んでいる者の宿命として、ある程度覚悟して生きるしかないけれど、気候の変化は原因ははっきりしているはずだ。つまりここにきてようやく僕らは、1世代単位で地球温暖化がこの国にもたらす気候への影響をまざまざと見せつけられているのだが、このことに触れる報道は、滅多に見られない。これはきっと僕の人生態度と同じ方針が、この国のすべての局面で推奨されるようになったからかもしれない。
すなわち「考えても仕方ないことは考えない」である。
ああ、これはしかし僕に限らず、日本人全体に通じる病のような伝統的態度でもあった。その態度が太平洋戦争で一度国を滅ぼし、いままたすでに2年も経つ原発事故の後処理で、国を滅ぼしかねない淵に立とうとしている。先日、どこかの国の首相が、メルトダウンした原発から出る汚染水を完全にコントロールしているとか言った瞬間、飲んでいた茶を吹き出してテレビを汚してしまった僕は、そんな不吉な思いが頭をよぎってしまったのだ。
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