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まるで最近の株価のような(^_^;)

乱高下が続いていると思ったのは、ドラマの話。

 

日本のドラマも少しはましな方向に動く気配がしてきたかなと思った矢先に『安堂ロイド』。さっき録画していたその第1話を見終えて、う~むむむと、その勘違いの凄まじさに身震いし、これだから日本のドラマは侮れないとの思いを新たにした次第。そもそも『半沢直樹』の後に『安堂ロイド』。これからTBSはこの時間帯はとにかくタイトルは人名シリーズでいくという決意表明かと思いきや、ただのダジャレだったという……()

 

この時点でどれくらいの年代のオヤジがこのドラマを作ろうとしているのかはわかるものの、で、彼らがこのドラマをいったい誰に見せるつもりで作ったのかということがさっぱりわからない。つい最後まで見てしまったのは、敵方(?)の殺人ターミネーターを演じる福田彩乃に意外と拾い物感があって、その顛末が気になっただけの話。もっとも彼女も初回で壊れてしまったみたいなので、これ以上このドラマに興味を持つ理由が何一つなくなってしまった

 

なんだか今期は数年前、僕の個人的印象では『カーネーション』登場の頃から、かろうじてつながりかけていた「ちゃんとしたドラマ」の流れを断ち切るような、つまりちょっと前の日本ドラマに先祖返りしたような話が多すぎる。

 

そういえば政治も先祖返りしたばかりだ。もしかして、この2つの流れは深いところで何か連関しているのだろうか。あんべちゃんがいつぞやみたいにテレビ局の人間呼んで、こんな視聴者にものを考えさせるようなドラマは控えていただきたいなどと暗に要請したりしていたりして

 

たとえばすでにタイトル書くだけで相当恥ずかしい『安堂ロイド』など、このドラマを見て、まさかこれがちゃんとした大人に見せるために作った作品だなんて、どうしても思えない。別にSFだからダメなわけじゃない。このドラマを作った関係者が多分に参考にしたに違いない、と、僕はもう大人だから控えめに表現するけど、本家……あ、もう勝手に本家と言っちゃったよ、とにかく大ヒット映画からスピンオフした米国製テレビシリーズ『ターミネーター サラ・コナーズ・クロニクル』は、間違いなく大人の鑑賞に堪える作品になっている。

 

なのにそこからおいしいとこだけパクって作ったはずの、あ、もうパクったとか言ってるし()、ともかくこちらの作品が陳腐な二番煎じにさえなっていないと思えるのはなぜか。当然ながら責任の第一は、脚本が負わねばならない。さらに傷口に塩を塗り込むが如き主要登場人物たちの陳腐な芝居、これがもし脚本に書かれた通りに演じられているのだとしたら、この脚本の罪は二重に重い。

 

見てない人にあの「痛さ」を説明するのは難しいが、たとえばキムタクが恋人の柴咲コウとデートしているシーンで、何度か君は僕が守ってあげる的なことを言う。このセリフはこのドラマ全体の伏線にもなってるのだが、もう一つ、このセリフを言いながらキムタクは両手の人差し指と中指だけ伸ばして、手の甲を額の真ん中につける動作をする。

 

最初は何してるのかわからなかったが、続いて両手を体の前で十字に重ねるシーンが続いて、あ、これはウルトラビームとスペシュウム光線のポーズだと気がついた。いったい幾つだ、あんたら? ウルトラビームはウルトラセブンの技で、スペシュウム光線はウルトラマンの必殺技なわけだから、キムタクは少なくともこの2作品を熟知しているということになる。40年以上前のこの2作品を見ていたという設定は2013年に40代の設定だとかなり厳しいのではないか。30代ならほぼありえない話になってくるが、まさかこのドラマのキムタク、30代なんて設定じゃないよな。

 

もちろん話がつまらないからこんなことさえ気になってしまうわけで、といってこれは単なる小ネタではなく、この後、キムタクが謎の暗殺者に射殺されるとき、血まみれになりながらスペシュウム光線のポーズをしようとして息絶えるという、もしかしたら脚本家は感動的にするつもりで入れたシーンかもしれないが、見ていたこちらは単にやっちまったな、と思っただけの場面が出てくるから、それなりに重要な意味を持つポーズになってしまっていた。

 

けどね、この場面のことに限って言っても、ドラマ第1話前半の山場になるべきシーンを陳腐なギャグシーンにしてしまった、少なくとも大人の僕にはそう見えるシーンになってしまっていた、そのことは脚本として失敗としか言いようがない。世間は広いから、それなりにあのシーンで感動しましたという人もいるかもしれないし、そういった感想を持つ人の気持ちを否定はしないけど、僕に言わせりゃあれはただの悪ふざけだ。感想はただ、くっだらねえと言えばすむ話で、それはそのまま、あのドラマ全体に対する感想でもある。

 

(あ、でももし、これが現場の流れによって脚本を変えられていたなら、脚本家の人には謝る。てゆーか、同情する。書いたときにはセリフも指示も完璧と思って送り出した脚本が、実際の仕上がり作品を見てみると、どっひゃあと言いたくなるような改変が加えられたりしていることは、裏方作業をやる人間にとっては非常によくあることだ。もちろん、その改変で自分が書いた物よりさらに作品がよくなってれば、僕は何の文句も言わないが、そうじゃない場合は組む相手を考え直した方がいい……

 

ま、一事が万事この調子で、正直このドラマは見ていて文字通り、脱力した。なんかね、もう少し大人の鑑賞に堪えうる……という線さえ無理なら、せめてガキ向けでもいいからもう少しちゃんとしたドラマを見せてほしい。脚本は家の設計図のようなものだとは、昔、通っていたシナリオ学校で講師の先生に言われた言葉。このドラマの脚本は、家の外観はやたら派手でメタリックで人目を引きそうな感じに見せているが、家全体が歪んでいて開かないドアや窓もある、そんな設計図になりそうだ。

 

と言うわけでこのドラマはパス決定。もしもシーズン2が出来て、主人公の安堂ロイドが結婚し、彼の妻が主演する話になったとでも言うなら、もう一度だけ見てもいい。もちろんそのときのタイトルは『ミセス・ロイド』に違いない。

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