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いくら何でも早いだろ(^0^;)

『八重の桜』捨松の結婚を八重と大山巌の腕相撲で決めるという、このドラマにしては漫画な展開。前半の八重が目立たなかったという批判を気にしてか、後半はとにかく多少無理目だろうと八重中心に話が動く。その分、何だか話が薄っぺらくなった気がする。明治クロニクルとしてはなかなか面白いのだが。[10/29のついとより]

 

『八重の桜』は夏以降、面白くなりだしたという声がどっかにあったように思う。その主な理由は、ほとんど八重が関係なかった前半に比べ、八重がヒロインらしくちゃんと目立つようになってきたから、という意見に代表されるようだ。でもタイトルに名前があるのに本編にほとんど出てこない登場人物なんて、わりとよくある話だぞ。『魔法少女まどか☆マギカ』に至っては「魔法少女のまどか」が登場するのは最終話だけだ。ま、これはいささか牽強付会()

 

そりゃ僕も、で、八重はいったいいま何してるんだ!? などと、ときどき画面に突っ込んだりしてたけど、そうしながらも前半は案外面白く見られた。それどころか、かなり入れ込んで見てたかもしれない。

 

なにしろ松平容保が全編にわたってこれ見よがしに漂わせるあの悲愴感を見れば胸はキュンと打ち抜かれ、ああ、この殿のためなら我が身のことなぞいかようになろうとも構わず、御家のために尽くしてみたいとまで思ったほどだ。あの容保が『最高の離婚』で最高のチャラ夫を演じた綾野くんと同一人物とはとても思えない。彼は久々に見る、若手の化け物アクターである。

 

いままで幕末物といえば、たいていは官軍側の歴史、有り体に言えば薩長、あるいは土佐の側から見た歴史であって、敗者である幕軍側によって立つ視点から描かれたドラマは、大河に限らずほとんど見た覚えがない。

 

新選組があるじゃないかという人がいるかもしれないが、あれは極めてスケールの小さい任意団体の話だからね。会津という質実剛健を旨とする東北の小藩が、いかに幕末の動乱に巻き込まれ、滅んでいったかをその主君、家臣、さらには家臣の家族たちのキャラまで描き分け、細密に見せた前半は、会津藩史とでもいうべき重厚さに満ちていた。

 

そのせいかどうか、

 

八重が中心になって話の風通しが良くなったと評判の後編だが、どんなもんでがしょ。後半は新島襄夫人となってからの生活が描かれるのだから、当然ちゃ当然の展開なんだけど、同志社の生徒たちの舎監となった八重の物語が、なんだか「熱血、舎監先生びんびん物語」みたいなおもむきで、前半にあった「大きな物語」の中でのたうつ個人の人生といった気配が、すっかり薄くなってきた感触がある。

 

僕がいわゆるチャンバラ時代劇ではなく、あ、もちろんチャンバラも大好きだが、大河ドラマとして見たい物語とは、まさに歴史が大きく動く転換期、世の中が激しくダイナミック極まりない時代に、あるときはその波に乗り、あるときは波に抗いながら生きる人間の物語だったりするわけだ。

 

大河ドラマがなぜ時代劇と呼ばれず、大河ドラマと呼ばれるか。この「大河」という言葉に、視聴者は無意識的にせよ「人生」とか連綿と続く「歴史」そのものを重ね合わせている。ま、一言で言ってしまえば大河ドラマは、史劇としての要素が割と濃厚なドラマだったはずだ。だから脚本家の勝手な解釈や、ホームドラマかと思うような話が頻出するようになった頃から、僕は大河を離れ始めた。

 

その意味で『八重の桜』の前半は、なかなか見応えもあったのだけれど、もしかして途中で脚本の方針を変えたか何かしたのだろうか。明治編になってからこのドラマ、妙に一話完結感がするようになったのだ。それはさ、滅びにせよ成功にせよ、うねるように突き進んでいく人間の運命の結末を見せるドラマとしては、まことに物足りない展開になってしまう。冒頭のついたは、そんな気分を「呟いた」ものだが、これももう先週の話。

 

今週ではいきなりタイトルが「襄の遺言」だった。えーっ!? もう死ぬのかよ? いや、確かに新島襄の登場は遅かったから、半年で残りの八重の人生を描かなきゃならないと考えると、もう11月、そろそろ死んでいい頃かもしれない

 

それにしても後半はやたら八重を持ち上げた分、今度は襄の印象薄いよなあ。あれならまだ前の旦那の川崎尚之助の方がそれなりの存在感を出していた。ああ、いろんな意味で幸の薄い襄……と思ってたら、何のことはない、しっかり生き抜いてこの回は終えた。でもいずれにせよ、もう先は長くないんだよな()

 

ま、ここまで見てきたものだから、恐らく最後まで付き合うことになるとは思うが、こういうわけで『八重の桜』、最近はちょっと見ててだるい話が続いている。

 

あ、でもこの回、久々に綾野容保を見ることが出来た。しかも悲劇姫を演じさせたら当代一流の稲森いづみによる照姫も一緒。ああ、この二人を同時に見るだけで画面からあふれ出てくるような負のオーラ! などと感激した僕は、存分に負浴びを堪能して満足しましたとさ。

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